野村秋介獄中句集『銀河蒼茫』を読む

 おれが俳句というものに興味を持つとすれば、次の一句に尽きる。

虚子一人銀河と共に西へ行く

 どこで初めて目にしたか覚えておらん。覚えておらんが、俳句というこの短い言葉の中に、全宇宙のスケールのあることにえらく打たれたのだ。
 して、野村秋介『銀河蒼茫』である。先だって観た映画『千年の愉楽』のパンフレットに鈴木邦男が一文寄せていて、野村秋介が自らの句集に中上健次から「玉稿を頂いたことは、終生忘れ難い想い出となろう」と書いていたなどとあって、興味を持ったのだ。俳句に銀河。なおかつ獄中とくれば、右も左も上も下もなく、なにかあるのではないか、との思いだ。野村秋介については、Wikipediaなど読んでひと通り知っているにすぎない。ただ、本人あとがきにこう書いている。

 私の思想的なことは『いま君に牙はあるのか』(二十一世紀書院)にまとめてある。人間関係のことは『塵中にあり―右翼・任侠・浪漫』(廣済堂出版)に書いたし、その他にも『獄中十八年―右翼武闘派の回想』(現代評論社)とかいろいろある。しかし、どうしてもこの一冊だけは読んで頂きたいと思うものがあれば、この句集をおいて他にない。勿論私は俳人ではないので、句の巧拙を論じられても困る。ただ野村秋介という一箇半箇の人間像に興味を持たれる方がいるとしたら、その是と非は別として、ひとまず一瞥して頂きたいと切念する。それからである。私が右翼だいや新右翼だという論議は。

 おれは俳句と銀河から野村秋介という人間像に興味を持った。いや、何事も生命を賭けてやってやつはえらいんだ、というところで興味は持っていた。しかし、著作を手に取るに、『銀河蒼茫』はもってこいだったと言える。

 さて、おれは俳句のことはよく分からぬ。正月に、祖母の遺品から水原秋桜子の『俳句のつくり方』をくすねて来てひと通り読んだくらいのことだ。良し悪しも分からぬ。とはいえ、巧拙を論じられても困ると著者が言っているのだから、おれが気になった、というか、気になった句を幾つか抜き出して書きとどめておきたい。言うまでもないが、銀河と刑務所の句ばかりである。憂国の念については、今このとき感じ入るところは少なく、また妻子などと程遠い人生、その痛切はわからぬ。

冬の部

 監獄の句となれば、やはり冬が似合う。それに冬は星もよく見えよう。はじまりは冬の部、なのだ。

知己ありて 冬のオリオン間近なり

 自らの思想やなにかについて分かってくれる人がいる。それをオリオン座に例えたものかもしれない。だが、おれは天空のオリオンそのものに知己があるような、そんな意味不明なスケールに意識を飛ばしてしまう。

寒星の青すさまじき 石の部屋

歴然と明治が残る雪の獄

 後に述べるが、野村秋介が入れられていた獄は、錚々たる面子の収監されていたところだ。和田久太郎に(右翼と並べるな、と怒られるかもしれないが)、獄の冬の青さを詠んだものがあったと思ったが「雪晴れて夜の青さに驚けり」だった。

ひとり来てまた独りゆく 冬銀河

 冬銀河、というところがいい。ひとり来て、ゆくのは下獄し、出所して通り過ぎていく人か、詠み人その人か。

寒雁の高きを告ぐる人もなし

 おれなどは、「寒雁」などという言葉は縁遠いというか、雁そのものとも程遠い。想像もつかない。だが、獄中にて、果たして高き空を自由に見られぬからか、あるいはそんな気分でもないのか。そのあたりは想像を巡らせたくもなる。

冬手錠 黙礼のみの別離かな

 「冬手錠」というものを冬の季語と言っていいかどうか知らぬ。しかし、その冷たさと重みを想像するのも悪くない。

俺に是非を説くな激しき雪が好き

 帯に使われている一句。なるほど強力を感じる。とはいえ、おれがこの句を好きかといえば半々といったところだろうか。俳句の流派というか、考え方にどういったものがあるのかよく分からぬが、おれはわりとスタンダードなものが好きなのだ。とはいえ、これはなにか強い。強さがある。

