『1999年の夏休み』/監督:金子修介

1999年の夏休み [DVD]
 萩尾望都の名作『トーマの心臓』をベースに、少女に美少年を演じさせるという奇手を使ったこの映画、マイベスト映画五本の内一本……なのだけれども、最後に観てから時が経ちすぎていたためにあやしくなっていた。さあ、2008年の暮れにあらためて見直してみるに、果たして自分の中の評価は今観ても変わらないのかどうかというところ。
 ……で、見終えた感想というと、うーん、む、む、む。うはは、あららっと。なんというか、こう、直視できないところがあるね。むず痒いね。なんというか、これは……。困ってしまう。誰に隠すわけでもないが、いまだにBLも少年愛もドントコイタカトモなのだけれども(それを察してたまにこの日記の横のバナーがその手の漫画になっていたりして、「なんか華やかでいいじゃねえの」とか思っているのだけれど)、この映画は……。まあともかく、その、深津絵里以外は、なんとも、少し無理のある女の子に見えてしまったりなんかしたりして。それが美少年に見えなかったりしたりして。もっと、フィルタが必要なのだ、目に脳に。
 いや、それよりもショックだった、一番ショックだったことを述べる。あれだけフェチ心をくすぐられたソックスガーター(外部リンク:こちらのページ参照)、あの少年ソックスガーターに心揺さぶられなかった。これは意外すぎて自分に失望した。なんか最初に画面に映った瞬間、「あれ、なんか矯正器具みてえだな」と思ってしまったのだ。骨折とかリハビリとか。いや、たぶん矯正器具というのもフェチズムと親和性の高いものであろう。しかし、俺のはそこにはなかったのだ。これは苦しい。理想化されすぎたソックスガーター少年像との違和に耐えかねる。
 ……というわけで、やはり脳内で記憶が模造されていた、合成されていた、美化されていた、結晶化されていたというのは否めない。やはり理想の少年愛は心の中にしかないんだよ。と、いっても、だからといって、この映画が駄目な映画とかそういう話では決してない。勝手に俺が俺の心の中の崖を落ちただけであって、そういう話ではない。たとえば、さっきのソックスガーターの紹介リンク先にある、数々の小物。コンピュータ、電車、制服、その他、この趣味といったらない。小物のすばらしい映画は良い映画なのだけれども、そういう意味でこいつはやはりトップ5に入れたくなる。あと、音楽がいい。DVDのオマケ的要素として、台詞や効果音をいっさい廃して、ピアノで奏でられるテーマと映像だけというバージョンが入っていたのだけれど、あなた、ぼんやり流し始めたらそのまままた一通り経ってしまったくらいですよ。
 で、まあ、結果として、マイベスト映画五本というのにはどうか、というのが正直なところ。少なくとも、今の俺はそれを提出する気にはなれない。この映画というものに対する思い入れみたいなものはあるが、正直、今の実感ではない。でも、その他大勢のランク外に落とす気もしない。なんか別の箱に入れておく。次は『櫻の園』(旧作)を観る。心の結晶をぶちこわすのも嫌いじゃない。日々また新しい。