『ミコヤン回想録1 バクー・コミューン時代』を流し読みする

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 本書は、ア・イ・ミコヤンの回想第一部である。本書で扱われている諸事件は1920年までのことである。著者は革命前とソヴェト政権の勝利を目ざす闘争の帰還中にカフカズで起きた大きな社会的政治的諸事件を背景に、彼が共産党の下に生き、かつ戦った多くのすぐれた革命家たちのことを語っている。
 読者の前には、すぐれたボリシェヴィク党の活動家たち、ミハ・ツハカヤ、セルゴ・オルジョニキッゼ、エス・エム・キーロフ、エム・ヴェ・フルンゼ、ヴェ・ヴェ・クイブイシェフ、イェ・デ・スタソワその他の革命家たちが登場する。
 回想の中では、1918年のバクー・コミューンの悲劇的英雄的歴史がステパン・シャウミン、メシャジ・アジズベコフ、アリョシャ・ジャパリッゼ、イワン・フィオレトフ、その他のバクー・コミッサールとカフカズのボリシェヴィクの名の下に大きく取り扱われている。
 南(ザ)カフカズの党組織の活動、イギリス軍占領下のその地下活動、当時のあらしのような時代にア・イ・ミコヤンが経験した「大学」などが広く紹介されている。著者とヴェ・イ・レーニンの最初の出会いは、回想の晴れがましいページを飾っている。
 本書は広範な読者層を対象にしている。
 政治図書出版所編集部

 1973年に日本語版が出版されているこの本で、バクー時代のベリヤはどう描かれているのか、それが一番の目的だったおれは「広範な読者層」に含まれるのだろうか。たぶん含まれない。
 そして、この本にベリヤの名前は一切出て来なかった。ベリヤは1917年入党なのか1919年なのか? ベリヤはムーサヴァートにエージェントして潜り込んでいたのか、二股をかけていたのか? ミコヤンはどう思う? そんなこと微塵も書いてなかった。
 ただ、『フルシチョフ回想録』を読んでミコヤンに興味が湧いたのは事実だ。が、アナスタス・イワノヴィチ・ミコヤンについての伝記のようなものは日本語訳されてないようだ。その点、やはりラヴレンチ―・パーヴロヴィチ・ベリヤに比べるとよかれ悪しかれ地味な……というか、うまく立ち回れる存在ともいえよう。そこが粛清を逃れて生き抜いたミコヤンの真骨頂やもしれぬ。フルシチョフらの述べるところのベリヤ失脚の会議でも、擁護的発言をしたのはミコヤン一人だった。が、彼は生き抜いた。本書によれば、「革命が成就したら結婚しよう」みたいな死亡フラグまで乗り越えているのだ。
 日本にだって二度来ている。

 わたしは二度、日本に行きました。あなたがたのすばらしい国に接したこと、日本で、日本のさまざまな階層の代表たちと数多く会ったことなどのあざやかな思い出は、決してわたしの記憶から消え去らないでしょう。
 月並の礼儀で言うのではなく、わたしは心から日本人民の不朽の才能と、つきることのない勤勉さに対して、いつも真心からの深い尊敬の気持を表明して来ましたし、今も表明する次第です。
 どの人民にも各自の伝統があります。その伝統のうちのあるものは、時代とともに古び、慣習の変化につれて次第に忘れられ、死んで行きます。また伝統の中には、なんとか生きながらえているものの、何かしらの点でその人民に一定の損害すら与え始めるものもあります。人民の中に長い間生きている伝統もあります。しかし前進を呼びかける新しい伝統も生まれています。そしてまさにそのような伝統が、古い時代のすぐれたよき伝統とともにその民族の幾世代もの進歩的な人びとを結び合わせる環となり、幾世紀にもわたって人民の天才、知恵、悲願、希望のバトンを伝達して行きます。
 わたしは日本に行った時、日本人民が自分たちの過去の中のあらゆるすぐれたものを非常に大切にしており、また現世紀にもふさわしい過去の伝統を技術進歩と精神的発展の今世紀の諸成果に結びつける驚くべき能力を持っていることに特別の感銘を受けました。
「日本語版への序文」

 ……とまあ、だいたい読んだのはこのくらいと、あとはオルジョニキーゼあたりが出てくる最後のほうであって、あとは速読……というか流し読みをした。もしバクー・コミューンに興味のある人間ならばひとつの資料になるやもしれないし、ソ連の歴史、あるいはソ連が語る歴史について研究するものなら、ミコヤンが書いた(という)本書に、なにが書かれ、何が書かれていないかという格好の研究材料になるやもしらん。ベリヤは存在自体消去され、スターリンはごく小さく扱われ、セルゴおじは尊敬すべき革命家で(ちなみに、ベリヤもミコヤンも息子にセルゴの名をつけているな。ミコヤンの次男ステパンはシャウミャンからだろうか?)、「著者とヴェ・イ・レーニンの最初の出会いは、回想の晴れがましいページを飾っている」のだ。
 が、おれが興味あったのはベリヤであり、そしてミコヤンの為人だ。そういう意味で、ミコヤンの公式見解とされるものが、ひたすら多数の人名とともに記される本書は、あまりエキサイティングじゃなかったといっていい。もちろん、南カフカース(と書いて「南」に「ザ」のルビが振られていた)の歴史についての知識も欠いている。一応は訳者あとがきが解説してはくれているが。
 というわけで、ミコヤンが初めて飲酒したのは20歳のときで、次に飲んだのは21歳のとき(……それでよくスターリン晩年の酒盛りに参加できたな。いや、むしろまだ肝臓が健康だったのか?)、という余計な知識だけを胸に、そっと本を閉じたのだった。おしまい。
 ……というのはなんなので、もう一点だけ引用しておこう。

 ナロードニキが、人民解放という自分たちの偉大な革命目的達成のために個人的テロという誤った道を選んだことは、今日では小学生にも明らかである。しかし、彼らの精神の偉大さ、あらゆるものを包み込む戦闘的連帯感、高い思想性、革命の事業に一身を捧げ、彼らがつくしていた偉大な目的達成のためにおのれを犠牲にする覚悟――わたしの身のうちに彼らに対する畏敬の念が呼び起こされずにはおかれなかった。

 アレクサンドル2世暗殺とその裁判に関する本を読んだ時の感想だ。ジェリャボフ、キバリチッチ、ペロフスカヤの名はある。だがしかし、このような犠牲心への賛美は、彼が直接敵対することになるエスエルに対してよく用いられる言葉でもある。おい、ミコヤン、今度サヴィンコフとかアゼフについて話そうぜ。ところで、この本、どんだけあんた書いたの? あと、続編は? まあいいや、それじゃ。

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