〜EVAがこんなにおもしろくていいのかしら?〜『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』のネタバレ感想

 
 EVAがこんなにおもしろくていいのかしら? 〜いや、よくない。……と、簡単に反語として処理はできない、かといって、驚嘆のレトリックとして処理もできない。なにか、すこしもやもやしながらシアターを後にした。自分の座席はE-24だったが、なぜかE-24という座席がふたつあったことにももやもやしていた。
 E-23に座った同行者の感想は、まずひとこと「すっごくおもしろかった。だけど、よくわからなかった」だった。彼女は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』からエヴァに入った。というか、俺が誘った。彼女は30の俺より二回り年上だ。SFが好きだ。アニメはぜんぜん観ない。息子のコミックス版は読んでいるらしい。

 俺も、そう思った。とくに「すっごくおもしろかった」。そうだ、すごっくおもしろかった。冒頭の、アバンというらしい部分にあたる仮設5号機の戦いから一気に引き込まれ、「!」の「!?」の連発で、さらに次への「!!!?」という強烈なフックをひっかけられた。
 「ディテールに驚いた。すごく細かいところ。たとえば、シンジ君が勉強していたときに聴いていたラジオ、あの大きなラジオは、昔、自分が親に頼んで買ってもらったそのものだった」と言う。庵野秀明は1960年生まれ。追憶の70年代。80年代、昭和。昭和の歌、真希波・マリ・イラストリアスは昭和のおっさん……。
 誰が想像できただろうか、マリが「昭和のおっさん」だとは。よかった、すごくよかった。今一度『破』を見返したいと思えば、どうしてもあのマリの持つ異様なノリを見たいというところが大きい。よく、既存のエヴァ世界に殴り込みをかけてくれた。25→26の繰り返しに跳び蹴り食らわせて、27への強制移行、そんなわかりやすい役どころと、あのキャラ。坂本真綾。シンジに向かって、「なんで働くだって? そんなのに理由があんのか? エヴァ乗ってりゃ食い扶持には困らねえだろ!」とでも言うような。焼酎持ってこい! でも、裏コードとか知ってる。自分の目的のために大人を使う子供。大人と子供、子供と大人。なにがアドバンスなのか大戦略。ずるいくらいがちょうどいいのか、なんなのか。

 アスカは強烈に中心に引き寄せられた。エヴァの登場人物は三位一体をむねとして、四番目に入ってきた者は排除される……。そんなことを、大瀧啓裕が書いていたが、旧版ではどんどん活躍の場が狹められていった。ただ、EOEの最後で、われわれを(あえてわれわれと言おう)をでっかいクエスチョンマークにたたき落として幕を下ろした。そのアスカが、幸か不幸か話の主役に据えられた。はずれくじを引いたのは誰だ?
 同行者曰く、「集中して物語を見ていたのに、急に女の子のサービスカットが入ると冷める」。「それは、お約束というか、サービス精神なんじゃないですか……?」。果たしてそうだろうか。アスカを話の中心に据え、性的な視線で見るのは誰か。「いつまでも絶えることなく友だちでいましょう」。首を絞め合うシンジとアスカ。やり直し、くり返し。「ずっと同じ事を繰り返しているのか?」、「厳密に言うとそうではない」と長門

 やはり俺は、『マルホランド・ドライブ』的な悪夢を感じる。感じてゾクッとする。「エンドレス・エイト」でも『銀の三角』でもいい俺の夢でもいい。くり返し、やり直し。父から息子にゆずり渡されたS-DAT。その父は誰だ。母は誰だ。

「すべてをはじまりにもどすにすぎない……この世界に失われている母へと還るだけだ」

 と、ゲンドウが前の25話で言ってたっけ。LCLのにおい。ポニョの妹たちのような綾波の小さいの。ニャー。

 やはり俺は、このEVA世界が、少年碇シンジの夢のようなもの、というところの発想にとらわれている。さあ、どうだろうか。わからない。序のときに、いくつかの考察で見た、今回のゲンドウは旧作のシンジ。意味がわからなかった。今もわからない。でも、そんな気もする。彼の中の私と私の中の彼。シンジは成長したのかさせられたのか、はたして。「おとうさん」って、なにを指すの? つーか、宇宙空間に子供がいたら、もっとおどろけよおっさん。やけにおちついてるじゃないか。

 やけに、おちついていたのかな。この映画、「つなぎ」でなく、爆発的にテンションを維持させた第二作。そのたくみさ、「おもしろかった」。サービス満点。考察を読みたくなる強烈なひっかかり。すべてがエヴァに見えてしまう感じ。それでも、俺は、なにか、EOEのような破綻をもとめているのか? ヴィクトリアマイルウオッカより、安田記念ウオッカ。追憶のEOE。最上級のエンターテインメント、アニメの到達点の一つ、今作。ぶっこわすの? ぶっこわさないの? 腑に落ちすぎて腑に落ちない。ゲーム版エヴァンゲリオンPS2PSPの『新世紀エヴァンゲリオン2』ね)で示された、いろいろの可能性の一つを見ているに過ぎないという感じ。それがすごくおもしろいということ。けど、ここまで腑に落ちていいのかどうかわからない。EOEのあとの俺に、「よろこべ、しばらく待て、きっちりやってくれるぞ」と報告できるのか? いや、とりあえず、こうは報告できよう、「よろこべ、お前はまだエヴァにうつつを抜かしている。これっぽっちも成長していないぜ」って。それで、あと、まだ続きがあるんだ。それでいい、とりあえず、今は。

追記:映画館の中の様子
 朝一番の回だけれども、小学生の姿、親子連れの姿は見えなかった。中高生、いや高校生以上が多いという感じ。カップル、女性も多い。旧劇場版の「最低だ」のシーンで、子供がおとうさんに「あれなーに?」って声に出して聞いて、劇場内が微妙な雰囲気になったのはいい思い出。声といえば、加持×シンジのシーンと、最後の方のカヲル君に「ひゃぁ!」って声あげた女の子がいた。俺は、アスカのフィギュアつきのコンボセットを買って、生まれてはじめてポップコーンを食べながら映画を観た。あらかた俺一人で食った。「音量が大きいときに食う」ゲームを遂行していたので、迷惑ではなかったはずだ、たぶん。

関連______________________

追記2______________________

 ……いろいろ感想や考察を読んで回っているが、世代的にか、こういった話に共感できる……。

______________________
______________________

   
 ↑俺が読んだ唯一かもしれないエヴァ本。著者はP・K・ディックの『ヴァリス』などを訳した(上にすごいながい注釈をつけた)人。この本の見解がどうなのかわからないし、アニメ評論家の手によるものでもないので、そういった意味でどうなのかもわからんが、「アニメってここまで詳しく見られるのか!」という驚きをもたらしてくれたし、「エヴァってここまで考えられているのか!」というあたりを与えてくれた。