寒月に 一殺多生といふ祈り

 「一殺多生」という語が「祈り」というところとつながっているところにただならぬ気配がある。そこに寒月とくる。梅にたとえたり、冷たいところに熱情を歌うなにかがあるのか。

ふと馬鹿な俺だと思ふ 枯葉ふる

 感傷的である。この弱みを見せるところに、なにか悪くないものを感じるところがある。しかもかっこいい。

冬の夜を巨大な斧と知りもする

膝がしら抱いて寒夜の壁地獄

 いずれにせよ冬は寒い。ところでこの2013年、冬は終わったのか?

春の部

 獄の春というと、季節の明るさと獄の対比、自由と不自由の対照のようななにかがあるのように想像するが、さてどうなのか。

束の間のいのちぞ吾も 白梅も

 いきなり物騒といえば物騒なものを取り上げてみる。やまとごころといえば桜かもしれないが、梅に託す句も多い。悪くない。

春の星 鳴らす五絃の鉄格子

 五絃の楽器がなにか知らん。ただ、五本の鉄棒を思い浮かべる。

さくら散るいまも三島の死の光芒

 三島由紀夫の死は11.25である。ただその光芒はさくらのごとく、か。

使命ある者よ 万緑纏ひゆけ

 これも上記「俺に是非を説くな」と同じく、俳句としてのリズムがどうなのかおれにはわからない。ただ、「万緑纏ひゆけ」という、銀河とはまたちがったスケールは嫌いじゃない。

夏の部

 獄の夏とはいかなるものか。なにか蒸し暑さも極まり、体臭ただよい、どうもあまり想像したくはないところではある。

夏帽を高く振るべき事ほしや

 暗い獄の中から夏の青空を思わせる距離。あるいは生きて帰らぬ飛行機乗りに振る帽だろうか、振られる側の思いだろうか。

朴烈の入りし独房へ入れらる、一句
この窓の銀河惨たる人らのもの

 さてここで、突如朴烈の名が出てきて驚く。朴烈その人については金子文子経由でしか知らぬが、「太い鮮人」のアナーキストだ。これについてこう詠む。その心は、よくわからぬ。

夏雲は完璧な白 午前九時

 刑務所の決まりきったタイム・スケジュールの中での景色なのかどうか。今これをメモする三月の半ば、夏ははるか遠くに思える。実際に夏が来たら、ただただ暑い暑いといって、完璧な白に想いを巡らすこともないだろう。


秋の部

看守にもいゝ人がゐて木の実をくれた

 おれがこれを書いている今は初春、秋は遠い。この句はユーモラスで面白い。なにか率直というか、素直さがあって、べつに衒ってそうしているようでもないところがおもしろい。

みたび目覚めみたび激しき虫時雨

 この句とともに日記の一部が乗せられていてこうある。

 ここは大杉栄や朴烈をはじめ荒畑寒村宮本顕治、それに大杉を殺した甘粕大尉にいたるまで錚々たる連中が収監されていたという。

 ついに大杉栄の名も出てくれば、甘粕の名まで出てくる。野村秋介が彼らをどう見ていたのか。これは「思想的なこと」を書いた本を読まねばならないだろう。

朴烈もゐたこの獄のこほろぎ鳴く

 などとも読んでいるが。

たそがれて菊は弥勒の仄白さ

 これは想像できるようなできないような、そんな情景を思わせる。一個の視点ながら、弥勒が無限に近い広さを与えてくれる。

カフカなど読むがらでなし 梨齧る

 これはよくわからないが、好きな句だ。なんといっていいのか、格好ついてるのだ。

鰯雲 文庫本にも獄書の印

 さて、おれが今手にしているのは図書館の印のある本である。それゆえに手に取ることができた。ただ、手元に残らない。それは悲しい鰯雲。まあ、買えばいいのだけれども、買えば、さ。……って、尼でも楽天でも見当たらんのだけれども。

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……見沢知廉絡み、というラインもあるか。

……そうだ、日本赤軍にスカウトされた泉水博の獄中のエピソードにも出てきていた。