上野ステーション、ノー、パンダ。
「もしもおれが死んだら世界は和解してくれ」と書いた詩人が「ああいいなあ」と書いた書家。
上野の森美術館(たぶん初訪)。
石川九楊 in the place to be.
というわけで、石川九楊展に行ってきた。
こいつはなんといっていいのか、「書だ!」というのだから「書」なのだろうが、まあ上のリンク先でも見てくれればいいが、「初七日」、もとい「書なのか?」という代物。そして、そいつはまったくもってすごい代物で、「なんだかわからないけれどすごい、見たことがない」という現代アートを鑑賞したときみたいな気持ちになった。まったく、おれの脳内では現代アートの部分がすごく反応していた。けれど「書だ!」。
比較的若い頃の作品、灰色に染めた紙に書かれた文字。聖書、田村隆一。このあたりはなんというか、若くて、既存の書から抜け出よう(もっともおれは既存の書をしらないが)というところもあって、なにやら西成や寿町のアウトサイダー・アートのようでもある。
おもしろいのは「古典文学に退却」したころからで、一枚に「歎異抄」を書ききったものから、「源氏物語」を全編書いたものまで、これが非常にいい。すごい。こんなものは世界を探したってほかにない。そう思わせる。ときに電子回路のようであり、人間の神経叢を可視化したもののようであり、ある種の鉱物を顕微鏡で覗いてみたもののようであり、心電図のようであり……、それが書、なのだ。もちろん読めない、読めないけどすごい。かっこいい。すてき。
おれにとって石川九楊といえば『二重言語国家日本』の著者であって、おれの拙い日本語というものの認識、すなわち「漢字というものは借り物ではなくたまたま中国で生まれたわれわれの言葉でもある」とか、「東アジアは書字の文化圏である」とか、そういったところで多大なる影響を受けた、そんな人である。
とはいえ、本業である「書」をみるのは今回が初めてであった。すごかった。圧倒された。
それでもって、うふふ、サイン会などやっていたので、おれと女は二冊入りの図録を分け合って列に並んだのだ。
そこに石川九楊先生はいらっしゃった。かっこいい。そして何より、筆さばきというのか、そこに見入ってしまう。列にならぶ一人一人に何種類かのサインを書く。
おれは「九」という字をいただいた。どうしてこれが「九」かわからぬが、スッスッと、ちょんちょんと書かれるさまに見入ってしまった。「『二重言語国家・日本』にすごく影響を受けました!」とか言う余裕はなかった。これは大切にしたいなあ。
しかしまあ、文字ってのはなんだろうね、言葉ってのはなんだろうね。もっと勉強しなけりゃね、とも思ったわけである。とはいえ、会期も残り少ない。書なんて知らなくてもいい。ともかく行け! 面白いから、石川九楊の書は!