『陰陽師』岡野玲子/原作:夢枕獏

goldhead2005-09-20

ISBN:4592132114ISBN:4592132122ISBN:4592132130ISBN:4592132149ISBN:4592132157ISBN:4592132165ISBN:4592132173ISBN:4592132181ISBN:459213219XISBN:4592132203ISBN:4592132211ISBN:459213222X

唐の官制では天文暦法と陰陽卜占とはまったく別の部署になっていた。前者は学術、後者は呪術であった。そこを日本は混同した。あえて混同したのかどうかは知らないが、それこそが日本文化の特色だった。空海にもつながる特色である。〜『空海の夢』(松岡正剛)より

 日曜の晩に人の家にお邪魔し、ふと『陰陽師』を手に取った。冒頭に空海入唐に深く関わる桓武天皇の名前があり、ちょっと開くと高野山の名も出てきたので、ついつい読み始めてしまった。その場で三冊読み、さらに三冊借りて帰って読み、昨日さらに六冊借りて読んだ。もしもこの日記を続けて読んでいる奇特な人が居たならば、「こいつは漫画を読まないやつだ」と思われるかもしれない。しかし、俺は本来、小説などより漫画を読む人間であって、収入の目盛りが多少なりとも上がれば、この日記も漫画の感想で埋め尽くされるかもしれない。俺はちょっと漫画に餓えていたようだ。
 で、『陰陽師』である。一時期ブームになっていたのも知っていたが、さほど興味は無かった。これを借りた家にもずっとあったのは知っていたが、パラパラめくるのみで、読もうとは思わなかった。ひとえにここのところのマイ空海ブームにつきる。とはいえ、それはきっかけに過ぎず、ともかく面白くて引き込まれた(空海絡みの要素もちゃんとあったし)。絵の魅力に洒脱なネームの魅力、安倍晴明源雅信のコンビの魅力など、今さら敢えて書くこともないだろう。
 しかし、やはり語られ尽くされているであろう、『日出処の天子』(山岸涼子 ASIN:459288051X)との対比というか、それを思い浮かべたことはメモしておこう。なにせ、『日出処の天子』はなかなかにお気に入りの作品であるからだ。舞台はともに昔の日本(と括るには差があるけど)で、主人公はともに超能力者。おまけに源雅信蘇我毛人が似たタイプときている(俺様受けだとかヘタレ攻めだとか、カップリングについては論じません←ちょっと調べたらますます細分化していて驚いた)。晴明はおおよそクールで、厩戸王子はかなり激昂しやすいファナティックな性格でずいぶん違いはあるが、どこかこう、似ているような。あと、物の怪の描き方も、『陰陽師』の方があか抜けていて迫力もあるが、ぱっきりとシンプルなラインで描かれる『日出処の天子』も棄てがたい。ついでに書くが、俺が『日出処の天子』で一番好きなシーンは、夢殿に篭もった厩戸王子が、なんかこう、慰めに出たのか物の怪のひとかけらをパッと消したうえで、嫌いじゃないとかなんとか言うシーンだが、読んだのが昔のことなので、どうだったか。
 『陰陽師』の話だったか。なにぶん一気に読んでしまったもので、整理して感想など書けるものではない。うーん、やはり途中からの路線変更をどう取るか、というところか。原作を踏襲したのが真ん中あたりまでで、後は岡野玲子の路線になるのか。やはり、面白さという点では前半、晴明のところを雅信が訪ねてきて、式に引かれる牛車に乗って怪異の場所へ、というパターンの間が面白い。ここらあたりは傑作と言っていいだろう。
 しかし、後半の、陰陽世界のソリッドに踏み込んでいく展開が、全く面白くないかといえば、決してそんなこともない。俺は思わず、フィリップ・K・ディックを読んでいるのかと思ったくらいだ。たしかに、一歩間違えば『とんち番長』のサッカー編。しかし、この作者もディックと同じで、「博識故に狂ってる」というタイプだ(狂ってるって、決して悪い意味ではないですよ)。あるいは、士郎正宗とかもそういうタイプかもしれない。そういや、『陰陽師』はどこかサイバーパンクっぽいな。表現として世界根源に踏み込んでいくのは、そういうアプローチになるのかもしれない。うーん、よくわからない。
 まあ、もう少しすると最終巻が出るらしいので、もうちょっと考えてみよう。