『カッコ―の巣の上で』監督/ミロス・フォアマン

カッコーの巣の上で ― スペシャル・エディション [DVD]
 名前だけなら知っていたこの作品。いつか観ようと思いつつ、ついに観た。事前に知っていたのは、精神病院を舞台にした作品であるということだけ。それで、作品紹介文をあとから読んで違和感を覚えた。次の部分である。

オレゴン州の精神病院に、型破りな人間ランドルが送られてきた。仮病を使って刑務所を抜けだしたのだ。

 俺は作品を観ながら、こう断定はできなかったのだ。むしろ、そこはわざと曖昧にしているとすら思った。確かに温泉プールのシーンで、病院で刑期分過ごせば出られると勘違いしていたことが明らかになる。しかし、それ以外でランドルが「俺は病気じゃない(俺は病気が治った)、ここから出してくれ」といっさい主張してはいないはず。電パチなどの目に遭っても、それは変わらない。最後まで、だ。冒頭の院長との会話でも、「ミスター・マクマーフィが何者なのか知りたい」と自分で言ったあの台詞、あれは一つの本心ではないのだろうか。
 それゆえに俺は、仮病、詐病の類いではなく、また本人もそういうつもりはなかったのではないか、と思えた。病院に行くためにわざと、ではなく、自分の心に従って暴れた結果が病院送致だった。そして、自分の暴力的な傾向は、実は病気ではないかという自覚が半ばあったのではないかと。そう、今ならば境界性人格障害の一種だとかなんだとか、性格や気質ではなく病名付きになるようなタイプ。また、そうであるからこそ、他の患者をあまり見下したりはしなかったんじゃないかとか。となると、映画の見え方が紹介文とはずいぶん違ってしまっていた。すわなち、この作品のテーマであるとされているらしい「反体制」という見え方がなかったのだ。
 確かに病院の管理体制の厳しさは描かれているし、それに対する抵抗、反抗もある。しかし、俺には、マクマーフィが自由に、自分のしたいようにふるまっているだけであって、他の患者を煽動、オルグしているようには見えなかった。おそらく塀や病院の外と同じようにやっているだけ、「授業中にガムを噛む」といったものの続きに過ぎない。ワールドシリーズが見たかったのだって、ワールドシリーズが見たかったんだ。で、この反社会性は外でだって居場所がなくなる。その行き場のなさが、何度も脱走のチャンスがあったのに、この巣に留まらせることになった。自由を求めながら、どこにも自由が無い。その矛盾が、彼をあそこで眠らせてしまった。違うだろうか(もっとも、俺はあのシーンを観ながら「向精神薬かなにかを飲まされていたせいで、アルコールが効き過ぎてしまったのだな」とか、えらく即物的に考えていたのだけれど)。
 もっとも、これは、今この時代から観ているゆえの感想かもしれない。あるいは、原作では主人公がはっきりと強制労働を忌避して病院に逃げるという描写があるのかもしれない(見沢知廉が刑務所で似たようなことをしていたっけ)。でも、俺はこういう風に見た。
 俳優などについて。ジャック・ニコルソンは完璧だった。38歳で頭ハゲかけていて、そういうやつなんだ、って説得力ありすぎる。しびれる。巨体のインディアン、チーフの存在感もものすごいものがある。これももう、なんとも言えない。あと、ギョロ目の見覚えある顔、最後まで誰だかわからなかったが、キャストで見たら『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドクだった。こんなところに入っていたのか。
 ああ、しかし、やっぱり、名作と呼ばれ、語り継がれる作品には何かしらスゲェところがあって、まあ、これもそれだ。もう、見て、打ちのめされるというか、腹の中に重いものがズンってきちゃう。あたし、とっても心乱されて、ちょっと眠れなかったんです。あのラストシーン、ちょっと頭はなれないんです。