パンを軽視すると薔薇も枯れます 『そろそろ左派は<経済>を語ろう』を読む

 

そもそもおれは経済を語れない。算数がわからないからだ。

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ただ、算数はわからなくても、政治や社会については、文系の読み物としていくらか読むことができる、ような気がする。おれもそろそろ「経済」についてなんらかの認識を持ちたいなと思っていた。いや、そろそろ、というより、ずっと、だ。

だけれども、おれは経済についてわからん。まったくわからん。たとえばだ、医療について信頼できそうなネット上のアカウント、という人はいる。食品の栄養と添加物について信頼できそうなネット上のアカウント、という人もいる。暴力とヤクザの話について信頼できそうなネット上のアカウント、という人もいる。が、経済についてはそれがいない。おれが全般的に信頼している人同士が、経済についてはまったく逆のことを言っていたりする。罵り合ったりしている。おれ自身に判断する能力がないので、なにがなんだかわからない。経済はわからない。

とはいえ、ブレイディみかこさんは信頼できそうな気がする。松尾先生も北田先生もだ。だったら、この本、これはいいのではないか、と思った。思って読んで、いいのではないか、とは思ったが、やはり確信は持てないことは告白しておく。経済はわからない。

あと、おれが「左派」なのかわからない。おれは尊皇アナーキストだ。それがなんなのかもわからない。大杉栄辻潤金子文子も尊敬している。そんな人間だ。

で、この本は2018年に出された本だ。その時点から世界の政治情勢もちょっと変わっているし、なによりコロナウイルス感染症の大流行がまた世界を大きく変えた。それよりちょっと前の本だ。出てくる人名やその地位などを検索しつつ読むのがいいだろう。

して、本書の本題はこれに尽きるだろう。

景気が良いほうがいいなんていうのは当たり前の話だと思うんですけど、なんで日本の左派は経済成長を求めることを悪事のように思っているんだろう? むしろ、景気が悪くなることのどこにヒューマニティがあるのだろう? と単純に不思議に思うのですが。

(ブレイディ)

これについて、日本の左派、本書では使われていないが「バラモン左翼」は、日本が裕福であると、十分に成長しているという誤った認識によって、アイディンティティ・ポリティクスに陥っているのだという。根っこのところの、景気、経済、いや、もっとリアルなこと、明日のパンに困っている人間がいることを考えもせずに。それでSDGs(この語もこの本には出てこなかったかと思う。急に出てきたな)、ジェンダー平等、環境保護を訴えたところで、社会の上下の下にいる人間にはなんにも響きはしないのだということ。

まあ、こんな意見はいくらでもネットで見つかるだろう。たとえば、こちらの記事など。

note.com

意識高いのはいいが、高すぎるところから、根っこを失ってはいないか、という話だ。おれなどは、経済の数字についてわからないので、このような話の組み立てについてあっさり同意してしまいそうだ。というか、おれてとて上下で見れば下の人間であって、明日の飯を心配する人間なのであって、同意してしまうところがある。「やりがい搾取」ではなく、単なる搾取だろ! なるほど! 「自由や平等や人権を訴える金持ち」どもめ! そうだ! お花畑の花も、下部構造のない花は、すぐに枯れてしまう! 異議なし!

というわけで、これは日本だけの話かというとそうでもないけれど、イギリスとか、そういう国においては、反緊縮が左派からの訴えであって、アベノミクス「第一の矢」、「第二の矢」なんてのはケインズの理論に則った当たり前のやり方であって、安倍の名を冠するのもおかしいということになる、らしい。欧州的な新しい左派の経済政策を取り入れた安倍元首相のやり方の、そこのあたりを左派が攻めるのはちょっとおかしいんじゃねえか、みたいな。たぶん、そういう話だ。たぶん。

でもなあ、左派のこの方々の意見にもちょっとは異議を唱えたくなる。

本来は、社会保障費を削減するのではなく、景気対策として社会保障分野にも投資するのが、左派本流の経済政策です。本当に財政出動すべき分野はたくさんあります。たとえば、子育て支援がその最もたるものでしょう。それで子どもが生まれたほうが、将来税金を納めてくれるんだから、財政的にもいいに決まっています。

(松尾)

反出生主義者としておれが言うに、「税金を納めてくれる」などという理由で、新しい不幸を作っていいのかという話だ。この悲惨な世界に歓迎されるどころか、最初から重荷と不幸を背負うべきものとして人間を生産するのが望ましいのか。「右派」であろうが「左派」であろうが考えなおしてもらいたい。それが人道的なのか? そこにヒューマニティはあるのか? 人間がこれ以上、生誕という厄災を繰り返していいのか? 所詮、そっちから見ても生まれてくる人間をロボットとしての労働力としてしか見ていないのではないのか? そこんところの疑問は尽きない。

まあ、そのあたりヒートアップしてもしょうがない。たとえば、こんな物言い。

クルーグマンもデフレ下でインフレの心配をすることは「ノアの大洪水の最中に火事だと叫ぶようなもの」だと言っています。

(北田)

おれはクルーグマンがどれほどの人物かしらないが、おれのような愚鈍で知識のない人間が名前くらい知っているという理由でそれなりの人ではあろう。たぶん、まだ、今現在の日本はデフレにある。たぶん。コロナウイルスなど、いろいろの理由でなんらかの供給が止まって、いろいろの価格が上がったりしているとはいえ、デフレの圧力は強い。その中で、インフレ不安もないだろう。ガンガン、金を刷れ! 反緊縮! ……ということでいいのかな。わからん。自民党が「右派からの反緊縮」をやってきたのなら、左派からの反緊縮も必要だ、ということだ。今度の立憲民主党の代表選挙はどうなんだ? わからん。たぶん、松尾さんはれいわ新選組の軍師とか言われているぞ。

にしても、まあ、限りのない「華青闘告発」をしている場合でもない。これ、おれ、外山恒一の本で知ったが、すが秀美が書いていたことだったのだな。

外山恒一『良いテロリストのための教科書』を読む - 関内関外日記

マイノリティ運動には意義がある。しかし、それで人々の、下層の人々の「豊かさ」の問題から離れてしまっては、ついてくる人は少なくなる。

というわけで、極右かもしれなけれど、左派かもしれないおれとしては、左派に経済を語ってほしいし、日本はもうすでに豊かな国ではないという実感を持ってほしい。

国労働党のプロテストソングに「パンと薔薇」という歌があるという。それはあくまで「わたしたちにパンだけじゃなく/薔薇もください」という意味という。「ディグニティー(尊厳)」である薔薇「も」ください、だ。パンは前提だ。泥臭い下部構造だ。それを忘れてはいけない。パンより薔薇、ではないのだ。

おれが書いたこれを、単なる左翼批判と受けて取ってもらっても「いい」。でも、おれは、もっと左派にやってもらいたい。そういう思いがある。そんなものは偽物だ、右翼の戯言だと言われても、べつにいい。おれはディグニティーより、アイディンティティ・ポリティクスより前に、飯が食いたい。それだけだ。

 

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