家族が過ごしやすい街「辻堂」 小島アジコ&801ちゃん家の日常と「辻堂」の魅力 - SUUMOタウン
鎌倉市民だった小学生のおれにとって、辻堂は藤沢の向こうにあって、茅ヶ崎とどっちがどっちだったかよくわからないゾーンだった。
中学生は逗子の私学へ行った。そこに辻堂から通ってるやつがいて友人になった。入院室のあるおおきな病院の子がいて、その病院の最上階に彼らの住居があった。よく、そこの麻雀室(全自動麻雀卓完備)を使わせてもらったりした。その子の祖母は麻雀の達人という感じで、牌捌きがかっこよかった。牌を切るときの音が違った。部屋にはいろいろの贈り物らしきものが封も開けずに積み上げられていた。
ほかにも辻堂のやつがいて、さっきの辻堂のやつとかと一緒になって、街区公園にブルーシートを引いて徹夜麻雀をしたこともある。その辻堂のやつは逗子まで自転車で通っていた時期があった。体育会系は違うなと思ったが、今考えると大船乗り換えで内陸を行くより、海沿いの134を行くほうが合理的なようにも思える。とはいえ、おれの辻堂だか茅ヶ崎だかは内陸の方であって、サーフィンだのなんだのとは無縁だった。
今、テラスモールのあるところは、なにもなかったような気がする。いや、小さな店などがあった。おばあさんが店番をしている古本屋があって、そこでは制服でもエロ本などが買えたのだった。おれはそこで生まれて始めてアダルト・ヴィデオを買った。女優さんの名前を書きたいところだが、五年くらいまえに忘れてしまった。「観月ありさ」のような名前だったと思う(観月ありさではない)。
辻堂駅から海まではちょっと歩く。待ちきれないならバスを使ってもいいが、歩いたっていいと思う。県立辻堂海浜公園のあたりにはサーファーなどが生息している。スーパーマーケットのオーケーがあったように思う。生活圏にオーケーがあるというのはいいことだ。辻堂海浜公園の総合案内板は今ボロボロだが、新年度にはきれいになるらしい。きれいになるのはいいことだ。
あと、おれはやはり中学に上がったところで辻堂と茅ヶ崎のどちらが「市」なのだっけ、というところがあって、おれが「辻堂のやつ」と書いたやつが「茅ヶ崎のやつ」である可能性もある。だが、間違ったところでだれも困らない。困らないのはいいことだ。