おれの好きな小説10選

はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選

……うーん。ちょっと自分で掘り起こしてみようと思ったが、10選というのはむずかしい。とはいえ、とりあえず、暫定的に、こんなところで。

 

さようなら、ギャングたち

おれにとって目が覚めるような小説との出会いというと高橋源一郎の『虹の彼方に』とないうことになるのだが、それよりも衝撃を受けて、いまだにおれのなかで最高級の小説というと『さようなら、ギャングたち』ということになる。いずれも父の本棚にあったものであり、『虹の彼方に』は「こんな小説もある」とすすめられ、『さようなら、ギャングたち』は「小説のような詩もあり、詩のような小説もある」とすすめられたものである。読んだのは小学生のころだったろうか。おれと父は絶交して二十年以上になるが、人格はともかくとして、おれは父のセンスについては疑いを持たない。そして、高橋源一郎は、その後の作品もベリーベリナイスとはいえないものもあったと思うが、やはりかなり最高な小説を書く、かなり最高な小説家であることは間違いがない。

 

 

 

夜の果てへの旅

おれは国書刊行会セリーヌ全集をすべて読んだ。フランス本国というか、日本以外で禁書となっている反ユダヤ人パンフレットまで読んだ。はっきり言って過酷な旅であった。セリーヌのなかで読むべきは『夜の果てへの旅』と『なしくずしの死』、そして『ゼンメルヴァイスの生涯と業績』だけと言っていい。セリーヌをすごく推したのはチャールズ・ブコウスキーであり、ゼンメルワイス論文を評価したのはカート・ヴォネガットであった。ともかく、『夜の果てへの旅』はよいのである。

 

 

 

チャンピオンたちの朝食

おれのSF小説との出会いとなると、ヴォネガットの『チャンピオンたちの朝食』か、P.K.ディックの『ザップ・ガン』かという話になる。とはいえ、おれは『チャンピオンたちの朝食』がSFなのかどうかよくわからない。よくわからないがとても好きな小説だ。そして、ヴォネガットはとても好きな小説家だ。『タイタンの妖女』、『スローターハウス5』……。でも、やはり一作となると『チャンピオンたちの朝食』ということになる。おれのなかでは。

 

 

 

高丘親王航海記

おれと澁澤龍彦、となると話は長くなるが、父の本棚から『毒薬の手帖』か『秘密結社の手帖』を読んだのが最初になるか。いや、いきなりエロ目的でサドに手を出したのか、よくわからない。おれは中学生のころにすっかり澁澤龍彦の快活な毒にやられてしまった。そして、読み進めていって、父の本棚のものは読み尽くして、さらに自分で買って、行き着いたのが『高丘親王航海記』だ。澁澤龍彦の結晶というべき本であって、澁澤世界と澁澤自身の病と死が乗り移っていて、それでいて軽やかでユーモラス。澁澤龍彦がけっして横のものを縦にしたというだけの翻訳家、エッセイストではないという証でもある。もっと先も読みたかったと思わせてくれるが、それでもこの一冊に結実しているならば、それもまたダンディズムというものだろう。

 

ニューロマンサー

ウィリアム・ギブスンサイバーパンクの先駆者。そして、『ニューロマンサー』はそのさきがけ。……と、語られるだけでは、ない。歴史的な一作では、ない。『ニューロマンサー』は二十一世紀の今においても読まれるべき作品だ。それだけの格のようなものがある。ハードボイルドがある。おれはそのように思う。そして、『カウント・ゼロ』、『モナリザ・オーヴァドライヴ』を読めばいいだろう。黒丸尚の訳で読めばいいだろう。もちろん、『クローム襲撃』も名作だ。決して、古いSFではない。しびれろ。

 

