私的・惜別球人2016 その1

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三浦大輔

おれは三浦があまり好きではなかった。途中から好きになった。なぜか。二段モーションが禁止されて、ピッチングフォームが変わったからだ。おれは二段モーションが嫌いだった。だから、今やメジャーリーガーの岩隈久志なんかもあまり好きじゃなかった。とっとと投げろよ、という感じである。こればっかりは生理的なものである。おれは二段モーションに苦しんだことのある野球経験者ではない。ただ、見ていてそう感じただけのことである。

二段モーションのことは置いといて、三浦は立派な横浜のエース、いや、ハマのエース、ハマの番長だと認識していた。

ちなみに、おれにとって、子供のころの大洋のエースといえば遠藤一彦であり、「横浜ファンにとっての北別府学なんだろうな」と思っていた。あと、欠端とかいた、そんなイメージ。そして、斎藤隆、……えーと、川村丈夫のフォームは好きだったな。

番長の話だった。番長といえば最近はブログでのフレーム化が人気だ。だがしかし、横浜ファンにとってはもっと特別な存在であるに違いない。こればっかりは他球団ファンにはわからない。でも、たぶん、おれが子供のころに誇りに思っていた北別府みたいに、D.MIURA(この表記は好き)の背中を見てきた子供たちもたくさんいるんだろう。現役を退いてもヨロシクやってほしい。

 

倉義和

西山がいて、瀬戸がいた。石原がいて、倉がいた。そんな感じだったろうか。木村一喜もどっかに入ってくるだろう。鈴衛佑規残留していたが、それはそれとして。いずれにせよ、それほどすごい何かがあったかというと、そうでもないのが倉、という感じはある。ポジション転向の話が出るくらいバッティングがすごいとか、肩がものすごく強いとか、そういうのはなかった。なかったけど、なんかしっかりものという感じだった。黒田に倉のバッテリーなんてのは、堅牢な感じがする。いかにもチームにいてほしい控え捕手、という感じだった。「感じ」ばかり書いているが、おれにとってプロ野球とは生でアスリートの動きを見ることでもなく、かといって数字に注目しデータ解析することでもなく、「感じ」のスポーツなのだ。倉には倉の倉っぽい「感じ」があった。そういう選手だった。

 

廣瀬純

プロ入りして、中堅選手になり、ベテラン選手になり、ついに引退する。それなのに、いまさら「六大学三冠王」という肩書きは、本人にとっても不本意だろう。だが、おれにとっては「六大学三冠王」という肩書きキラッキラで、いつか緒方や前田や金本のキャリアハイに近い成績を残していく選手になる、と思っていた。廣瀬とて怪我もある中がんばって、それなりの成績を残した。ただ、おれのなかにある「六大学三冠王」という期待には届かなかった。それでも、見るものを唸らせる強肩があった。なにせゴールデングラブも獲っている。打撃でも、ポテンシャルの高さで期待されるなにかはあった。15打席連続出塁なんて記録もある。ただ、おれの中で、もっともっと爆発してほしかった選手である。惜しいな、と思える。でも、もう過ぎたことだ。ありがとう廣瀬、さようなら廣瀬。

 

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……てな具合で、引退選手の「感じ」を書き留めたいと思って、それで「その1」とか書いたけど、続くかどうか未定。