『新劇場版ヱヴァンゲリヲン:Q』再見〜本当に31分後でやんの〜

※もうネタバレしてもいいお年頃

 二度目の『ヱヴァQ』を観てきた。2chの考察スレ(というか延々とそれしか読んでないけど)などでいろいろ言われていることの確認であるとか、今度は呆気にとられないようにしよう、とか。

盤上遊戯

冬月先生、将棋は打つもんじゃない、指すもんだ! あと31手で詰むってわかるくらいの棋力あるのに!

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を朝8時から見てきたこと - 関内関外日記

 で、一個だけとくに気になったのが、「冬月先生が31手目にって言ったあと31分後にアレが起こる」というやつで、「マジかよ?」みたいな気になって。それでおれ、こっそり時計見てチェックしたら、本当にそうでやんの。「君の詰みだ」。正直、ゾクゾクしたわ。こういうの好き。
 ……となると、「打つ」とて意味があるようなことに思える。制作過程もなにもしらぬが、このレベルの映画になれば大勢の人間が関わっているだろうし、収録直前まですり抜けてきたとしても、たとえば清川元夢のようなベテランが現場で「指す」じゃないのかと指摘することは十分考えられる。
 そうなると、「わざと」じゃねえのか? と想像できてしまうし、これもまたネット上で指摘されている「飛車角金落ち」という不自然な駒落ちとて意味があるのではないか、ということになる。「香車=槍」だと。「槍でやり直す」とか、もう半分以上ダジャレに片足突っ込んでるけど、そういうのも好き。
 無論、言葉遊びの類でいえば「君の詰み」=「君の罪」だろうし、不自然な「駒落ち」=「コマ落ち」かもしれない。え、「コマ落ち」ってどういう意味? 
 では「打つ」はなにか? 「鬱」展開の予告? いや、冬月が「これからやるのは言ってる通りのことじゃないよ」と暗にシンジくんに告げているのではないか。すなわち、将棋にかこつけたあの会話というか説明の一切ないし一部は虚偽であると。あのユイのすごいセンスのいいかっこうや、見せた写真、語る言葉、嘘が含まれている。だから「嫌な役割」なんじゃないのか。

時間とは遊びに興じる子供、盤上遊戯をして遊び興じる子供である。子供の盤上遊戯が王国である。
――ヘラクレイトス/大瀧啓裕訳

 (↑衒学趣味)
 だから、時間の不可逆だのなんだのも、冬月先生があの世界について語っていることが正しいのかどうかわからない。ユイについても、写真についても。冬月先生がナイスメガネのゲンドウ君から「こう言え」と指示されたのかもしれないし、あるいは冬月先生自身が誤った認識を持っている可能性もある。
 ……しかしまあ、エヴァの魅力はそういうところにもあろう。作品内の登場人物たち自身が限られた情報、誤りの情報に踊らされ、時には自分の願いとは違った方向に働いてしまう。カオスだ。わかりきったようなカヲル君はまたあのていたらくだし、ゲンドウ君ですらダミープラグが入らんときに「なぜ私を受け入れない!」みたいに狼狽していたし……。ゼーレの面々とて、ゲンドウとの騙しっこに勝ったのか負けたのか。すんなり冬月先生の肉体労働で消えたかと思いきや、アヤナミレイ(仮称)の中にベタベタロゴ出てきて、まだ仕掛けを残していたようだし。
 で、テレビ版の話になるけど、そん中で一番混乱して、誤った情報と推察で暴走してんのがミサトさんだよ、みたいに大瀧啓裕が指摘してて(たしか。あの本どっかいってしまった)、それが正しいのかどうかわからんけど……『Q』のミサトさんにもそんなところあんのかな? みたいな気はしてしまった。シンジ君に対する態度に限らず。いや、最初観たときに比べたら、そうとうに優しいというか、「ボタンを押さなかっただけ」くらいではないところが垣間見られたような……印象を受けた。それは台詞の調子とか、そういうレベルもあるんだけど、対ネルフ組織つくって、あんな昭和風宇宙戦艦みたいなAAAヴンダー(なんか人型みたいな小さな模様があんのはなんだろ?)つくってって、その行動自体も。シンジ君に対しても誤解があるかもしれないし、(むろん空白の14年間になにがあったかにもよるが)、なにかミスリードしてしまっているのではないか、などと。わからんけどね。
 そんで、プロの傭兵というような存在になったアスカだけれども、キャプテン葛城のああいった態度に、ちょっと不満というか、反感を持っているようにも見えた。シンジとの対面のシーンとか、水中で「人命軽視、作戦優先の〜」とか言ってるところとか。それで最後に、シンジに手を差し伸べるのだからな。

差し出されない手

 そういや、一連の新劇場版は特に手が強調されていて、これはべつに推測でもなんでもなく、重要なシーンで手に演技させてるってとこがあって(まあ、いちいち血まみれになってスティグマっぽい演出もあるが)、『破』のクライマックスだってシンジ君がああすんじゃんね。でも、『Q』でシンジ君に手を差し出すのはカヲル君とラストのアスカだけだもんなー。
 ……って、ヴンダーにエヴァMark.09が来たときに差し出されたか。あのとき聞こえたレイの声。あれもそうなのか? わからんが。ただ、あれはシンジ君だけに聞こえた、アヤナミレイ(仮称)ではないレイの声のように思えるが、如何。
 ところで、テレビ版のシナリオ集を読んでいて、たとえばドアがあって人が手で回すよりも自動ドアにした方が作画の手間がかからない、みたいなことが書いてあって、ミサトのマンションなんかもそうなんだけれども、それが逆にエヴァの機械化されたスピード感、SFの疾走感に繋がってるのかな、とか思ったりもして。

想像しだせば止まらない

 して、そういう意味では、(これも2chで指摘されてたことだが)「なんかガキの使いみたい」な状況に追い込まれたシンジ君が入れられる部屋の、あの食事・歯ブラシと着替え提供機械とか笑える、もとい悪くない。ちなみに、鈴原トウジの制服だけど、いくらジャージばっかり着てるからって制服くらい提供されってだろうし、むしろ人間の服をあらたに製造する必要のない世界、あるいは余裕のない世界(その分、なんかあのでっかい手とか作ってる。予告編でブッ倒されるやつ? え、あの予告編信じられるの?)で、たまたまああなったのでは……というのがおれの見方だけれども。ただ、なんだろうね、あの世界がどうなっているのかね。ヴィレ側の「民間人」とかね。あと、14年前になにかしらえらいことになった、あんな状況の世界で生きてきたはずのクルーが、いかにして「ゆとり」なのかね、などと。いや、彼らには、もうそういう状況があたりまえすぎるせいか? それに、鈴原サクラがわりといい子に育っているように見えるのは、ああ見えてミサトやリツコがいい大人として接してきたのだろうか。ただ、いつからのつきあいかもわからんし……。そういや、あのハゲのおっさんだけは、シンジ君に対してみなが冷たい視線を向けるとき、そうでもなかったような……。
 とまあ、いろいろ考え出すときりはないし、はっきり言ってこれだけコストパフォーマンスのよい作品は多くないように思える。全く悪くない。が、もう劇場で観るのは十分にも思える。あとはBlu-rayの発売でも待つ。むろん、ブルーレイは青い綾波を暗示……(以下略)。つづく。