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

おれはけっこう村上春樹を読んでいた。過去形になる。最近のは、なんか長すぎて読まないでいる。とはいえ、村上春樹の小説、村上春樹の翻訳小説はすばらしいと思う。どれがとくにすばらしいかというと『世界の終り』ということになる。もちろん、『風の歌を聴け』とかもいい。いいのだが、これが一番好きだ。いずれ、「長すぎて」と思った作品も読むことになるだろう。たぶん。村上春樹についてはエッセイのたぐいも好きで、『もしも僕らの言葉がウィスキーであったなら』などは、おれのスコッチ好きにかなり影響している。翻訳ではレイモンド・カーヴァージョン・アーヴィング、そして、グレイス・ペイリー

 

ユービック

フィリップ・K・ディック。数々の名作。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、『流れよわが涙、と警官は言った』、『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』、『高い城の男』、『スキャナー・ダークリー』。そして、『ヴァリス』、『聖なる侵入』、『ティモシー・アーチャーの転生』。さらには、短編の名手でもある。ディックの短距離は切れ味が鋭い。あげればきりがない。きりがないなかで、『ヴァリス』ほど行き過ぎてもおらず、『ザップ・ガン』ほど雑でもない、すごくいい具合の一作を選ぶなら『ユービック』かと思う。ディックを、読め。

 

愛その他の悪霊について

おれの一部は南米文学好きである。ガブリエル・ガルシア=マルケスとか。かなり影響を受けた。影響を受けてなにをしたというわけでもないが、マジック・リアリズムというやつだ。というわけで、ガルシア=マルケスとなると『族長の秋』か『百年の孤独』ということになるかもしれないが、『愛その他の悪霊について』あたりもいい。そんなに、長すぎもしない。長くても読めるが。「純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語」も「大佐に手紙はこない」もすばらしいが、ちょっと短い。『予告された殺人の記録』か、このあたりだ。というか、全部読め。

 

パルプ

チャールズ・ブコウスキーはおれにとってかなり特別な存在である。存在というとなにか。詩人、エッセイスト、小説家。正直言って、あまり詩はわからない。翻訳を読んでも、原文にあたっても。というわけで、『死をポケットに入れて』などはそれこそいつもポケットに入れておきたい作品であるし、自伝的小説『くそったれ! 少年時代』、『勝手に生きろ!』、『ポスト・オフィス』なども言い尽くせないくらい最高だ。短編集『町で一番の美女』、『ありきたりの狂気の物語』……。おれは、全体的に、ブコウスキーが好きだ。競馬の人間としても疑うところがない。だから、『パルプ』は、なんというか、暫定的なところもある。そうでもあるが、これもまたブコウスキーの集大成というところもあって、やはりあげておくべき一冊ということになる。

 

不安の書

正直、フェルナンド・ペソアの『不安の書』をおれの好きな小説10選に入れていいのか不安なところではある。とはいえ、おれの反出生主義にぴったりくるところもあるし、ポルトガルにこんなに感覚の合う作家がいたのか、という驚きもあって入れてみる。悪くない。いいところを引用してみようとすれば、一冊全部になりかねないほどのやばい作家だ。なんだかわからんが、不安や不穏を求めているなら、ちょっと読んでみてほしい。断章、からでもいい。

 

……ふー。あー。こんなんかなー。なんかね、「小説」という区切りで、短編小説、あるいは逆に何冊にも渡る長編は避けてしまったかもしれない。前者でいえばレイモンド・カーヴァーとか、後者で言えば『妖星伝』とか『天冥の標』とか。あとはもう、エルロイ入ってねえなとか、高村薫がねえのかとか、言い出したらきりがない。石牟礼道子となると、ちょっと自分にとってはでかすぎて入りきらない。とりあえず、なんとなく、この10作だ。とりあえず、なんとなく、でも、おれを形作っている作品といっていい。それは断言できる。知っている人には「かなりブログの文章にパクってるな」とか思われるかもしれないが、そうであればけっこううれしい。

小説以外の本……とかになるとさらにきりがないけれど、東海林さだお田村隆一金子光晴鈴木大拙大杉栄辻潤シオランの名前でもあげておこうか。

もちろん、こんなんは本当の読書家からしたら「きりがない」なんて言えたもんじゃないだろうが、まあおれはこんなところなので。なんとなく、傾向みたいなものはあるんじゃないのか。そうでもないか? わからん。まあいいや。

以上。