小島茂之調教師のゆるがぬ判断、そして迷いっぱなしの俺

 今週末に行われる桜花賞、有力馬の一頭ブラックエンブレムが追い切りを、しない。これにはびっくり……してはいない。前々からブログを覗かせてもらっていて、そのようなことがアナウンスメントされていたからだ。もちろん、その判断がどのような結果になるかは、やってみなければわからない。だいたい、調整は失敗だったのに他陣営がもっと失敗したとか、ブラックエンブレムが状態を問題にしないくらい強かったとか、あるいはレースの展開の綾だとか、ジョッキーの進路一つとか、風の吹き具合とか、ものすごい量のファクターが重なって競馬ってのは成り立っているものであって、果たしてこの調整一つ取りあげてああだこうだとは言えないように思える。ただ、何かトラブルがあって調教できないだとか、スイープトウショウよろしく馬が拒否しただとか、そういうアクシデントではない、ということは貴重な判断材料になる。その点で、こういった関係者の、というか、調教師本人の声が聞けるのは良い時代になったものだ。

エンブレム軽め、異例の最終調整/桜花賞

http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20080410-346328.html

 とはいえ、たとえばこの日刊スポーツ・鈴木良一記者の記事などは、よく経緯を伝えている。ほかにも、たとえば今週の週刊Gallopのオーナー(オーナーもブログを持ってらっしゃる、この時代)の紹介記事などでも、この調教師の姿勢などはうかがい知れよう。ただ、これが前日・当日の専門紙やスポーツ紙競馬欄になると、やはり調教の数字など見てギョッとする人はいるだろうし、俺だってこの件についてたまたま知っているだけで、いつもこういう安心が得られるとは限らない(ここで言う安心とは「ブラックエンブレムにアクシデントがなかったということを知っている」だけであって、ブラックエンブレムを買うかどうかは未定、安心して馬券を買えるという境地には一生到達できさそう)。
 となると、やはり雑音も大きくなろう。ただ、これは少数派の道をとるにあたっては切っても切れぬもの。ブラックエンブレムが負けたとして、それに対して「調教が軽かったせいだ」と言う人は、他の十数頭について「びっしり追ったせいだ」と同時に言わなければいけないことを忘れがちなものなのである。
 しかしまあ、前走で状態が最高になったから、今回は軽めというのはある意味当たり前というか、すんなり納得できることでもある。師はブログで「簡単に言うと馬は機械ではなく生き物だということです」というけれど、俺にとっては昔プレイしたダビスタのイメージで、なのであって、なんともしょうがないのだけれども。それに、桜花賞以後の先々も考えてのこと、と。と、この考え方は藤澤和雄調教師に通じる物があるだろうか。ダンスインザムード桜花賞の調教はどうだったんだっけ? オークスは軽かったように思うが……。しかし、藤澤調教師的なるものについては、やや俺の競馬観とのズレもある。俺にはどこか刹那主義的なところもあって……。

 もちろん、競走馬ができるだけ長く、競走生活を全うすることになんら異議はない。あるはずがない。また、いろいろな考え方、スタイルがあるから競馬は面白い。しかし、例えばどこかここ一戦、その時の勝負に賭けて欲しい思いがあるというのは、やはり馬券がその一走に賭けるものであるというところからくる視点の違いだろう。たとえば俺が一口馬主であったりすれば、感じ方も違おう。
 ……って、たとえ全馬メイチの仕上げ(もちろん、全力で追い切る≠メイチなわけだけれども)で出走されたところで、俺の馬券収支にどれだけの影響があろうか。調教・体調のファクターが各馬100%だとして、俺に他ファクターを捌ききる能力があるだろうか。無いに決まっとるわ。年初は70%をうろうろしとった回収率も、今開催は35%やぞ。どないなっとるんや。競馬界のあれこれなんぞ論じとる場合やあらへん。それを直視しなきゃいかんのや。そうや、また、狙撃術に立ち戻るんや、なんとかせにゃあかんのや……。