「自分のなかに別の船を作っておけ」と伯父は言った

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母方の伯父の一人が臓器をいくらか摘出する手術を受けたという話を聞いた。臓器をいくらか摘出しても生きていけるのだから人間というのはすごいものだと思う。いや、生きていけるようにするために臓器をいくらか摘出するのだから医療というものがすごいのか。

その伯父は高度経済成長時代を生き抜いた東京のサラリーマンの勝ち組だった、のだと思う。なにせ銀座に住んでいたし、娘も二人育てあげた。定年退職後も顧問だかなんだかで会社に残り、しょっちゅうタイだかどこかで接待ゴルフなどしているという話だった。具体的な職種はよくわからないが、商社に勤めていた。入社試験のとき、筆記問題がよくわからなかったので、用紙の裏面に自分が会社に入ったらやりたいことを中国語でひたすら書いたら採用されたという。昭和の話である。その伯父とおれの父では伯父のほうが少し年上で、ともに早稲田大学の出だった。表面上は親族内早稲田閥ということだったが、まっとうなサラリーマンとは言い難がった父は伯父のことをどう思っていたのかはしらない。ふたりとも酒とタバコと麻雀を嗜んでいた。ただ、父は競馬をやらなかったが、伯父は競馬をやった。また、伯父は運動部に所属してわりと活躍したらしいが、父はべつの学生運動というやつに打ち込んでいた。人生いろいろ。

十年以上前になるだろうか、親族の集まりがあった。そこで伯父が人生訓のようなことをおれと弟に向かって話はじめた。おれの父親というのはそういうものをしない人間だったので、おれと弟は慣れない聞き手としてぼんやり聞いていた。

「自分の中に別の船を作っておくことが大切だ」

伯父はそんなことを言った。勤め人として生きる一方で、別のなにかを作っておけ、と。その「船」とはなんだろうか。サイドビジネスの発想なんかもそのうちに入るだろう。だが、サイドビジネスとは言わなかった。ボランティアとも言わなかった。ただ「船」と言った。おれは年長の昭和サラリーマンの話を聞くことなんぞめったにないものだから、「世の中のサラリーマンというのは飲みなどで上司からこういう話を聞くものだろうか」などと思っていた。

続いて伯父はおれを指さして言った。「おまえはなにか作っているみたいだから大丈夫だ」。つぎに、弟を指さして言った。「おまえはどうかな?」。

おれはおれの知らないところでなにか別の船を作っていたのか。少しいい気になってもいいところだったかもしれない。とはいえ、おれは本船すらおぼつかなく、泥船に乗り始めたころだったと思う。ましてやそこ以外になんら居場所なんてありゃあしなかった。なにを以て伯父がおれをそう見たのか今もってわからない。

そしておれは今も泥船にしがみついて、溺れるのを待っている。そしておれの中にも外にも別の船とやらは見つからない。おれは救命具もなにもなく海に放り出されて溺れることになるだろう。弟もおれと同じように大学を中退して(兄弟して親不孝ものではある)、ずっと溺れているところだ。世の中、船に乗れる人間と船に乗れない人間、何が分けるのだろう。おれにはよくわからない。

ともかく、伯父の人生訓はおれには活かされなかった。だが、そこのあなた、別の船を自分の中に作っておいてはどうかね? 悪い話じゃあないと思うぜ。まったく。