俺にはここまで言い切れなかった
お前らは地下に潜るべきなんだよ。「ひでえゲーム」と話を振られたら「ほんとひでえよな、よくそんなのやるよ」と呆れてみせながら腹の探り合い、で、家に帰って部屋に籠ってからこっそりやるべきなんだよ。表ででかい声出すんじゃない。恥ずかしいな。何で人目に触れない世界でひっそりと繁栄できないんだ? どうしてまともな世の中に受け入れて貰いたがるんだ? そういうもんじゃないだろ、そもそも。
2009.5.14: 日記
俺、ちょっと前にぐだぐだ表現の自由みてえなもんについて考えたんだけれども、なんつーか、ここまではっきり、ある意味、上から物を言うだけのもんが自分にねーから書けなかったけれども、まあしかし、これには同感か反感かでいえば、同感におおいに傾くところがある。
ちなみに、これの書き手が佐藤亜紀であることは、読み終わって同感したあとに知った。佐藤亜紀の小説は二作読んでいる。あと、澁澤龍彦の初期短編集の解説も読んだ。そのくらいであって、どこまでアウトサイダー側の人か、というあたりについてはちょっとよく知らない(たとえば、西原理恵子が「地下でやれ!」って言ったのと同じようなものかどうか、とか)。
で、俺は前にこう書いた。
が、感覚的にやっぱりわからない。エロもエロ、それも倒錯趣味のものなのだから、都立産業貿易センターは似合わないんじゃあないかと思う。もうちょっと、なんか、暗くいところで、こっそり、気づかれないようにやるほうが似合うんじゃないのか? そういうものでもないのかな。いや、そういう場(って、どんなのか具体的にはわからんが)もないのかな。いや、たとえばこういう施設を使うにしても、「現代詩創作研究会」とか「関東ローム層地質研究誌交換会」とかのふりをして、「下末吉ローム降下軽石群研究」の表紙めくったらケモショタ四肢切断みたいな、そういう方向がマニアックでいいんじゃないだろうか。
アブノーマル無題 - 関内関外日記(跡地)
えーと、この辺はちょっと趣味のおしつけというか、イメージの型にはめているようなところもあるけれども、なんつーか、アブノーマル、ちょっと世間一般から理解を得られない趣味については、やっぱりやってる側がそれを自覚した方がいいし、どこまで世間一般のラインとやりあえるか、あるいは逃げて隠れるかというあたりには、自覚的じゃないといけねえように思う。
否定しようと世間は存在するし
でさ、「アブノーマル」とか「世間一般から理解を得られない」って、ここんところは軽くながしていいところじゃねえんだろう。なんかたとえば、「マイノリティ」とか「セクシャルマイノリティ」とか、そういうあたりになると、なんかもっとはっきるするけれども、あんまりなんだかよくわかんねぇ、顔のない大勢、マジョリティ、世間みたいなもの、また、それが断じるとされる「良識」とか「非常識」とか、そんなもんの危うさってもんだろう。でもだ、でも、「そんなものは価値がない!」とか「意味がない!」とか「誤ってる!」とか言ったって、たぶん、現実にあるもんはあるんだよ。無視したところで、やっぱりこの社会みてえなもんの一隅にいるかぎり、無縁になれねえし、たぶん、ある局面では「価値がない!」と言う人が、そっち側になったりしてるもんだと思う。それはたぶん、村上春樹が壁と卵とか、ザ・システムとか言ったところに関係あるかもしれないし、ないかもしれない。
でもって、だ。その世間一般というか、社会というか、それがさ、なんか「白い目」とかである分には、まあそれも問題にしても、しかし、さらにそれがもっと凝縮というか、結晶化というか、強く固まって、「法律」になっちゃったりしたらどうよ? なんかもう、それは嫌じゃん。おもしろくない。そうなると、もう「白い目」、「むかつく」、「キモイ」が社会正義みてえになっちゃうんだぜ。肯定された差別のようなもの。それはつまんねーよ。
ただ、本来は陰で行われるべきもの、ひっそりと世間の目に付かないところでやるべき(この「べき」が公共の正義側の上からの視線、高圧的、排他的なものではなくとも、あり得ると思うんだよなぁ)ものが、知らぬ間に突出、肥大化して、やり玉にあがって、逆にそれほどひっそりとしなくてもいい程度のものまで巻き込んだりするような、そういう話は面白くない、と、思ったりするあたりがあるわけで、なんとなく気になってしまった次第。
アブノーマル無題 - 関内関外日記(跡地)
そんでさ、なんかたとえば、この社会の中において、ルールの中において、表現の公表、流通、市場の形成などを行いたいと思うのであれば、そのあたりの空気とか、世間の目とか、そのあたりを意識しつつ、ときには表現の自由にもとづいた権利を主張し、ときには自らゾーニングを設定し、あるいは隠れ……、
