『生命の意味論』多田富雄 その1

goldhead2006-03-22

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 多田といえばスコーピオンを想像される方も多いやもしれぬが、こちらは免疫学の大家にして、新作能まで手がける多田富雄先生である。多田先生を初めて知ったのはNHKのドキュメンタリ番組で、大病を患いながらもその知的冒険心とダンディズムを失わない姿に感動したのであった(id:goldhead:20051215#p1)。そして、先日古本屋で見つけたのがこの『生命の意味論』であった。たしか、実家には『免疫の意味論』があったように思うし、順番的にそちらからの方が筋かも知れないが、えり好みできる立場でもないので仕方あるまい。
◆第一章 あいまいな私の成り立ち

すべての生命現象、発生から死に至るすべて、人間の知能や運命までもが、受精卵中の遺伝子によって決定されていると考える人は少なくない。私はそれを「拡大された前成説」と呼びたい。p11

受精卵に含まれている遺伝子の総体、すなわち「ゲノム」は、個体の生命活動の設計図のすべてを含んでいるが、その設計が実現されていく過程には、環境からの働きかけや偶発的な事象、すなわち「後成的(エピジェネティック)」な現象が多く含まれるのである。p11

 拡大されてない前成説とは、精子とかの中にちっちゃな人間がいるとかいう考えのあれである。で、俺はたまに見かける「遺伝子が全部決める」的な意見には違和感があったんで、なるほどという感じだ。だいたい、競馬にしたって全兄弟なのに雲泥の差が出ることがあるのは当然の話であって、それが調教師の腕だけで左右されるものとは考えにくい。いや、全兄弟じゃ元から離れすぎているか。でも、一卵性双生児でも遺伝病が必ず両者に出るものじゃないという。
 これを実証するところの実験や分子だのホルモンだのの名前なども書かれているが、華麗にスルー。「実証」って言葉で合ってるのかどうかも自信がなく、分子だのホルモンだのの「だの」を指す言葉もわからないので。でも、サイトカインはキーワードになるようだ。

サイトカインは、いろいろな細胞の間で、相互調節するための更新に用いられている情報分子なのである。p14

サイトカインのキーワードとしては、冗長性、重複性、だらしなさ、多目的性、不確実性、曖昧性などあまり自然科学では用いられない言葉が当てられているのだ。p15

 この分子群とかいうのが、受精卵から個体発生の過程を動かしているという。そういうわけで、かなり偶発的で不確実なところがありつつ(前成説的でなく)われわれの人間の形が成り立つらしい(「ばらばらに書かれていた遺伝情報がドミノ倒し的にかろうじてうまくつながりあって自己生成」)。

 しかし、こうした偶然性を持っているからこそ、生命の個別性、そして個体の不可分性(インディビジュアリティ)が成り立っているのである。私が超(スーパー)システムとして発生の過程を考えたのは、このためである。p21

動物がその形を作り出す過程には、造物主である遺伝子DNAにばらばらに書き込まれている情報を次々にひき出しながら、自分で自分を作り出すプロセスが含まれているのだ。p22

私というものは初めから決まってはいなかった。細胞間の段階的な情報交換の結果、なんとかうまく生成することができる危うい存在だったのである。p24

免疫というのは、こうしたさまざまな細胞が協力しあって、大がかりな「非自己」排除作戦を営む、「自己」の反応体系なのである。p25

(超システムは)あらゆる可能性を秘めた何ものでもないものから、完結したすべてを備えた存在を生成してゆくシステムである。p30

「自己生成」「自己多様化」「自己組織化」「自己適応」「閉鎖性と開放性」「自己言及」「自己決定」p33

超システムに目的があるかというと、ないのではないかと考えている。p34

超システムは、直接の目的を持たないシステムとして発達してきた。システム自体が自己目的化してきたシステム。超システムは超システム自身の内部的な目的で、新たな要素を追加し、複雑化させながら進化してきた。p35

言語も都市も国家も、高次の生命活動であると私は思う。p36

 長々と引用してしまったが、これがざっくりとした「超システム」「スーパーシステム」の概観というか、核心だろうか。われわれの細胞から身体―都市―国家、あるいは言語も共通するもので成り立っている。それが「超システム」である。……こういう考えは何かとてもしっくりくる考えではないだろうか。おそらく、遺伝子も細胞もわからなかった大昔から、人類は直観的にそういう発想を持ってきたのではないだろうか。洋の東西を問わず。ウィトルウィウス空海。それが現代先端科学の目によっても同じようなことが引き出される。だからといってこれがある種の真理なのか、あるいはそれをどう立証するのかもわからないが。
 ところで、こう断片的に引用してしまうと、フィリップ・K・ディックの「ヴァリス」を思わざるをえない。が、あれは「巨大にして能動的な生ける情報システム」であって、「自動的な自己追跡をする負のエントロピーの渦動が形成され、みずからの環境を漸進的に情報の配置に包摂かつ編入する傾向をもつ、現実場における摂動。擬似意識、目的、知性、成長、環動的首尾一貫性を特徴とする」ので、目的性の点で違うのか。いや、システム内部の目的というやつがめぐりめぐる環動的首尾一貫性なのだろうか。感動的!

