栗城史多さんの事故について

www.huffingtonpost.jpおれには山のことはよくわからない。ましてや、世界最高峰だのそういった超本格登山のことなど知りはしない。登山業界のこともまったく知らない。

ただ、「栗城史多」という名前は知っていた。もう数年前、まあかなり前のことだが、職場で流れているラジオのゲストに出てきたのだ。話が面白かった。いつも仕事に集中しているわけでもないおれは、ラジオに聞き入った。

そして、ちょっと名前を検索してみた。すると、おどろいたことに「栗城史多」はネット上でけちょんけちょんにされていた。曰く、あいつはインチキだ、フェイクだワック下山家だ、と。

そんなことがあるものだろうかと、いつも仕事に集中しているわけでもないおれは、いろいろ見てまわった。見てまわった結果、どうもネットで指摘されていることにはある程度の確からしさがある、と判断した。なんであろうと一発で「ネットde真実」というのは避けたい。が、ネットにも確からしい情報はある。もちろん、ソースになりうる確かな情報もある。とはいえ、おれは登山のことを知らない。知らないから、べつに「栗城史多」がどちらであろうともいいと思った。

その後も、ちらちらと名前を見かけた。指を切断したというニュースも見た。そして、今回の訃報である。なんともいえんよな。まったく。東大受験だの、メジャーリーグだのといろいろなたとえ話を見るが、元をしらないおれにはそれが正しいのかどうかはわからん。わからんが、単独だの無酸素だのは知らんが、実際に指を壊死させてまで(ネットで語られているその原因は本当なのだろうか?)8,000mとかいう山に登っていたのは確かなわけで、登山家ではない、というわけではない、とも思うのだが、やはり登山家としてどうだったのか、というところは、登山業界が検証すべきことだろう。

もし、メディアと後援者、あるいは純粋なファンによってひくにひけないなくなっての事故だとしたら悲惨だ。一点の曇りもない登山家がアタックに失敗して死ぬよりも悲劇だろう。いや、それよりも自分自身に対してひけなくなって判断を失っていたとしたら? あるいは判断の上で死に場所を求めていたとしたら?

やはりそこには冒険家の悲哀がある。おれのなかには、「実際に死んだやつはえらいんだ」という妙な価値観があって、どうにも悲しいところがある。ラジオでの話は面白かったし、悪いやつじゃないと、今でもそう思っている。