金子ふみ子の『なにが私をこうさせたか』を読んで、これはたいへんなものだと思ったが、「そこでエンドか!」というところで終わっているところもあり、それはそれでいいのだけれども、その後も気になるというものである。それでいろいろと読んでいて、松本清張が『昭和史発掘』という著書で「朴烈大逆事件」について書いているというので借りて読んでみた。まあ、ネットでもいろいろと拾えるけれども。
- 作者: 松本清張
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/03/10
- メディア: 文庫
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ちなみに、おれは松本清張の本を読んだことがなかった。ただ、たぶんこないだ読んだ鶴見俊輔の本の中にその名が出てきて、少し意外に思うことが語られていた……ような気がする(『戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く』を読む - 関内関外日記だろうか、全集の一冊だろうか)。たしか、天皇に絡む話であったか、アナーキズムであったかなんであったか、なにか出版社が嫌がるようなことに対し、それを掲載だったか出版だったかしないのであれば、自分が原稿を書かないぞと圧力をかけた云々、と。おれは松本清張といえば推理作家のイメージしかなかったので、そんな話もあるものかと思ったものだった。
そういえば、鶴見俊輔は金子文子を評価していて、きちんとした教育を受けていないのにあそこまで行ったのはすごいみたいなことも書いていたと思う。ところで、鶴見俊輔の祖父といえば後藤新平。この『昭和史発掘』で松本清張は関東大震災時に内務大臣だった後藤新平について、台湾で「民政長官をやっていたときは台湾の人々を何千人も殺している。その殺し方は、関東大震災のときの朝鮮人虐殺よりひどい」と書き、朝鮮人虐殺の目を逸らすために朴烈大逆事件をでっち上げたという説を肯定的に紹介している。その説というのは山辺健太郎という人の説らしいが、この山辺という人が一進会を幽霊団体としていたことについて(学会がイデオロギー的に支持していたことについて)、『権藤成卿』の著者が痛烈に批判していたのも最近読んだばかりだ。なにかようわからんが、同じ時代に書かれたものについて読むと、いろいろ繋がってくるようだ。
……しかし、本が買えない、手元において置けない、確認できないってのは、読書の意味の半分位そぎ落とされたような気になる。ブルジョア生まれとしては辛い。
その後の金子ふみ子
事件詳細や裁判の過程などについては、いちいち感想の書きようもない。だいたい「大逆事件」とそのものがでっち上げに近く、あるいは両者がそれに敢えて乗ったようなところまであって、なんといっていいかわからん。それにたとえば、ウィキペディアにも載っているいわくつきの写真なんかからも、いろいろな裏があり、それこそ昭和史発掘というものなのだろうが、おれにとって興味があったのは金子文子(この本ではこの表記)の人となりだ。自伝以降のこと、裁判で何を言ったのかなど、そのあたりだ。また、客観的に、というにはなんだけれども、いくらかでも当時のひとがどう見ていたか、あるいは松本清張がどう見ていたかというあたりが気になったのである。まあ、結果としてそれほどそのあたりは本筋でないので、実り多き読書とは言えなかったかもしれない。少しばかり抜き出す。
文子の頭脳の良かったことは確かで、予審判事の前で述べた彼女の思想も理路整然としている。ことに板倉受命判事に思想関係をきかれたとき、「あなたは話してもわからないようだから、書いてお目にかけましょう」といって、二十分くらいの間にたちまち十枚ほどにまとめた文章を書いてみせた。板倉判事は、じつに達筆なのと、その思想のまとめ方の早いのにおどろいたという。
また、立松判事も文子の予審結審が近づいた第十七回訊問では、
「被告は目下の生活方法を変換して、自然科学の研究方面にでも没頭するわけにはゆかぬか?」
ときいたが、文子は、
「もし、私に生を肯定することができるようになれば、あるいはおたずねのように自然科学の研究にでも入ることが一ばん私の気持ちに近い生き方でしょう」
と答えている。
というわけで、書き遺されたものを読んでもわかるように、そうとうな才のある人には違いないのだ。ただ、「もし、私に生を肯定することができるようになれば」とあるように、なにかこう、無政府主義というよりも虚無主義(……といっても、おれは虚無主義というものについて、その字面から受ける印象程度くらいしか持ってないのだが)に近いような感じだ。『なにが私を〜』にこんな一節があった。
それは、たとい私達が社会に理想を持てないとしても、私達自身の真の仕事というものがあり得ると考えたことだ。それが成就しようとしまいと私達の関したことではない。私達はただこれが真の仕事だと思うことをすればよい。それが、そういう仕事をする事が、私達自身の真の生活である。