◆第二章 思想としてのDNA

 免疫系は、このようにして造物主DNAの決定から自由になり、さまざまな偶然を取り込みながら、個体ごとに別々のレパートリーを作り出すようになる。生命の個別性というのは、利己的遺伝子の指令で百パーセント決められていたわけではなかったのだ。p52

 「利己的な遺伝子」といえば、ドーキンスのあれだ。本自体は読んだことがあったっけ。挑戦したような気はする。少なくとも、竹内久美子は読んだ。竹内久美子じゃだめですか? まあいいや。あれは「DNAの擬人化」であり、一種の「拡大された前成説」みたいなものだという。それでもって、著者が「このように」説明したように、DNAはかたくなに自己複製のみをする存在でなく、「しなやかな」姿を見せる。生物がDNAの乗り物なのではなく、DNAが生物に利用される乗り物なのである。

◆第三章 伝染病という生態学エコロジー

宿主である人間の側は、免疫系を進化させながら微生物に適応してきたわけだが、微生物の方も宿主に適応するような変異を起こして共存をはかったとみることもできるかも知れない。DNAの産物の間の角逐を、垣間見る心地がする。p75

 「アアア」という名前の伝染病、そしてペスト、エイズ、インフルエンザ。それら伝染病はDNAの生態からも見る必要があるという。しかし、かつて猖獗を極めたペストがなぜほぼ終熄したのか、はっきりした説明がないというので驚いた。その説明の一つとして、ペストとよく似ているが無害の兄弟菌が発見されており、それが免疫になっているのではないかという話。いつかエイズも自身を宿主を殺さぬ形に進化したりするのだろうか。


◆第四章 死の生物学

驚くべき事に、生物学には「死」という概念はなかった。p79

医学では人間は不死であるべきだったのだ。p80

 本当に注目をあびたのは、一九七二年に三人の病理学者が、この現象にアポトーシスという名を与え、概念化したときからであった。術語というものが、いかに科学の発展や思想の形成に重要であるかを示す好例である。p82

 俺はこの「術語」を「述語」だと思いこんでいた。なるほど科学の世界は「述語的」なのか、そういう早とちりである。この「述語的」というのは松岡正剛がよく述べているような発想で、この場合も「アポトーシスする」ことが生み出されたことによって、「死」についてがらりとある見方が広まったのだと。いや、「術語」、テクニカルタームのことでした。いやはや。
 この章に「エレガンス線虫」なる虫が出てくる。実験体として適していて、ファンがいるという。名前の由来はエレガンスにのたうちまわるかららしい。なんだそりゃ。

「自己」らしさを創出し存続させているのは、それを疎外するような細胞を積極的に死なせているからなのである。p93

◆第五章 性とはなにか

性の明確な区別を常時もっている動物は、自然界ではむしろ限られている。P102

 柴田亜美の『南国少年パプワくん』に雌雄同体のナメクジが出てきたが、ああいうことである。魚類でも雌雄同体のものもあれば、群の中でハーレムを作るオスを取り除くと、別のメスがオスになるもの(ベラ)、若い間はオスで歳を取るとメスになるもの(クロダイ)まであるという。初めて知った。

Y染色体の方は他には重要な役割がなく、なんとかして男というものを作り出すためだけに存在しているという印象を受ける。P105

同性愛はまさしく、人間の性の生物学的他型性の中のひとつの形なのである。p113

私には、女は「存在」だが、男は「現象」に過ぎないように思われる。

 よくネット上などには「ホモゲイは生物としておかしい」的なろくでもない煽りが出てくるが、生物学的に見ても普通の存在であるという話が紹介されている。ホモフォビアの人の意見は、ほとんど自己免疫不全なんじゃないかと思えるような極端な思いこみが激しいが、そもそも、生物が目的のない超システムであるならば、生物的に死ぬべき存在なんていうものはありえない。死ぬかどうかは体内の免疫が勝手に決める。さらに、性の分かれていく過程を見るに、本来女ベースのところにY染色体が働いて男になるということらしい。故に、男に女は内包されているが、女にとって男は「異物」なのだという。男は「現象」だと言われると、よくわからないが、行き場なくさまよう一匹の精虫にでもなったような気分になる。母なる大地をさまよう精虫の俺。
 そういえば植島啓司の『男が女になる病気』(ASIN:4087487865)という本をずいぶん昔に読んだ覚えがあるが、タイトルばかり印象に残って中身の記憶がない。探し出せたら読み直そうか。

つづけ