林顔楊声

↑ここに感想を書いたように、俺は北京オリンピック開幕式はたいへん素晴らしいと思ってた。今でも、思っている。思っているのだけれども……。

 BOCOGの王偉副会長は記者団に「一部の映像は、演出効果のために開会式の前に制作されていた」と説明。事前に制作されていた映像には、北京の上空に浮かび上がった花火による「足跡」なども含まれているという。

http://sports.nikkei.co.jp/flash.aspx?n=3179837

 なんというかこれ、怒るほどのことではないけれども、開幕式を全否定するほどのことではないけれど、なんかやられた、裏切られたって気にはなる。見抜けなかったあたり、己の不明さを恥じるようなところもありつつ、「まあ、そういう演出だし」と割り切るには、俺、花火信じていたし、見事なものと感心していた、とりわけ花火の足跡というアイデアはよかったと思うだけに、そうもできず、なんかモヤモヤ。アントニオ猪木の失神が演出だと知って、「人間不信」の四文字の書き置きを残して失踪した坂口征二の心持ちだろうか、あるいはミスター高橋の本を読んだプロレスファンの心持ちだろうかどうか。
 そしてもう一つ、歌う少女の話も出てきた。

 AP通信は、実際に歌った楊沛宜さんがぽちゃっとした顔立ちで歯並びもよくなかったことから「開会式にふさわしいほどの容姿ではない」と判断され、歌う様子を演じた林妙可さんは逆に声が完璧でないとされた。このため、共産党の最高レベルの幹部がリハーサルの最終段階で「口パク」を決めたと報じ、「見た目を気にする中国が完璧な五輪を作ろうとした例のひとつ」と指摘、「中国の完璧さの追求は子供をも巻き込んだ」と批判した。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080813/chn0808131114003-n2.htm

 む、産経新聞よ、一文目の主語と述語が上手く対応してないぞ。まあ、それはともかく歌も口パクということ。しかしなんだ、日記にメモしてないから説得力無いけど、花火の方は疑いもしなかったけど、こっちはちょっと怪しく思ったぜ。こういうケースでの口パクは、そこらの歌番組的に容認されるんかな、と。
 因みに、ニューヨークタイムズでは顔写真を対比している。

 別になんてこたない女の子じゃねえの。オペラ座の怪人じゃあないものな。こんな小さな子が歌ったってんなら、誰もが驚嘆と賞賛するってもの。しかし、中国人のセンス(と言うには人口が多すぎるけど)では、完璧な顔に完璧な声を合わせた人造美少女の方がよしとする。このことから、作られた完璧さのことを「林顔楊声」とする故事成語が生まれたりする。いや、生まれてないけど。
 うーん、しかし、花火の方も、実際の花火を打ち上げた上でさらにCG。こっちだって、よく考えたらもっと小さな子が生で歌ってるという、なんというかひょっとして逆に贅沢すぎるようなやり方。このあたりの考え方は、捏造や偽装というレベルではなく、もっと根本的な、中華民族独特の合理性とかそのあたりに関わってくるんじゃなかろうかと、合理性より情緒性に日々悶える日本人の俺は想像するのであった。