タカハシマコのあとがき漫画から考えた

※以下、なんか性的表現? みてーなの含まれます。あと、俺が考える速さにできるだけ忠実に垂れ流した結果、俺も何いってるのかよくわかんねーので、なんつーの、あんまり読むな。
 ブックオフタカハシマコの『魔法少年チャイナシュガー』と『野いちご心中』買って、読んだんだけれども、後者のあとがき漫画に次のような記述があった。引用します。

 それでも私は少年が大好きです。
 だって私 少年になったこと ないもん
 少女になったことはあるから(一応な…) 手放しで大好きなんて言いたくないのね。

 うーん、むむむ、なんか唸ってしまったね。なんだろう、タカハシマコの描く少女の怖さというか、残酷さというか、しかし、それでいてすごい傷ついている感じとか、毒入りケーキというか、鋭利で優雅なナイフというか、なんというのだろう、そのあたりの、そういうのの、そこらへんの源みたいのはこのあたりか、とか、あるいは、タカハシマコの描く、少年の、もうほとんど病んでいない、そのあたりの源は、このあたりか、とか、ちょっとまだ読んでいない作品も多く、よくわからないのだけれども、そんな風に感じた。
 それで、俺はどうなんだ? と、思った。俺は、性とかジェンダーとかさっぱりわからんところが多く、俺について語るにも言葉が足りないが、さあ、上の言葉にならって考えてどうなんだ。
 そうだな、たとえば、「少女になったことがないから、少女が大好き」といえるかどうかというと、うーん、むむむ、わからん。少女の少女性というのか、そのあたりはどのあたり? みたいなところもあるし、なんというか、わかんねー。わかんねーけど、なんというか、そんなに女の子に幻想を抱いていないというか、女の子は特別教な感じはないというか、そういうところはあるというか。その、タカハシマコ的な、毒とかそういうのではなく、もっと生々しく、普通な女っていうか、なんつーの、わかんねーけど、まあ、なんとも、手放しってこたねえな、みてえなところがあって。
 じゃあ、一方で、少年はどうなんだってのがあって。そうなると、俺はもう、少年、美少年、少年愛、すげー好きなんだけれども、ただ、俺は少年であったことはあるから(美少年だったかもしれないぞ!)、なんつーの、その、俺が少年であるところの体験、経験みてえのはあるじゃん。そうすると、それによって、少年に対して手放しになれねーところが出てくるはずじゃん。でも、どうも、少年はいいじゃん、ってのが残るというか。
 でもさ、男は駄目だ。男は嫌いだ。男は苦手だ。俺は男と体育会系が嫌いだ。あと、人間も嫌い。そういえば、以前、「異性愛者への12の質問」というのを目にして(下書きの途中で数か月放置してあるんだけれども)、その中に、こんな質問があった。

4.異性愛なのは、同性を恐れているからではないですか?

