nanaco考

 洗った弁当箱を職場に忘れてしまった今日の俺は、今日の昼の飯を買うためにコンビニに行った。nanacoカードを作ってしまったので、俺の行き先はおおよそセブンイレブンと決まっている。俺は安くて野菜っ気のない唐揚げ弁当を選んだ。せっかくだからだ。レジの列に並んだ。前に並んでいたのは、今どき風の女子高生だった。女子高生は、レジ台の上に品物、千円札、千円札の上にnanacoを置いた。店員が「先にチャージしますか?」と聞き、女子高生は頷いた。店員がチャージ処理をし、店員が読み取り機の前にnanacoをかざした。
 なるほど、ああいう方法があるのか。品物、千円札、千円札の上にnanaco。スマートなやり方のように思える。品物、千円札、千円札の上にnanaco。冴えたやり方のように見える。
 俺はこの間、ペットボトル飲料一本買うさいにチャージをした。nanacoを取り出して、なぜか「二千円ほど」と言って二千円を財布から出した。なにか「ほど」なのかわからない。千円札二枚のほかに、どこに「ほど」分が含まれているというのか。輪を掛けてわからないのが、女性レジ者が「二千円ほど」と復唱したことである。
 ところで、千円チャージしたところで、五百円ほどの弁当を買ってしまうのも、どうだろうかという気にもなる。とはいえ、コンビニというところは飲料、ガム、東スポなど、百数十円が物を言う場でもある。とはいえ、一万円、とか入れる気はしない。入れている間、増えていくというのなら入れてもいいが。
 女子高生のたった一つの冴えたやり方はどうだろう。チャージ→買い物という手順は踏みたい。店員がレジ打ち(今どき打ちはしないが)を始めるまえに意思表示が必要だ。その先手が、あの千円札の上にnanaco。が、しかし、それを用意する暇はあるのか。そうか、昼時だけにレジが混んでいたのだ。混んでいる間に、女子高生はnanacoとチャージ用千円札を用意した。すなわち、待ち時間にできることをする、という結果、たまたまあの、通のような、あるいは無言の冷たい感じがする方法となって現れたのだ。そのあたりのパターンも勘案しつつ、チャージ道を歩んでいく必要があるようである。
 ……しっかし俺も、引きこもり気質というか、自意識過剰気質というか、抜けないもんだな。百歳まで生きたら、百歳まで気にするだろう。死にながら死ぬ手順を考えるのだろう。