竹中平蔵と格差と板子一枚下の地獄

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また寄稿いたしました。

できたら読んでほしいな。

読んでくれたかな。

まあ、読まなくてもいいんだけど。

ちょっと自信がないというか、なんというか。

 

……というわけで、この本を読んだわけです。

 

 

図書館で、たまにはちょっと経済で学んでみようかと『ケインズハイエク』だったかな、そんな新書を手にとったちょっと横にありました。「格差は悪なのか?」というのは挑発的な物言いです。ただ、本は薄いし、山形浩生の翻訳だしたぶん読みやすいだろうし、だいたい訳者の解説が半分くらいあるので(そうでなければ一冊の本になるボリュームではないという)、まあちょっと読んでみるか、と。

で、感想というか、「格差は悪なのか?」についてない頭をしぼって書いたのが上になります。うーん、難しいというかなんというか。

アマルティア・センがケーキを分けようとしたとき、フランクファートさんは、分けられる個人というものが尊重されてねえよ、というわけです。たしか。そりゃあそうかもしれない。ダイエット中のやつもいるだろうし、クリームが苦手なやつもいるかもしれないし、小麦粉アレルギー持ちもいるかもしれない。

まあ、なんというか、フランクファートさんの話は、あくまで形而上的というか、原理的、道徳的な話です。こんな表を見つけました。

「格差」があって、なぜ悪いのか? | いま世界の哲学者が考えていること | ダイヤモンド・オンライン

そうなんですよね、みんなにそれぞれが十分と思うだけ与えられたら、得ているなら、べつに格差があってもいい。それは正しいかもしれない。

でも、現実問題として、かなり富んだ人たちの富を再配分することなしに、うまいこと皆が富むようには思えない。むしろ、格差が固定してしまったら、社会から活力が失われ、経済発展もないかもしれない。

というわけで、目下のところ格差は悪、と言わないまでも、良くないこと、望ましくないことでしょう。本当に、空からマナが降ってきたら問題ないが、降ってこないから仕方ない。

 

「私が格差を拡大したとか、利益誘導をしていると言うが、何を言っているのか全然分からない」竹中平蔵氏がネットの批判に厳しく反論(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース

なぜかわからないけど、斬奸状という漢字三文字が頭に浮かんだ。

2021/08/26 21:07

 

というわけで、おれはこんな物騒な言葉が頭に浮かぶような、貧しい人生を送ってきたわけです。

ただ、今、貧しいとはいえ、これが続くという安心があるのであれば、おれはあまり現状の格差に怒りません。貧しいなりにそれなりによろしくやっているからです。それが、支配者の、富めるものが貧しいものを言いなりにさせる手法の結果(「貧富と幸福は別だよ」とか、「貧しくても楽しい我が家」とか)だと言われたらそうかもしれませんが。

でも、板子一枚下は地獄じゃあないけれど、すぐそこに地獄がある。地獄が身近にある。それが恐ろしい。

というわけで、今すぐおれに金をよこせとは言いませんが(もちろんもらえるならもらいます)、巨大すぎる富が、今現在地獄にいる人、そして、人が地獄に落ちようとしているときに救いになる制度の拡充に配分されることを望むものです。