神奈川新聞の照明灯は壊れているのではないか

2008年2月13日(水曜日)神奈川新聞「照明灯」より引用

 イメージを変えるのは並大抵ではない。負の側面があればなおさらだ。「カジノ」という言葉に大方が思い浮かべるのは、大人のしゃれた娯楽場などではなく、喧嘩と身上をつぶしかねない賭け事の修羅場だろう。利権をめぐる暴力団の抗争を思い浮かべる人だっているかもしれない

 だが、ちょっと待ってほしい。この筆者は福本伸行の読みすぎではないか。それとも、暴力団が主催する闇カジノに出入りして、その怖さがしみついているのか。「カジノ」という言葉に「喧嘩と身上をつぶしかねない賭け事の修羅場」を即座に連想する人がどれだけいるのだろうか。「カジノ」はわれわれ日本人の生活からほど遠い、どこか外国のイメージ。タキシードを着たダーク・ボガードがいるようなところ。それは言い過ぎか。でも、ラスベガスに修羅場のイメージがあるだろうか。少し違わないだろうか。むろん、「思い浮かぶ」レベルの話だ。
 もちろん、ファミリー向けの娯楽とは言わない。しかし、即座に「喧嘩と身上をつぶしかねない賭け事の修羅場」と言い、「県が春から、そんなカジノの導入に〜」と続けるのは、あまりに印象操作が過ぎないか。それともやはり筆者は、どこかアジアのカジノなどに出入りをして、それを実感しているのだろうか。
 むろん、私こそが「大方」の代弁者だとは言わない。ひょっとしたら、俺の感覚が誤っているのかもしれない。でも、ちょっと見過ごせなかった。あまりにギャンブルに対して偏見がないか。そして、県がカジノ施設導入に向けた調査をはじめたことを危惧するのならば、そこの駅前、あそこの街角にいくらでも見られるパチンコ屋はどうなるのだ。あれこそが、漫画やアニメーションのキャラクタの衣を着て、人々を中毒にして身の上を滅ぼさせるおそろしい施設だ。それが合法性の埒外でなぜか見逃されて野放しになっているのだ。未だ姿形も見えぬカジノなど、それに比べればどうでもいいではないか……
 ……と、競馬中毒のギャンブル狂いで、競馬界の将来を憂えてパチンコを敵視する俺が申しております。