http://d.hatena.ne.jp/nodada/20090418/p1

 これはさ、なんというの、質問自体が、ひねりを持ったものなんだけれども、俺、この質問については、なんというか、普通にYESというか、そういうところがあるわ。女性に過度の期待や願望を抱いちゃいないけれども、お前、野郎ってのは、やっぱり汚いし、いろいろ毛とか生えてるし、あんまり近くにいたくないじゃんって。
 でもさ、こう、少年というのはいいじゃないか。いや、うーん、そうだな、稲垣足穂が「ペニスくさくなるとだめだ」みてえなこと言ってたと思うけど、そのあたりの、その際あたりまでだな。ポルノ的には射精しなきゃだめだけれども、それ以後の現実の野郎ってのは、なんつーの、もう、脳味噌の代わりに精液たっぷんたっぷん詰まって、射精しか考えない(状態に支配されうる)、しょうもねえ存在だし、それはもう、なんか、見た目はどうあれ、坊主頭にニキビ面のマスカキ高校生っちゅうような、いや、これはもう、俺が通過してきた、俺の知ってる俺の野郎、まさにこの野郎であって、まさに現在進行中なのかもしれないけれども、いや、俺自身がそうということに嫌悪感は、これはもう不思議となくて、俺は自慰や性交に嫌悪感を抱いたことがない人間なのだけれども、まあ、他人のそれと仲良くなりたいかというと、まあ、男子校での、男同士の底抜けの下品な話というのも悪くないというか、面白いけれども、あれ、まあ面白いか。あ、基本的に好きだわ、それは。ええと、けど、なんかその、男性的なものみてえなのは、苦手なんだよ、男社会? みたいな? 
 そうすると、やっぱり、そりゃ、女の怖さ、生々しさというか、なんというか、「こっから先はわからない」ってラインがあるんだけれども、できることなら、女の人と仲良くしててーっていうところがあって、なんつーの? その、たとえば少年や女性を弱い者と見なし、その関係では威張れるから、みてーのじゃなくて、ぜんぜん違って、むしろ、なんか去勢っつーの? 勢みてえなもんがあるなら、それを去した方でまったりしててーみたいな、そんな願望はあるわ。いや、それも女性というもの、男性というものに対する画一的な見方、押しつけられた感じかもしれねーけど、なんか、男と女どっちもある世界って、なんか面倒くさくね? まあ、俺はひきこもったりするくらい、世界ミニマムで生きてきたから、いろんな人間関係みてーなのしらねーけどさ。
(こっから追記>)
 あー、しかし、なんだ、たとえば、男子校って、男社会か? よくわかんねー。なんか、それこそ、むしろ、なんか自由で、まったりしてたような気もする。それこそ、去勢された集団みたいなところがあるんじゃねえの? それこそ中学からだぜ、なんつーの、その、異性の目からは遠いし、こっちはエロ本やエロビデオ見ても、その、生の女の子に接していこうって、もちろん、そういう連中もいたけど、少数派だったよ、たぶん、すごい。そうすっと、なんだ、たとえば、小学校高学年くらいに芽生えてくるような、あるいはそれ以前から芽生えているような、男と女の関係の萌芽っつーのか、それ、俺、すげえきらいで、もちろん、好きな女の子とかいたけれども、なんつーの、男同士でかっこいいところ見せて、みてーな、つーか、そもそも俺、チビだし、そんなモテ競争したくねーし、それ嫌で嫌で、エロいのは好きだけど、女の子を含んだ集団というか、モテないのは悲惨というか、好きな子が誰か別の男と恋仲になったらどうしよう、見たくない、みたいな、ああ、俺の寝取られ願望ってこのあたりスタート? うーんわかんねー。
(<ここまで追記。文脈の流れに乗らねー)
 たださー、なんつーか、さっきも言った通り、頭の中、エロいことでいっぱいだし、エロいもの買うし、セックスしてーし、まあ、幸いなことに、してるし、まあ、なんつーの、普通に肉食って言ったらなんだけれども、まあ菜食じゃねーよってのがあって。
 でもそれが、なんか自分の中で矛盾してるってこともなく、だいたい俺は俺の性についてなんか悩んだことがねーっていうか、そりゃ、中学生のころ、「あのエロ本をどうやって買おう」とか、そういうのはあるとしても、そう思う自分に疑問はねーし、なんかそれに労力をかたむける自分に反感はねーし、「ああ、こんなにエロDVD買うんじゃなかった」とか思っても、そう思うと同時に「まあ、別にいいじゃん」ってのが発せられているし。ぶっちゃけ、中学時代とか、同級生の男の子好きになったり、性的欲望の対象にしたって、なんら罪悪感とか、迷いとか、悩みとかないっていうか、BL本と素人投稿もののエロ本一緒に買おうが、別に何でもねーし、まあ、チンコがそう言うなら、そうなんだろーって、そこのあたりよ。
 だからなんつーの、俺とチンコの主従関係は怪しいのよ。「ほかになんか、判断する材料とかねーの?」って、まあ、悩みがないのが悩みってのは贅沢な悩みみてーな、もう悩みじゃないもんかもしれねーから、これを悩みですとはいえねーけどさ。うーん、たとえば、俺の性的嗜好の対象が、っつーか、まあ、チンコが反応するところが、なんかもう性犯罪とかになっちゃっても、それでも俺は肯定すんの? って。そこんところで齟齬が生じてくれるかどうかが怪しいというか。
 なんつーのか、なんかひょっとして、自分が性犯罪者とかにならねーですんでるのも、なんか自分の嗜好が妙に守備範囲広いおかげで、規制や弾圧から逃れられてるのって、要するにたまたまのことであって、たまたまって金玉のことかというと、なんかそれダブルミーニングになりそうだって今思って、まあ、今そういう速度でタイピングしてるんだけれども、そのへんで、今のところ助かってるけど、なんかこの、チンコの方が、「これからは狙い球絞るわ」って、これもダブルミーニングかというと、そうでもなさそうなんだけれども、なんかこの、急にこいつが、この息子か、あるいは俺の主かもしれない何かが思いはじめたりしたら、なんか俺、脳、大丈夫かよって、そのあたりがあるっつーか。
