これはもうなにもかも全部だめになるんじゃないのか

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新型コロナウイルスの緊急事態宣言が延長された。

おれは急に怖くなった。おかしな話である。おれは一週間前くらいから「これは延長されるだろうね」と思っていたからだ。予想していたとおりだ。けれど、昨夜、「五月末まで延長」のニュースを見て、「ああ、もうこれは無理だ。なにもかも全部ダメになる」と思ってしまった。

おれは楽観的だったのだろうか。悲観でもない、楽観でもない、傍観者のような気持ちでいた。

診療所のクラークさん - 関内関外日記

「世界中ひどい状態なので、かえって気が楽なくらいです」

そうだ、おれは三密だのなんだの言われる前から、そんなにアクティブな人間ではなかった。県外どころか市内から出ることも稀だった。たまに映画館に行って、散歩といえば図書館まで。金がないので、やれライブだ、やれ旅行だと、そんなに動く人間ではなかった。まったくなかったわけではないけれど、おれの日常というものはほとんど変わらなかった。会社に行って、昼にコンビニで飯を買い、三日に一度はスーパーに寄るくらいで、まっすぐ家に帰る。外で飲む金もないので、家で飲む。おれの日常はほとんど「新しい生活様式」に対応していたといっていい。

そんな底辺に近いおれだから、上から落ちてくる人もいるかな? おれと同じくらいの人が落ちたら、もう底抜けだよな、くらいに思っていた。なにか、他人事。おれは観光業でも飲食店勤めでもパチンコ店勤務でもないので、まだしばらくは大丈夫だろうと思っていた。ニッチな職業なので、最後まで立っていられないか。邪悪さを披露するならば、「あのライバル会社が潰れたら当分安泰だろう」とすら思っていた。

が、なんというか、そういう気持ちが抜け落ちた。「ああ、本当にだめになるのだな」という思いに支配された。おれのグレイトフルライフも今日まで。そう思った。聞けば、公務員を辞めて自分の店を持つために居酒屋で働いていた親戚も、店が閉まって失業状態という。他人事ではない。もとから他人事なんかじゃなかった。底辺にはあまり変わらない世界になっていると思っていたが、おれの底辺というものから、さらに突き落とされる。それが決まっている。おれの底辺の次の下というと、寿町行きということになる。最近は炊き出しも自粛になって困っているという。

空虚な首相の言葉を、テレビのニュースで聴きながらこれを書いている。この首相には巨大なる空虚を感じる。日本の権力の中心とはそういうものだったろうか。それとこの人の持つ空虚さは別物だろうか。まあ、もうおれには政治家も専門家も関係ない。おれはもうだめだと定まった。

ただ、死ぬのはおれ独りではないだろう。多くの人間が、おれより先に、そして後に死ぬだろう。塗炭の苦しみのなかで生きつづける人もいるだろう。もちろん、余裕綽々で生きられる人もいるだろう。とはいえ、やはりなにかこう、もうこれは全部だめになる。徹底的にだめになって、もしも回復があるとすれば数十年かかる、百年かかる、そういう気になっている。

おれは三月の初めにこう書いた。

一市民が書き残す新型コロナウイルス日記 - 関内関外日記

なんというのだろうが、不穏当なたとえになるが、対人地雷、それも殺さないくらいの威力の対人地雷が思い浮かぶ。一回の爆発で一人殺すよりも、足が吹っ飛ぶくらいにして、二人ぐらいの兵士が助けにくる方が、あわせて三人分の兵力を削ぐことができる。そんな具合の巻き添え感というか……。

いよいよ、おれ自身が地雷を踏むときが来る。そう遠くない。おれはなんとなく今年は生きられる、今年までは生きられると思っていた。去年くらいにいはそう思っていた。オリンピックを見て、すばらしいストライクウィッチーズを見て、ともかく2020年までは生きようと思っていた。オリンピックはなくなった。昨今のアニメ状況を見ると、すばらしいストライクウィッチーズもどうなるかわからない。ステイフーリッシュやメイショウテンゲンが再び重賞を勝つのを見られるかどうかわからない。会社で、在宅勤務になった人と二度と会うことなく死ぬのかもしれない。

おれはもうずっとだめだった。だめなまま生きてきた。世界がだめになったら、おれはもっとだめになるだけだった。おれはこの二ヶ月、三ヶ月、なにをのんきな心持ちでいたのだろうか。わかっちゃいなかった。それをわかるほど賢くないから、ろくな技能も、蓄えもないのだ。社会のごみだ。ごみから捨てられる。地雷を踏み抜いて両足を失っても、だれも助けにこない。それだけのことだ。

 

 

 

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