http://www.asahi.com/national/update/0626/OSK200706260069.html
「赤ちゃんを抱いているお母さんに無性に甘えて頭をなでてもらいたいと後ろに回って抱きついた。性的なものは期待していなかった」
山口県光市母子殺害事件。裁判前から弁護団の言動に違和感覚える人多く、いざ始まってみたらまんまそのまんまだった。
俺は、弁護士が、被告人が被告人自身の利益と考えるものに沿うように、ときに世間常識から遠ざかり、ひとびとや被害者の感情を逆撫でするような弁護を繰り広げざるを得ないというのは理解できる。もちろん、だからといって法廷内外で何言ってもいいってわけではないと思うけれども。
で、世間のひとびとの一人としては、やっぱりこの弁護方針には「?」となる。今までは年齢などを
……と、ここまで書いて、「ちょっとした更新」でいったん止めて、また書く前、Yahoo!に続報。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070627-00000070-jij-soci
「亡くなったと分かって絶望し、ドラえもんが何とかしてくれると思い、押し入れの天袋に入れた」
まあ、なんというか、なんなんだろうね。どうしてこう、今さらこれ、なのだろうかね。今までの取り調べや裁判、あるいは獄中からの手紙で、こんな素振りはなかったじゃない。それに、何回も接見している神父さんだか牧師さんだかも、この弁護団がつく前は、「死んだ母親が原因で」って流れを、他でもない元少年本人が嫌がっていたとか言ってたのに。
しかしまあ、何だか奇異に映るけれども、弁護団も裁判のプロ。「もはやこの状況では、この道しかない」あるいは、「この道が死刑回避への確率が一番高い」と、戦術的に判断したんだろうけれども。けれども、なんかもう、「こいつは凄いクズで最低の行為をしたけど、生い立ちの事情もあったし、まだ若かった。頼むから、頼むからチャンスを下さい!」と正面から平謝りした方がよかったんじゃないのかね、とか思う。それでも、今さら感はあったかもしれないけどね。でもさ、ドラえもん(こんな件にドラえもんの名を使うな!)よりはマシじゃないのかって。
それにしてもなんだろうね、これ、この元少年の内心はどうなってるんだろうね、死刑に対して。最初は、未成年だし逃げ切れると思ってた、信じてたんだろうな。控訴棄却で逃げ切ったと思ったんだろうな。ところが、急転直下の差し戻し。いきなり死刑に直面。そこで助けに船と現れた大弁護団。しかし、弁護方針は「お母さん」、「ドラえもん」、「儀式」、どうも興味は自分でなく死刑制度にあるとかいう話もある。でも、他に頼れるものもなく、変な茶番みたいなことを法廷で言わされながら、一歩一歩死刑台に近づいている実感。滑稽なあやつり人形、でくの坊。
なんかものすごい不条理の中にいると感じているのかもしれない。が、それはかつて自らが引き起こした不条理の報い。赤ん坊なんて、逃げるチャンスすら皆無だったんだから、それに比べてお前は、ちょっとなんかずれてるように見えるけど、弁護してくれる人間が二十人ばかしいるだけ恵まれている、という具合。もちろん、残された者にも長く不条理な苦しみを与えるものだったしさ。
いや、まあ、この路線変更、弁護団の書いた絵という前提で書いてきたけど、ディテールはともかく、「殺人じゃなかったことにしたい」と被告人が言い出したりしたのかもしらん(反省する気もないし、そう見せるのすら嫌なようだから)が、まあ、いずれにせよ現状はこうだ。この件、どうなるか、気になる。
______________________
俺はそもそも内心で死刑に賛成の反対、反対の賛成、五分五分なつもりでいる(id:goldhead:20060621#p2)のだけれども、こういう個別の件に思いを巡らせば、やはりどうしても死刑制度賛成、というより、制度自体に考えが及ばなくなる。理性の死刑反対、感情の死刑賛成が頭の中にあるとすると、後者が勝る。もちろん、世の中の賛成、反対それぞれにそれぞれそのような感情、理性、感情と理性、いろいろ入り乱れてくっついているのだろうけれども、個別の件を見て、被害者への同情や犯罪者への嫌悪といったものと無縁にはなれないように思う。思うのだけれど、死刑を廃止した国もある。さすが西洋、理性が感情を押し切ったか、と、そんな一面的な見方で言い切れるはずでないかと考えながらも、そういう発想が思い浮かびもしたのであった。