(と、ここまで書いて中断。上に書いたように、下書きに書いて放っておくと、多分そのままなので、いや、なんか4月20日とかの賞味期限切れた下書きとかあるし、冷蔵庫みたいなんだけれども、なんかもったいないので、とりあえず端折って続きをメモしておく)
「べき」の意識をまわりからでなく、内側で、制作者、消費者ともに作りあげて、自衛していくような、そういうのがいいんじゃねえのかと……。
自分が知らないと知っていることについて述べる愚行
そんで、ここからは、ひょっとするとというか、けっこうな確率で、「俺が知らないだけ」みてえな、そういう可能性はあるけれども、今までエロ漫画、アニメ、ゲーム、ビデオ、そういった業界が、なんか自覚的に、その、世間とか良識とかいうものと、向き合ってきたのかどうかというところで、どうもそうではないのではないかというような気がする。そう、「気がする」だけであって、要するに俺はエロメディアを買ったりするだけであって、エロ業界の取り組みとか、そのあたりの言論とか運動とか、よく知らないんだ。
で、知らない上で見ていて、何年も前から、「このままではエロ漫画が規制されてしまうかも」みてえな、まあとくにロリ系についてそんな話が持ち上がったわりには、あんまり変わってないじゃん、みてえな……。わからん。でも、うーん、ネットでは……、いや、しかし。そりゃあLOでは、なんかちょっとデザイン的にかっこよすぎるきらいはあるけれども、そういう、ある種の自覚的な主張をしていて、そういうのもあるんだけれども、どうなんだろう? そこまでうまくやってんだろうか、みてえな。なんか、ちょっとどう見ても、なのに「18歳以上です」とか、「元は人間だったが、中2の時にアニメキャラ化されてしまう」とかで、なんか日本始まりまくってる感じもあったりして……。
いや、しかしな、しかし、正直、俺は、「絵に描いたキャラならいいじゃん、なんでも」って、そこんところはそう思う。でも、一概にそう言っても、やっぱり個別の事情っつーか、内容があって、やっぱりそのうちのある領域は、世間様がさ、嫌うもんであってさ、その「嫌い」になんか正義とか真実とかはねーけれども、その時代その時代の綱引きというか、線引きというか、どっかしらそれとは無縁でいられなくてさ。
ああ難しい、なんか書いてる瞬間から、全部間違ってて、言葉が腐っていく感じ。まあ、腐葉土になるかもしれねえし、垂れ流す、放置。つーか、いつもそうだ。今日は疲れているんだ。
そこまで強くあらねばならんのか?
そんで、その、「隠れてやれ」、「捕まる覚悟でやれ」論みてえな、まあ、佐藤亜紀も俺もちょっと言ったりしてるようなところがあってさ。もう、法なんてもん、あざ笑ってやれ、みてえな。たとえそれが世の中の常識、良識、法、人倫、人権、何に反していても、ギロチン一回の罰の値札がぶら下がっていても、あえてそれを買うところに、何かあるんじゃねえか
2009-05-12 - 関内関外日記(跡地)
しかしこれってさ、まあなんか罰後払いでなんかやって、で、実際捕まって、誰がケツ持つの? みてえなときに、まあケツ持ちいねえ、みたいな。少なくとも、俺は責任取れねーって。つーか、他に責任なんか持たせるな! てめえの覚悟で突き進め!
……とか、景気のいいこと言ってもさ、なんかそれって、なんつーの? マチズモ? マッチョ? ミスターマチョ? な考え? よくわからんけど、なんかすげえ、その、たかがエロ娯楽、オナニーの道具について、過大な要求を背負えって言ってるような? そこまでの? というところはある。
だいたい、罰後払いだから、先に行動があるといっても、結局圧倒的に、国とか社会とか法の方が強いから、なんつーのか、そこんところであらかじめアンフェアがあんのかな? そこんところで、法と勝負して、負けたらサドやブランキみてえに、監獄でやれ、そこが自由だ! とか、なんつーのか、何言ってるんだよ? そんなんじゃねえよ、もっとちっぽけで当たり前の権利主張してるだけだよって、そう言われると、まあたしかになんか、自分も景気のいいことばっか言って気持ちよくなってただけじゃねえのか、と、そう我にかえるところはあるんだけれども。
うーん、そこんところで、そんだけのもんか? という、たとえば、なんで「このエロジャンルだけが?」的な、過大なハンデを背負わなきゃいけねえの? みてえな理不尽さはある。でも、そこで理不尽さを撃つことも必要かもしれねえけど、その理不尽さは、なんつーのか、理でどうにかなるの? というか、そこは落としどころ、みてえな。
ああ、言葉が腐る。つらい。
みんな戦ってるんじゃねえの?
