ウィリアム・ギブスン『スプーク・カントリー』を読む

スプーク・カントリー (海外SFノヴェルズ)

スプーク・カントリー (海外SFノヴェルズ)

■システマってなに? でもかっけー。そこにしびれる。というわけで、『パターン・レコグニション』に続いて『スプーク・カントリー』を読んだ。

レストランの窓の外、ふたりには読めない広東語の文字の外側の世界は、引き出しの奥で何十年も忘れられていた銀貨の色だった。

■読んだ時「おお」と思ったこれ、解説でも採り上げられていた。新たなる三部作。
■物語は章ごとに三組の視点が入れ替わり立ち代り出てくる。あるものをめぐり、互いに相手を知ろうともするし、探そうともするが、一方で、相手がいるのかどうかも、相手がなんなのかもわからない、そういう立場もある。これが最終的にどう絡むのか……読んでいて興味はつきない。お手本みたいだ。なんのお手本かわからないが。
■とはいえ、はっきり言ってラストはもやっとしたように終わる。いや、はっきりと描かれているが、得体のしれないものが漠然と残る。それがスプーク・カントリー?
■一方で、登場人物たちは失ったものを探し、それを手に入れたり入れなかったりする。物語の定番。
■ハード・ボイルド。そうだった。ギブスンはハードSFじゃない。ここ二作にいたってはSFでないかもしれない。でも、ハード・ボイルドだ。それを忘れちゃいけなかった。
■「それってARってやつだよね」というくらいか、本作のガジェットは。だが、グリッドの、サイバースペースの裏側としての世界、この世界の気配、わけのわからないこの世界の消息。
■ブラウンとミルグリムのコンビのおかしさ。
■新しい技術というものは軍事とアートに現れる、とかなんとか。情報というもの、暗号、情報理論とかいうやつも、そのために、あるいはその過程で暗号というものに関わった。情報とはなんだろう。
ブードゥー教的ななにかが出てきた。グレッグ・ベアの『女王天使』だってそうだった。というか、そのあたりの多神教サイバーパンク、あるいはSFとの距離感というもの。一神教ではありえないなにか。ならばPKDはどうだったのか。
■これが三部作の二つめであるならば、はやく三つ目を。……と言いたいが、本作が出てからしばらく経っているのでその日は近いかもしれない。ビッグ・エンドは。

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