- 作者: こうの史代
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2004/10/12
- メディア: コミック
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俺と広島
俺は異邦のカープファンだ。俺は北海道で生まれ、鎌倉で育ち、横浜に住んでいる。けれども俺は、広島東洋カープとともに育ったし、広島東洋カープのファンであることを誇りに思っている。俺の身体のどこを切っても、赤ヘル色の血が流れる。俺と広島。縁は遠い。父親が広島で育ったというだけだ。だから、俺は、在関東広島二世、なのだ。そんな気がしている。距離的には遠いが、広島というのは、たとえば神奈川の次、北海道とどちらかというあたりに位置する。観念上の故郷。俺は広島の人間ではないし、広島弁も喋れない。でも、俺はどこか広島の人間だと思っているし、少なくとも広島の人間に育てられたという、その自覚はある。
俺の祖父母と俺の父と広島
この漫画を読んで、唐突に母に質問した。「うちのおばあちゃまとおじいちゃま(←これで父方の祖父母という意味になるジャーゴン)は、原爆のときとかどこにいたか知ってる?」と。母曰く……、祖母は疎開していたらしい。どこに? 山口に。山口で、岸信介の家か別荘かの隣あたりにいたらしい。祖母の家は金持ちで、関東大震災のときは、横浜の港に停泊していた外国の客船に避難していたというのだから、そんなこともあるのだろう。……なんで俺は貧乏なんだ? 一方、祖父は科学者で、高雄の海軍第六燃料廠にいたが、敗戦濃厚になった時点で、韓国経由で本土に帰され、大阪かどこかにいたらしい。……あれ? 広島出てこないじゃん。「ひょっとして、俺も、被曝と関係あるのではないか?」という、そんな思いもあった。この漫画を読み、ひょっとしたら、俺に隠されたというか、俺が聞いてなかっただけかもしれないけれども、そんな何かがあるのではないか、と。なにせ、俺の父の双子の弟は、第1級障害者だったし……。
ただ、父がヒロシマについて語った言葉で、ひとつ覚えているのは、「原爆の影響で百年草木も生えないと言われたが、ちゃんと木も草も生えたぞ」ってなことを言っていたこと。たしか、反核運動を揶揄する文脈で出てきたような気がするけれども、真意は知らず。さらに彼が、かつて学生運動に身を投じた背景に、広島のことがあったのかどうかも知らない。
『夕凪の街 桜の国』
さて、上に書いたのが、この作品を読む俺と広島とヒロシマ。正直言って、やはり俺に広島は遠い。ヒロシマへの距離感も、少しは近いかも知れないが、それほど近いと感じたこともない。のだけれども、でも、これはやはりなんというか、グッとくる、グサッとくるところのある漫画。カープネタににやけつつも、う……と、思ってしまう。知らないことも多すぎた。そうだからこそ、あれだけ評判になったのだ。自然に、普通の、いきいきとした人間を殺し、むしばみつづける、それについて、その対比。この作者の漫画を読むのははじめてだが、これはすごいというくらいしか言えない。とくに、「夕凪の街」のラストにいたる流れというのは、もうまいってしまう。よう、今まで読まないでいたな、という気がする。もっと漫画読まなきゃだめだ、俺は。そんなことまで思った。今は、そのくらいしか言えない。こういった作品というものは、なんというのか、これによって知りました、で終わらぬ。終わっても、終わらぬフックしててくる、そういうのが、なんつーのか、名作というもんの、ある種の名作というもんの、持つものなんだろうな、うん。追記______________________
うちは、母方の祖父母を「じいじ」、「ばあば」と呼び、同居していた父方の祖父母が、上に書いた「おじいちゃま」と「おばあちゃま」だった。幼児語がそのままスライドして、半ば家族内の固有名詞のようになってしまったわけだけれども、最初からそういう意図で呼び分けていたのかどうかわからない。ただ、母方の方は自称していたような気もするが、そのあたりもよく覚えていない。
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