私はそれをしたい。それをする事によって、私達の生活が今直ちに私達と一緒にある。遠い遠方に理想の目標をおくものではない。
実のところ、おれは少しこの「遠方に理想の目標をおくものではない」という性急さには違和感を持たざるをえない。というか、当時の社会状況と今の差があって、おれの生まれ育ちと彼女のそれとは違いすぎるのであって、違って当たり前なのだが。この、現代日本なら日本、あるいは世界なら世界で金子文子のように悲惨な目に遭っている最中の人もたくさんいるだろうし、「今直ちに」の問題なんだ、という声だってたくさんある。おれはまだ紙一重だ、というところもある。ただ、否が応にも時計の針は進み、状況は刻一刻とかわり、おれの場合は悪い方にしか行かないのだし、毎日、毎日、毎日、目にしている寿町の年寄りたち、すごい量の空き缶を積んだ自転車乗り、歩道橋に干したままにして雨に降られ、そのあとすごいにおいを発している毛布、あれらの世界はあまりに身近にありすぎる。おれと、そことの紙一重。おれが56億7千万年後と嘯いていられれるのもただ今のこの瞬間の話にすぎない。やられる前にやるのか、やる勇気があるのか、まあまったく人生を生きる? ということから逃走してきたおれに、選択肢を選びとる、実行するということは大いに苦痛なのだけれども。
まあおれのことはどうでよろしい。金子文子のことである。どうも取り調べの流れとしては、金子文子が皇太子殺害の計画を先に話、後に文子がそう言うのなら、という形で朴烈が追認していったという形のようだ。細かいいきさつについての供述は記されている。ただ、そのあたりは、それぞれにどういう意図があったのかは推測の域をでない。もちろん、取り調べ側の意図というものが大きくある(検察のやり口については幸徳秋水の陳弁書に述べられているところから、この現在までたいして変わってないんじゃないのか)。大逆事件の実態については、ほとんど無いものといっていいようだ。松本清張は朴烈の供述を引用して「論理的とはいえない」と評した上で、こう述べている。
この論理的でないというところが朴烈と文子の「経過」全体についていえることだ。端的にいうと、爆弾を手に入れたら、ああしようこうしようといっただけだった。言わば朴と文子の机上プランである。しかも、それは過剰供述によるもので、実態ははなはだ模糊としている。上村進弁護人が「陰謀と称せられるものは夫婦の寝物語にすぎない」といったのは、この辺の事情を指摘している。死の寝物語であった。
かくして、死刑判決を下されるもすぐに恩赦にて無期懲役に減刑。ただ文子はそれをも破り捨てる。破り捨てて獄中に入り、自殺する。ただ、この自殺もいろいろの説があって、謀殺説もあればあえて麻糸を扱う懲役にあたらせて自殺をすすめたという話もある。当時の右翼による反政権の攻撃材料としては、文子が朴烈の子を身ごもっていて刑務所内の堕胎手術失敗による死亡なんていうひどい話まである。そして、自殺だとしても、文子の意図もやはりいろいろの推測しかできない。このあたりは、もっといろいろの本に当たらねばならないのだろうが、やはりその書き手の見解の域は出ないだろう。しかし、考えてみる価値はある。
文子の墓は韓国の山中にあって、ネットで見つけた現地紀行文では静かな山中、自然の中にあるということで、まあ文子の思想にとって墓がなにを意味するかはともかくとして、その点はいくらか悪くないようにも思える。
その後の朴烈
さて、文子の運命の人である朴烈であるが、正直言って今のところよくわからない。いろいろの意味でよくわからない。wikipedia:朴烈
あ、そうだ、瑣末なことだけど彼らの出していた機関誌『太い鮮人」の「太い」が「不逞」とかけてあるという渾身の掛詞に、この『昭和史発掘』でルビ振ってあることで初めて気づいて、なんか申し訳ないというか、もっと駄洒落をもっと磨かねばなどと思ったりした。まあそれはともかく、はじめ民族主義で、それが無政府主義になり、ついで虚無主義者になったという。公判準備手続で判事から虚無主義の実現を例をあげて言えと問われ、こう答えたという。
「地球をきれいに掃除すること。その第一歩として国家、ことに自分の関係深い日本帝国を倒すことである。地球を掃除したならば、なんにも無くなる。が、できるなら地球をも壊したい考えをもっている。もっと言えば、すべてのものの上にはたらいているところの力、すなわち、真理とか、神とか、仏とか、そういうものに対し根本的に反逆するのだ」
おれは虚無主義なるものがどのようなものかようわからんが、ここまで行くとシャア・アズナブルかよ、という感じがする(そういやザク豆腐って普通にスーパーで売ってるのな。今日見た。買わなかったけど)。まあ、どこまで字面通りに受け取っていい言葉かもわからんん。わからんが、ともかく死刑が適用される大逆罪に対して一歩も退かず、「文子がそうい言うのならそうなのだろう」というふうに認めた上で、訊問で以下のようなやり取りをしているあたりは、本物だなという感じがする。