 いや、実際のところ、なんつーの、俺は俺の今のこの欲望以外の欲望は考えられないというか、機会がありゃ何がどうなるかわからんし、急にあるジャンルが駄目になったりするかもしれねーし、ってのがあって、俺は一時ウメ昆布茶がすげー好きだったんだけれども、なんかある日を境にすげー気持ち悪くなって、もう今はぜんぜん飲める気がしないってのがあって、なんかそういうところあるかもしれねーってさ。
 でも、なんかわかんねーけど、別に、起こってもいないことを心配してもしゃーねーし、なんかもう、おっさんになったら、だんだん萎んでいくものかもしれねーし、まあ、老いたら老いたで新しい世界もあるかもしれねーし、なるようになるしかねーってところかもしれねーっつうか。
 あー、しかし、なんだろう、その俺が考えたかったのは、性的嗜好の対象と、なんだ、なんか男と女のラブゲーム世界から自由でありたいところの、そこになんか重なり合うところがあるのか、別に単にエロ守備範囲が広くて重なってるだけかとか、そのあたりだよ。あー、しかし、別に俺、少年愛もの好きだといっても、それだけじゃないと駄目ってことはまずねーし、まあ、日記に書いて晒したりはしないけれども、『芸能人原紗央莉 奇跡のAVデビュー』観て、「うおー、たとえば、‘人妻を寝取る’とかいう物語性が失われて久しいAVにあって、いろいろの属性もたんなるコスプレ衣装に成り下がり、ただAV女優がセックスの技を見せるという方向に進んでいるように見える中にあって、これについては、原紗央莉が芸能人であるという、芸能人扱いというところのフィクションでありフィクションでない二重写しが成立していて、たとえばそれは執拗に乳首を責めながらも、乳首を晒さないというこだわりがー!」とか興奮している馬鹿チンコ君であって、あれ、これ、公開すんの? マジで? まあいいや、フィクションだし、そういうことであって、いや、別に「イコピコって『ぼくのぴこ』っぽい名前だな」とか、そんなんでもいいんだけれども、別にどっちが俺にとってノーマルだと思ってるとかそういうんじゃなくて、そういうんじゃないんなら、別にエロはエロで、なんつーの? コミュニケーションに関する欲求というものと、そこんところ区分けできるの? つーか、しちゃっていいなら、しちゃうけれども、みてえなところもあって、まあ、俺としては、していいんじゃねえかというか、少なくとも、俺のエロは、そこんところで、なんつーの、エロで独立していて、チンコが受け持ってるようなところもあって、深層心理とか言われたらわかんねーけど、まあ、そんなところだわな。
 ええと、たとえば、うーん、だから、ほら、マイケル・ジャクソンが子供ということ、子供であること、あるいは少年について、過剰ななんか思い入れというか、あるいはオブセッションを持っていたとして、なんつーの、それがなんか暗い部屋で一緒に遊んでりゃ満足できるみてーな、コミュニケーション欲? みたいなもんがあるとしたら、それはそれじゃねえかって。でも、でもだ、なんつーの、その、別にそれが、性欲っつーのか、性行為ってもんと、性的欲望と一緒になってもおかしくねーっていうか、別にマイケルがどうだってわけじゃねえけど、なんか、今、はじめて、マイケルのそれについてそう思ったんだけれども、いや、本当に、こないだの日曜日の東スポの最終面の記事読んだときには、なんつーの、微塵もそう思わず、「完全に性的なことしてんだろ」って思ってたんだけれども、いや、そうじゃない可能性もあるというか、結果的にそうであっても、その、なんつーの、そこでエロと人間の別の欲とか願望が、働いてないと言い切るのは無理じゃねーのって、これ打ちながら思った。タカハシマコからマイケルに来るとは思わなかった。おしまい。

 なんだ、『魔法少年チャイナシュガー』について書いてねー。これ、俺、好きよ。魔法少年あたりでもいいけどさ、親の元魔女っ子っぷりとかおもしれーわ。これ、アニメ化とかしろよ。

関連______________________

  • http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20090317/p1……じゃあ、俺の、ひょっとしたら人形が一番好きなんじゃねえのって、どっから来てるんだろうか。そりゃあもう、「男も女も少年も、血と肉でできてるもんは全部駄目だ!」ってそのあたりなのかもしらん。で、なんだっけ、人形に人間性じゃなくて、むしろ、非人間的であるところを求めるのを、逆ピグマリオンコンプレックスとか言うのだっけ?
  • http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20090415/p2……まあ、いつも同じ事書いてるんだよ、何度も何度も、これって、ダブルミーニング? お下品だ。まあいい、しかしなんだろう、俺は性についたり、エロについたり考えると、もう俺というサンプル以外はわからんとしか言いようがないし、そうとしか考えられず、またしかし、そこでケリがつかないし、ケリがつくものかもわからんし、なんというのか、そのわからなさを前にすると、これを他の人間の何か、社会、文化の何かとして考えようとすると、そんなもんもう無理じゃねえのとか思ってしまう。