柴田勝家『アメリカン・ブッダ』を読む

 

 人は自分の見えないものを想像して、そこに見えない敵を作る。けれども、この国では、想像を人に言うことをの愚かさを誰もが知っているから、そこで争うことはないのだ。

 ジョンは他の国民より外国のことを知っている。それでも他の国が羨ましいと思ったことはない。むしろ、海外の国々の方が、物語なる病原菌に覆われている汚らわしい国だと思った。

 そう、病原菌なのだ。

「検疫官」

図書館の「まだ棚の定位置には戻されていないけれど、とりあえず返却された本が集められたゾーン」で見つけた一冊。柴田勝家といえば、なんか柴田勝家らしい風貌のSF作家ではないか。現代日本SFの担い手の一人ではないか。そう思って、短編集『アメリカン・ブッダ』を手にとった。

柴田勝家は面白い! 日本SF作家クラブ会長、池澤春菜が語る『アメリカン・ブッダ』|Hayakawa Books & Magazines(β)

まあ、「柴田勝家は面白い!」ということについては、池澤春菜先生に語ってもらえばよかろう。

その池澤先生曰く、本短編集描き下ろし表題の「アメリカン・ブッダ」が一番おもしろいという。たしかに、おもしろい。現実の地上に「大洪水」が起きて、バーチャルの「Mアメリカ」に去った人々、そこに現れたアメリカン・ブッダ。どこか、フィリップ・K・ディックのようでもある。短編としても、切れ味鋭い末脚を見せてくれた。

が、おれが気に入ったのは「検閲官」という一編である。物語が禁止された国の「検疫官」の話だ。ミームを病原菌とする話でもあるし、コロナウイルス感染症大流行を予見させるような話でもある。いや、後者は勝手に想像してしまうだけだが、それが物語の怖さだ。

SF作家というのは、おそらくはほかの物語作家よりも、ずっと物語を創造してしまうものだと思う。それについての否定、それについての肯定。この短編にはそれが詰まっている。とてもよい。

雲南省スー族におけるVR技術の使用例」は、著者の民俗学的なルーツと新しい技術の融合のような物語。「鏡石異譚」は現代的SFとちょっとだけ民俗的なものの融合。「邪義の壁」はSFというよりは伝奇物のような一編。民俗学的~! という感じ。

「一八九七年:龍動幕の内」は、著者長編の前日譚のようなものらしい。南方熊楠孫文が主役だ。そこにフー・マンチューの生みの親であるサックス・ローマーの少年時代が絡んできたりするあたりは、なにやら山田風太郎の明治物のような感じもある。そして、最重要人物は、あの人である。とはいえ、おれがあまりこの短編を好まないのは、登場人物の不潔さにあって、おれは不潔と下ネタを好まないというのは知っておいてほしい(何様?)。

まあともかく、おれは柴田勝家という作家に興味を持ったのは確かであり、高い評価を得た長編にも手を伸ばしてみようではないか。そう思った。SFはおもしろい。