現代の少年たちについて思う

 世界最古のパピルスに何が書いてるのか調べてみたら、「最近の若者はなっていない」と書いてあったという笑い話があるように、何時の時代も年長者は若者のことを嘆くというのは古今東西変わらないものであるというのは、多くの人が識るところである。しかし人間というのはやはり愚かなものであって、自分自身の事柄や自分の世代の事柄、身近な事柄に関してはそういった大きな認識などどこかへ行ってしまって、どうにも「今の子供は」と言う様な思いを抱くこともしばしばなのではありませんか。良い悪いといったことに限らずやれ「○○を知らない」、苦労知らずだ、ゆとり教育だ、昔はもっとしつけが厳しかった、また、ガキ大将自慢などが始まるのも、何も居酒屋の中年諸氏などではなく、おそらく二十代そこらのインターネット上のやりとりなどでも往々にして見られるのだから可笑しいが、何を言う私だっていろいろと思うところはある。
 その一つ、些細で愚かしい話と思う人、また、ご婦人など眉を顰める話なのではあるが、女体への好奇心、エロいものを求める探求の精神に関してそう思って来たのである。「最近の子供はインターネットの検索でマンコだのヴァギナだのと入力すれば、もうその画像が見られる。なんと味気ないのか」と。想像力の欠片もない、と。私たちの世代が、それを追い求めるというのは、まさに社会のタブーとされているものでありましたから、やはりその道に通じた少年というのはどこの教室にもいるのでしょうが、それがどうにかして手に入れてきたある種の猥褻本などをのぞきこむ、そんな悪徳の魅力のどす黒い感触。親や大人達に知られてはいけないという緊張感。ああいったものを、今のインターネット世代には無縁であるのだろうと、空き地のエロ本や、遠くの本屋にエロ本を買いに行った経験など無く、あるいはもう、進んだ性教育のせいかもしれないが、多くの小中学生が実際に性交をしているのではないかと想像すると、口惜しくて歯軋りしてしまうようである。
 ところがどうだろう、やはりそんな私の思いこみも、パピルスに笑い飛ばされる類の視野狭窄であるに違いない。
http://ok.halhal.net/~senichi/j/news-topics.htm

コロラド州】猛烈にムラムラしていた15〜19歳の3人の少年が「インターネットでポルノを見よう」ということになった。
 しかし、家では家族がいるため見ることができない。というわけで、インターネットに接続されているパソコンがある地元の公民館に押し入って、それぞれパソコンでポルノサイトにアクセスしてシコシコ。
 3人とも第2級侵入罪で逮捕されたがすぐに釈放された。(ABCデンバーチャンネル)
(2006.8.14)

 どうですか、この誰しも身に覚えのある、実行するしないはともかくとしての愚かしさ。アメリカだから日本と違うというのもインターネットなどのグローバリゼーションの前では無意味な比較である。15〜19歳のくせにガールフレンドもおらず、猛烈にムラムラしてこれです。正直、オナニーは一人でするものという認識が私にはあって、多少こういうノリに実感するところはないが、ムラムラするのはわかる。インターネットがあるからといって、誰しも自由にインターネットが使える環境にあるという個室化はまだなっておらず、また、家族にアクセスの記録など辿られて、いやらしい言葉の検索記録など見られては、ベッドの下のセクシーピンナップを発見されるより遙かに自らの性的嗜好を明かすことになって、少年の心は絶望するのである。グラビアアイドルのセクシーピンナップの下の下に本当の宝物を隠すのが、パンツの中の本当の私が主張するべきアドヴァイスである。
 万事が万事、そのように、本当のものは偽物のものに守らせるべきであって、偽物のものはあたかも本当の物の持つ恥であるべきであって、それこそがデコイの役割であって、善良さはペルソナとしては不適格なのだ。私は本物と偽物の擬装をしすぎたがために、何が本物か自分でもわからず、ただうつろう人間になってしまった。これについてパピルスにはなんと書いてあったか?