映画『天空の蜂』を観る

 「映画っすか? 『ピエロがお前を嘲笑う』ってのが評判いいみたいですよ」とおれ。
 「『蜂』がいい」と女。

<以下ネタバレあります>

 原作は東野圭吾東野圭吾は何冊か読んでいて、『天空の蜂』も読んだことがあったかなかったか、という程度。結局、読んでなかったんだけれど。まあ、東野圭吾原作ならそう大きく外れることもないだろうし、それなりにみられるんじゃないの、という事前予測。おそらく、映画体験としては『ピエロ』の方が良くも悪くもでかいような気がするのだが、無難な選択になった、というところ。
 で、結果的に言うと……デレデレデレデレ(←ドラムロール)……「妥当!」。まあなにが妥当かというとなんだけれども、少なくとも上映時間中に眠くなったり、背中が痛くなったり、トイレに行きたくなったりはしないよ、飽きさせはしないよ、というところ。うーん、個人的な感覚でいうと、そうだな、NHKが手堅く作ったドラマ(ちょっと前のピエール瀧が主演してた警察物とか)あたりだろうか。社会派(原発)もの、自衛隊もの、親子もの、刑事もの、いろいろつめ込まれてるけど、まあいいじゃんというくらい。わざわざ映画館で観るほどかというと、及第点くらいというか、テレビでもいいかというか(テーマ的にテレビで流れるかしらんが)。まあしかし、どこまで原作どおりか知らんが、東野圭吾に先見の明はあったというか、不幸なことではあるが3.11でつきつけられたものを先にやっていたなというのはある。
 その3.11がラストシーンになる、というのは当然原作にはないことだが、それで終えるのは悪くないし、無ければ拍子抜けないし「逃げたな」感があるが、とくに原発のことに触れないのであれば、目のアップ、操縦席、機体と引いていってヘリが飛んでって終わりでよかったんじゃね、ちょっと蛇足じゃね、というのもある。
 あとはなんだ、子供が偶然にも原発の上のヘリに乗り合わせてしまうわけだが、まあなんとかして救出されるわけだ。で、この時点で人質もいないし、もうヘリ撃墜しちゃえばいいんじゃねえの? というのが最大の引っかかりどころだった。目標はほとんど動かないでホバリングしてるだけ。陸から撃つのか、空から撃つのかわからんが、どんなにでかくても洗濯機一個分の核物質が含まれているわけでもない爆発物。爆風が大ダメージを与えるほどじゃあないだろうし、空で木っ端微塵にしちまえば降ってくる残骸ぐらい耐えられるんじゃねえの、と。人も避難できるだろうし、何なら「原発で一番安全なところ」に行きゃいいし。そのあたり、原作がどうなってるかしらんが、引っかかった。機体全部が原発の一番堅いところに落ちるのと、残骸が弱めなところに落ちるリスクを秤にかけたということかしらん。いろいろな人間ドラマやら犯罪捜査やらが展開するんだけど、やはりヘリの存在自体が話の肝だけに、なんとなくどうもすっきりしない。いや、ちょっとそのセキュリティ甘いだろ、とか、そこは警察が身柄拘束するだろ、とか、モールス信号短くないか? とか細かい部分もあるにはあるんだけど(モールス信号は長くなりすぎるのかもしらんが)。
 でもまあ、出演俳優陣はそれぞれに持ち味を出していて、「このキャラはないだろ」、「この演技はないだろ」みたいなのはなかったかな。うん、本木雅弘とか渋かった。いきなりのプラトーンだけは「?」となったけど。あー、まあそんなところ。『ピエロ』はレンタルになったら繰り返して観るわ。おしまい。

天空の蜂 (講談社文庫)

天空の蜂 (講談社文庫)