ブローティガン『芝生の復讐』を読む

芝生の復讐 (新潮文庫)

芝生の復讐 (新潮文庫)

 ときには人生は、ただコーヒー、それがどれほどのものであれ、一杯のコーヒーがもたらす親しさの問題ということもある。コーヒーについて読んだことがあったっけ。コーヒーはからだによい、と書いてあった。
「コーヒー」

 おれはこの「コーヒー」という短編の書き出しを読んで、コーヒーが飲みたくなった。おれは精神疾患もあるし、睡眠障害もある。午後のカフェインは控えている。「もう一度コーヒーという単語が出てきたら、コーヒーを淹れよう」。おれはそう思った。すぐに「複雑な銀行問題」という短編でコーヒーが出てきた。金を裏庭に埋めようとしたら、片手にシャベルを、片手にコーヒーの鑵を持った骸骨が出てきたということだった。おれはコーヒーを飲むことにした。テレビでは最軽量級の、まるで双子のように見える選手たちが殴りあっていた。

 これはこの国の老人たちにもよく起こることだ。彼らはすっかり歳をとって、あまりにも長いこと死とともに暮らすので、ほんとうに死ぬときがやってきたときには、道に迷ってしまう。そのまま長いこと迷い子になったままでいることもある。彼らがそうして生き長らえるのを見るのは怖しい。ついには、彼らじしんの血液の重みが彼らを圧し潰す。
「冬の絨緞」

 ところでおれは今日も生活の不安に脅えた。豚肉が高くなったなんてものじゃない。おれには抗不安剤タブレットが必要だ。そんな人間がブローティガンを読むことが救いになるだろうか。どこにでも死が暗い翳を差している。そう思えてならない。

……アメリカ、そこでは挫折とは不渡り小切手のこと、あるいは悪い通信簿のこと、あるいは恋の終りを告げる一通の手紙や読む人びとを傷つけるすべてのことばのことである。
「伍長」

 どこか遠くの、寒くて暗い場所のひどく冷たい石に触って帰ってきたような人間。ブローティガンのひととなりまで知りはしないが、そういう印象がある。翻訳者の藤本和子は「裏切りとメランコリア」というけれど。そして、なにかの暴力を暗示するように銃が、狩猟が出てくる。アメリカ。

 すすり泣く人々の長い列、死骸は偉大な肖像画よりもさらに美しい。そんな若いスターの死にあらわされるような映画雑誌的悲劇の生涯を送りたいと、彼女は望んでいた。でも、ハリウッドに出て死ぬために、自分が生まれ育ったオレゴンの小さな町を立ち去ることはついに彼女にはできなかったのである。
「グレイハウンド・バスの悲劇」

 アメリカのこと? ある時代の、アメリカの敗者たちのこと? そうとは限るまい。とはいえ、おれはヒッピーだかビートニクだかのように……陽気に負けたりはできない。一人で鬱々としているだけだ。ブローティガンは……どうだったんだろうな。おれは……やはり後者じゃないのかと思う。その最期がどうだったとしても。そんな気はする。

シャボン玉たちはとても死亡率の高い脈搏を打つ。
「正しい時刻」

 かといって、おれがブローティガンのとても寒い場所にいっとき出向いたとしても、おれの脈搏が正常になるわけじゃない。言いようのない恐怖がおれには取り憑いていて、それにすっぽり覆われていて……、『芝生の復讐』とか読んで、なにか確認するような気になる。しかし、どこかで、死に方を忘れたように、生きていたい、生きる場所がほしいと、なぜか探そうとしてしまう。おそらくおれにとってそれは、日の当たるところにはないんだ。そんなふうに思う。

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