直筆の価値

ラジオ番組で「35歳を過ぎると羊水が腐る」と発言したことで批判の声が集まり、涙ながらに謝罪した人気歌手、倖田來未(25)が、公式ファンクラブ「倖田組」の会員向けに直筆の謝罪文を送付していたことがわかった。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/celebrity/128297/

 これはすごい話ですよ、倖田來未のファンクラブといえば100人や200人ではきかないでしょう。それに対して300文字超の文章を一通一通手書きするといったら、これ以上の反省はありえないと言っていいくらい。
 ……なわけはない。そんなことはわかってる。お前に言われなくてもわかってる。というわけで、この「直筆」はおかしいんじゃねえのか>この記事書いたやつ。直筆っつーのは、手書きしたそのものじゃないのかね。
wikipedia:直筆
 辞書をひいても同じことだけれど、だいたいこのウィキペディアに書いてあるようなものじゃないのかね。倖田さん陣営が送ったのは「直筆の写し」でしょう。「直筆を必要な解像度でスキャンして印刷したもの」でしょう。別にそれが悪いと言うわけではない。ただ、意味が違うでしょう。記事の書き手はそこんところを気をつけてしかるべきじゃないのか。
 そりゃあ、誰も、本当に一枚一枚手書きしたと思いはしない、それはそうだろう。けれども、これを「直筆」としてしまっては「直筆」の価値に影響を及ぼす。なにか別のケースの、本当の「直筆の謝罪文」をどうするのか、ということになる。必ずしも直筆>印刷が絶対的な価値の度合いというわけじゃあないとは思うけれども、違うものの混同はあかんでしょう。はっきり言って倖田さんの件はどうでもいいが、マスメディアにはそこんところ気をつけてほしいと思うのであった。
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