文化系トークラジオLifeを聞いたこと、というかエロビデオと私について

 徹夜作業のお供にラジオ。日曜の夜にFMはどんどん休む。TBSラジオ文化系トークラジオLife生放送。いったいどこのだれがなんのためにやっているのか皆目わからぬが、生放送ということもあって、聞きながら単純作業ギーコギーコした。あと、書き終わってみたら、バランスとかくそったれになっていて、まあどうでもいいや。

草食系男子って何?

 草食系男子が何を食ってるって、そりゃあ草だ。なんの草だ。自己愛とかいう話になっていたけれども、俺はあれだ、コミュニケーションだと思う。女から好もしい目線で語られる、そういう対象としての、うらやましいコミュニケーションだ。それを食っている。そういう意味で、それを食えぬ者から見ると、うらやましいというか、嫉妬の対象になりうるものであると思う。チキンから見て、肉食は別の生き物だが、同じ生き物の中の選ばれたものだけが、そこで草を食うことを許されるのだ。おそろしい話だ。その柵を作ったやつは誰だ。そうだ、このラジオ、一年前にも一回だけ聞いた。そのときにも、選ばれた柵の中で嘆くという構図があった。今回も最後は、司会者(?)が、引き取ったとか言ってた問題だ(たぶん)。ある種の弱者が弱者として上に向かってなんか言ったとき、さらに下から、あるいは柵の外から抗議の声があがる、この無限のつながり、おそらく負の連鎖。俺がたとえば貧乏を嘆いたとき、それを貧困が後ろから撃つ。これで何かよくなるのか、俺にはわからん。下手すれば、俺は下向きに撃ち始めるぞ、と。
 だから駄目なんだ、減点方式で世の中はよくならないんだ。俺はそう信じてやまない。

エロビデオがどこに向かってるって?

 しかしまあ、俺は肉や草の話より、AVの話が面白かった。よくしらないが、AV監督が出ていたのだ。そのAV監督曰く、エロビデオというものは、性的に優れた男優と女優が勝負するさまを覗き見する、そういうものであった。が、だんだん男優の要素は透明になっていき、女優は画面のこちらに直接語りかけるようなスタイルになってきたと(もう、昨夜のことなので違っても知らない)。
 それ、俺、つまらないのだ。そうだ、そもそもの、覗き見の視点が俺は好きなのだ。俺は寝取られ好きのマゾなので、俺の関係ないところで美男でも美女でもそうでもない人でも、そういう人たちが愛のあるセックスをしているのをうらやましがる、というところにエロビデオの良さがあるんだ。欲を言えば、自分の好きな人が誰かとやっているのが最高なのだけれど、たとえば、好みのAV女優に対して、似たような憧れを抱くことによって、寝取られのかたちは保たれるんだ。まあ、ともかく俺は俺であって、あまり男優に感情移入することもないのだ。
 と、いうところなのだけれど、鑑賞する男が「女優に感情移入」という発想もでてきて、「そうか!」と思うところもあった。その監督、二村ヒトシという人らしい、曰く、自分の作品に出てくる女優は自分の分身そのものだ、的な。そして、すげえ女をいかせまくるビデオなんかは、あれを好む人というのは、女優の方に感情移入してるってさ。ああ、そうなの、俺はその肝がわからなかった。美少年が出てくるBLなりなんなりならば、俺はすんなりどちらにでも感情移入できるのだけれども、ああ、そうなのか。となると、俺はレイプもののAVが苦手でしょうがないのだけれども、何がおもしろいのかわからんのだけれど、あれも男たちに犯される哀れな女自分というところに肝がある(場合もある。当然強姦志向の男だっているだろう)ということか。うーむ、俺は甘かった。俺は精神的ヘリオガバルスにはなれなかった。
 しかしまあ、別に男が女に感情移入しようが逆だろうが、あらゆるもの自由であいまいでどうでもいいものだ、というのが俺の性観? ジェンダー観? そんな大仰でインテリの話ではなくて、たとえば男子校にいれば女みたいな男の子に性的に欲情するなんてのは、この身をもって知っているというところがあって、たとえば刑務所や軍隊や、なんかそういうことって別に、環境やなんかの条件によって、ふらふら変わるんじゃねえのって。だから、あんまり、男や女やその他で区切っても意味ないんじゃないか、とか思う。

性の明確な区別を常時もっている動物は、自然界ではむしろ限られている。P102

2006-03-22 - 関内関外日記(跡地)

 って、多田富雄の本にも書いてあったし(でも俺は、エロ行為のみに視点が行き過ぎているのかもしれないとも思う。たとえば、己の肉体と相容れない病気については、エロ行為以前の問題だろうし)。
 で、その監督が最近至ったところは、女性のオナニー、そして女同士の絡みだという。そこに他者を見るというようなことを言っている。ああ、それは俺、同感できるところがある。

「なぜ女はセックスのとき気持ちよくなっちゃうと、どっか遠くに行ってしまうのか。これ以上なく近づいているはずなのに、門を閉ざして俺を置いてきぼりにするのか」

『完本 妖星伝』〈2〉〈3〉/半村良 - 関内関外日記(跡地)

 俺はそもそも女の人にはこういうところを感じている。だから、本当は画面の中の他人同士の絡みであっても、この遠くに行ってしまうところを再現してほしいのだ。が、どうも、どんな誠実な(?)エロビデオでも、あんまり女の人は遠くに行ってくれないように見える。そこがつまらない。が、レズものだと、どうも「あれ、俺、置いてきぼりにされている?」というような、そういう感覚におちいることがある。実際どうかはわからん。わからんが、あれはどうもそう見える。オナニーについてはわからん。そういえば、玉置勉強のエロ漫画に、恋人を女に寝取られる男の話があったと思う。あの閉め出され感はよかったと思う。
 というわけで、俺はエロビデオに対して望むのは、無理な二人称スタイルはいらない、覗き見的にしてくれ、男と女は愛し合ってくれ、でも、女がいくときは、どっかに行ってしまってくれ、男は女にどっかに行かれて喪失感を味わうようであってくれ。でも、それが無理なら女性同士で絡んでくれ……なんか意味がわからん。でも、俺はそうか、最近のエロビデオの何がおもしろくないかというところに、なんか気づいた、そう思った、すばらしい。エロについて考えるのはなんて素晴らしいんだ。そうだ、俺は昔からスケベだった。幼稚園のころから女の裸ばっかり想像していた。精通以降はほとんど脳の九割くらいはエロいことばっかり考えてきた。エロに費やしてきた労力を、もっと人類のために使うべきだった。しかし、性器を石で潰したって、俺の辞書からエロの文字は消えないんだ。俺はもとからスケベだったし、中高六年間の男子校生活によって、下品の底が抜けたし、性別観もいいぐあいに溶けあったし、こう、もっと、すごく、覗き見したいんだ。俺は加藤鷹になれない。なりたくはない。俺の一番好きな女が、加藤鷹にこう、ぐわっじゃじょばばじょばーってなってるのを見て、宇宙の底が抜けるくらいに、絶望したい、その黒い深淵、反転する宇宙、真っ白な均衡、その境地に導いてくれ。いますぐ人類を救えないのなら、せめてその白い世界に……!

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