Watch out, the world's behind you.

今週のお題「海」
 鎌倉の実家にあったおれの部屋を思い出す。窓を開けたら、片瀬の山の上からは、遠くかすかに湘南の海が見えた。海岸線からどれだけ離れていたら海辺の育ちといえるのか。おれは少なくとも、海辺の育ちという思いは持っていなかった。ただ、南の方に海の気配、134から暴走族の音、真夏のビーチの気配、青、白、赤の江ノ島灯台。今となっては忘れがたい。言っておくが、おれは江ノ島の海で泳いだ覚えはない。海で遊んだこともほとんどない。
 おれが泳いだのは逗子の海だった。いや、泳がされたのは、だ。「速く泳ぎたいなら水泳部にでも入れ。体育ではきさまらが溺れないように平泳ぎしか教えぬ」、そういう方針の学校。そのために遠泳というイベント。おれの小学校にはプールがなく、プールの授業も少なく、非常に嫌な思い出だった。しかし、おれは結局平泳ぎだけは泳げるようになった。感謝していないわけでもない。いざとなったら平泳げる。悪くない。後年、教室から公道をわたって水泳の授業に行くおれたち、遠泳イベントのおれたちが、その筋の好事家たちの間で話題になっているのをインターネットで見た。今はどうなっているのか知らない。
 横浜には海がない。それは嘘、間違ってる、わかってる。でも、おれにはそう思える。あれは港であって海ではない。妙なこだわりの壁がある。ときおり中村川でクラゲと一緒に漂ってくる磯のにおい、気配ではある。しかし、みなとみらいならみなとみらいあたりに行って、海を見ても海という気がしない。おれの愛する横浜港シンボルタワーに行こうと、埋立地の釣り人たちのいるところへ行こうと。ただ、気配だけがある。
 おれにとっての海は砂浜、なのか。そう単純ではないようにも思える。かといって、閉じていない外洋などというスケールの大きな話でもない。いくらかの記憶がそうさせている。トポフィリアと呼んでいいのかわからない。おれが今後もし横浜からいなくなるとしたら、それでもやはり海のある街に行くことだろう。いや、気配さえあればいい。選ぶ権利などというものがあるとすればだけれど。