立松判事は「被告として何とかしてその心がけを反省することはできぬか」と問うたのに対し、朴烈は、
「反省ということはどういう意味のものか知らぬ。反省がいわゆる改悛を意味するなら、それはおれに対する大いなる侮辱である」
と答え、日本の官憲と自分との闘いは、君らは勝ったつもりでいるかもしれないが、おれは負けて勝っているのだ、といい、
「法律とか裁判とかの価値を全然認めぬから、爆発物取締厳罰の第何条に該当するか、刑法第七十三条に該当するか、それがどんな刑だか知らぬ。そんなことはどうでもよいのだ。そんなことは君たちが勝手に決めたのだから、勝手にするがよい。おれは死ぬことを恐れてはいない」
「おれはいわゆる公判廷において弁護士をわずらわすようなことは一切避けたいと思う。日本帝国政府の法定で自己の権利を要求したり、あるいは争ったりする意志は少しもないのだ。そうすることは日本帝国に降って、その臣民となることを意味する。さもなければ、そのおこぼれ的の慈善を嘆願する哀れなる乞食となることを意味するではないか。おれとしてこれ以上におれ自身を侮辱することがまたとあるだろうか。おれは自分の立場を宣言するために法廷に出るのだ。陳述するために出るのではないのだから、どんな種類の弁護士もおれには必要ない」
まあ、結局は知人の弁護人を私選し、官選弁護人もついたのだが、そのあたりの事情はわからん。して、判決の模様を松本清張はこう描く。
牧野裁判長が、
「右両名に対する刑法第七十三条の罪並びに爆発物取締違反被告事件につき判決すること左のごとし
主文 被告朴準植及び金子文子を死刑に処す」
と言い渡しを終えると、すぐに金子文子は、
「万歳」
と大きな声で叫んだ。朴烈は裁判官をまっ直ぐに見て、
「裁判長、ご苦労さま」
とどなった。
この十日後に特典恩赦で減刑となる。朴烈はこれも拒否したが、拒否した所でどうにでもなるわけもなく、千葉、大阪、秋田刑務所と戦中を獄中で過ごす。文子の自死は弁護士によって知らされていた(その面会はわずか一秒)。千葉では絶食での自殺をはかりもしたらしいが、自殺防止の監視の目も厳しくなったという。朴烈は二十年、刑務所で過ごした。
戦争が終わり、刑務所から出たら、まっていたのは民族解放闘争の英雄としての歓待だった。このあたりの獄中と外のギャップや時代の流れ、本人の思想の変化など、あまりにいろいろのことがありそうで、やはりよくわからん。『昭和史発掘』には以下のような描写があった。
朴烈は居留民団の運営にも自信がなく、その判断の助言をもとめるため、たびたび栗原一男のところにやってきた。冬のことで、栗原の家では火鉢を出してすすめたが、朴烈はそれに手をかざそうとはせず、いつも日向のほうに寄って背中を丸くし、茫乎としていた。二十年間監獄に暮らした習性がぬけなかったのである。
捕らえられたとき二十二歳だった彼も、四十五歳の初老に近い人になっていた。事実、その顔は五十なかばを過ぎたように深い皺がきざまれ、日向にうずくまった格好は、獄窓から洩れる陽を浴びて虱でもとっているようであった。
その後の朴烈は南朝鮮に渡り、李承晩政権のもとで働いたが、朝鮮戦争のころに北へ入り、現在では北朝鮮で相当な地位についているといわれている。
おれはどうもこの茫乎とする朴烈、その後の朴烈というものになにかいろいろ感じるものがあるのだが、それがどんなものかというのもよくわからない。そもそも、この見てきたような描写がどこから出てきたのかもわからんが。
で、この「現在では」は昭和四十年の話であって、「北へ入り」も拉致されたようだ。
朝鮮戦争が勃発した6月25日、朴烈は、南朝鮮の郊外の料亭で開いた宴会の最中、北朝鮮軍の特殊部隊によって北朝鮮に拉致された。
まあ、ソースは信頼のウィキペディアでようわからんが(この項全般的に宮崎学『不逞者』から引いているのだろうか。やけに細かいが)。
あと、こんな記事も
平壌(ピョンヤン)市内に新しく作られた北朝鮮に拉致されたり越北した人の墓地に葬られている62人の全体リストが、韓国側に初めて公開された。
北朝鮮、拉致・越北62人の平壌墓地を公開 : 東亜日報
(中略)
無政府主義者で愛国志士の朴烈(パク・ヨル)ら、韓国戦争当時、北朝鮮へ拉致されたり越北した著名者62人の墓地が造成されている。
無政府主義者で愛国志士というのは矛盾していないかという気にもなるが、ここに日本、朝鮮、また民族という問題が入ってくるとそうもなるやもしらん。おれにはまだよくわからない。また、目下のところの興味とはやや外れる。ただ、なんというのか、朴烈のつかみ所のなさや数奇な人生、このあたりについては頭にブックマークしておく。
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