でも、たとえば、強姦エロゲよりはいくぶん真っ当な趣味とされるゴルフとか自転車とかだって、それぞれ、なんか環境破壊、国土破壊だ、とか、交通の邪魔だとか、そういう批難とのせめぎ合いは、一応やってて、それに対して、ゴルファーの基金で自然保護活動やってますとか、なんかそういうことやってんじゃん。あと、俺の趣味競馬だけれども、競馬だってくそ日陰の存在から、なんかけっこう日の当たる場所に出て来ようとして(ここがエロと違う、かも)出てきたわけだけれども、やっぱりその、イメージアップについては、なんかこう、世間と綱引き、線引きして、まあその結果が俺にとってうれしいかどうかはわからんが、まあでも、そういうもんだ。パチンコだって、サラ金だって、なんかそれぞれに世間との折り合いをつけようとして、それぞれの位置にあって、でもノミ屋も地下カジノも闇金もあって……。
そんで、エロでも、白夜だったか、コアマガジンだったかワイレアだったかわかんねえけど、エロ本とかに、なんかエイズだか性病対策だかに売上の一部を……みてなのがあったり(記憶が曖昧すぎてあったのかあやしい)、それって、それもなんかすげえ完全にすばらしいことでも、あるいは、すばらしくみせかけたこととしても不完全かもしれねえけど、どんどんそうやっていってみて、はじめてなんか世間に伍するというか、そういうところがあるんじゃねえかと。少なくとも、社会の中における流通とか、市場の形成とかしたいんだったら、そこんところ踏まえて、努力するべきじゃねえかと(再度言うが、努力しているのかもしれない)。
ニーメラーの言ったことは正しいと思う、が
それでさ、それでもさ、なんかもう地下に潜ったり、すごく、かなり、ゾーニングを徹底して、そんでもなおかつ、その地下を暴いたり、息の根を止めようとしたとき、そんときこそ、表現の自由を、虚像としての錦の御旗でなく、本当の武器として手に取り、死ぬまで戦うべきじゃねえのか、とか。まあ、その、危機感とか、段階において、俺はそこまでエロ世界を知らないし、深く調べたり考えたりしていないので、ひょっとしたら、かなり食い違いがあるかもしれない。それは認める。でも、なんか、俺には、エロが、どうも野放図に、「このくらい許されるだろ?」、「表現の自由だろ?」で増長しすぎたんじゃないかとか(着エロで具が出ていたとか、やりすぎたローティーンアイドルイメージビデオとか、「それも表現の自由だ!」って守るのはいいかもしれねえけど、うまいラインでやっていた大多数の同業他社にとっては、それで規制とかが進んだら迷惑だよな、みてえな)、なんか本当、隠れていたつもりが、明るいところにいた、とか(ネットのせいとかもありそう)、まああるけれども、ちょっとどっかしら、なんかやんなきゃいけねえと、なあ。うーん。俺にはエロが足りねー
ああ、なんかわからんけど、その、俺、エロメディアといえば、やっぱりその、自分の中では、けっこうエロには一家言ある、くらいの気持ちでいたけど、やっぱりダメだわ。たとえば、今回の件においては、俺、正直、ずっとマックユーザーで、その、エロゲーってやったことない。買ったことない。エロゲの世界を知らない。どんな風にして売られ……というのは、ちょっと見かけたりするけれども、ええと、実感がない。エロ本、エロ漫画も、そんなに買わなくなって久しい。なんかわかんねー。いくらエロの側に立つつもりでも、力になれねー。なんかもう、非力だ。ああ、かしこさ、かしこさとエロと金が足りない。うおー。痛哭。そういうことにしておいて。↓下図はなんか描いてみたけど意味がわかんないので破棄しようかと思ったけど、まあもったいないのでアップしておく。すげー無駄。まあいいや。