吉本隆明・石川九楊『書 文字 アジア』を読む

 

書 文字 アジア

書 文字 アジア

 

 表紙の文字がかっこいい。吉本隆明石川九楊の対談本である。その本質のところは浅学菲才の我が身、わかるわけもないが、いくつか気になる点はあった。

石川 このような非常に細かい仕事は肉体的にも将来できなくなるだろうという予測で意識的にいまのうちにやっておこうというのが実作者の気持ちとしてはありますね。

と、石川九楊が述べるのは「歎異抄No.18」。あのえげつないなんともしれぬ代物についてである。肉体的なものによる「書」のすごみ。実物を見ておれは知っている。なるほど、と思う。

石川 ……日本の近代でいえば、副島種臣の他には河東碧梧桐なんかおもしろいと思いますね。ぼく自身も多少影響を受けています。

副島種臣? と思うと、なるほど独特だ。書としていい悪いはわからぬが、独特だ。

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たとえばこのまとめに出ている13番めの書など、おれが初見で「石川九楊のものだな」と思うことだろう。このような「書」が明治のころからあった、のだ。あるいはもっと前から?

石川 それで、書というものもがどのようなものかと言いますとですね。筆というのは基本的にこれは刀であり、刃物である。それは万年筆であれ、鉛筆であれ、ボールペンであれ、筆記具は何でも同じことなんですが、刃物であるということです。

筆記具=刃物。「掻く」ものであるという感覚。……これを自覚するのはむつかしい。なぜなら、おれは打っているからだ。おれの言葉は打たれている。これは書いているといえるのか?

吉本 ……五年後か十年後かわかりませんけれど、概算で言えば要するに50%以上の人間がワープロで書きはじめた、打って創作をしはじめたとか批評を書きはじめたとか文章を書きはじめたとかってなったら、やっぱり文字を書くことは重要な問題になってくるんじゃあないでしょうか。

 おれにはよくわからない。ここに刃物で石に刻みつけた痕跡が、伝統があるのか。おれにはよくわからない。モニタに写るおれの言葉。刻んでいるのか。

すこし話が変わる。

吉本 ……日本的というようなことをいう場合にですね、どこにウエイトを置くか。たとえばこのあいだ、大谷大学でちょうどそういう話をしてきましてね。鈴木大拙の話をしていたら、要するに鈴木大拙ってのは典型的に奈良時代鎌倉時代なんですよ。つまり、平安時代というのは女々しくて涙もろくて情緒的で、要するに女性文化的であれはだめだ。こういうふうに言うんですね。あれは日本的ではないっていうふうにですね。大拙という人は「日本的霊性」とかいう言い方をする人で、あの人が考えてる日本的霊性というものは平安時代にはないんだ。要するに奈良時代とか鎌倉時代にあるって言うんですね。

吉本隆明鈴木大拙について述べるのを読むのは二度目のような気がする。一度目は「世界に日本の思想を伝えるとしたら鈴木大拙あたりになるのが相場だが、和辻哲郎釈迢空あたりだろう」みたいな言い方だったと思う。ここでも、平安時代の方が日本的だぜ、と反論している。吉本隆明鈴木大拙を評価していないというか、持論と異なると見ているようである。

石川九楊展で引用されていた吉本の言葉もここに収録されていた。

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伝統的な書家は、そんなのは無駄な余計なことで、はじめから敗北に決まっていると、嗤うかもしれない。またそんな問題意識すらもたないで済んでいるかもしれない。だが石川九楊は真剣にそんな問いを発し、ごまかさずに試み、またちがう場面に転戦しということを、飽くなくやっている。ああいいなあ、こんな書家がいるかぎり、書家の存在を捨象して、現在の造形的な芸術を語れないのだなあと納得させられる。

 「そんなの」。石川曰く「私は思う、現在、書にかかわる者は、将に書にかかわることを恥辱とし、その恥辱を拠所として、それを克服する方向を追求しつつ、書作しなければならない、と」。

それでもって、やはり、石川九楊は77年~80代の模索によって「書」の確信をつかんだんじゃあなかろうか、と。たぶん、そのあたりはおれが展覧会を見て思ったことと同じじゃあないかと思う。日本古典への撤退から得た自由。そしてその芳醇であり、研ぎ澄まされていて、わけのわからん世界。こいつはおもしろくてたまらない。おれは芸術を語れはしないが、これを無視しちゃいかんぜ、と思う。勝手に、そう思う。だからあんた、石川九楊の書を見る機会があったら、逃しちゃいけないぜ。