アルコールゴールド

 このところ、酒をよく飲むようになった。外で飲むことはない。ほとんどない。ずっとそうだ。帰って、飯を食いながら、一人で飲む。今までは、夏でも、だいたいビール系飲料350ml缶を週に5本くらい。1日1本飲むか飲まないかくらい。ところが、最近は必ず1日1本、下手すれば2本も飲む。それより、まず帰ってすぐに駆けつけ一杯とでもいうのか、暖をとるためだからと言い訳しつつ、ウイスキーをクイッとか、クイクイッっとやって、そのあとでビール系飲料を飲む。ビール系飲料がまさにビール系であって味がうすい場合は、ウイスキーを垂らす。
 まあ、この程度だ。量はたいしたことがない。しかし、俺はそれほど強くないのだ。
 まあ、量の問題ではないのだ。なんというか、帰る最中から、とっと酒を飲もう、アルコールを入れようと、そればかり考えているところがある。飲んで、嫌なことを忘れてしまおう、一時でも。
 この思いが、案外強い。強くなっている。嫌なこと? 具体的にどうということはない。いや、嫌じゃないわけでもない。どうにも持て余している仕事や、給料の遅配、先行きの不安、いろいろなものが織り交ぜられた、そんな嫌なことはある。ただ、今までは、そういったありきたりのぼんやりした思いで「酒!」とはならなかった。なにかちょっとあった、その日にあったことについてだった。それが今では全般だ。毎日だ。
 なんというか、酒を取り上げられるのが怖いところがある。「禁酒ね」とか言われたら、どうしていいかわからんところがある。そういう思いは、今までなかった。そこのところの違いを、ここのところ感じている。
 アルコール依存症というのがある。その入口に立っているのかもしれない。

通常は飲酒行動を、主にアルコールによって得られる肉体的・精神的変容に求める事が多いが、初めの頃は毎日飲むわけではなく、何かの機会に時々飲むだけという機会飲酒から始まる。しかし、何らかの原因で毎日飲む習慣性飲酒に移行する事も多く、習慣性飲酒となると同じ量の飲酒では同じように酔う事が出来なくなり、次第に飲酒量が増えていく事になる(耐性の形成)。つまり、アルコール依存症になる事はこの「習慣性飲酒」と深い関係があるという事になる。もちろん、習慣性飲酒をする人全てがアルコール依存症患者であるとは言えないが、何等かのきっかけがあれば更に飲酒量が増え、いつの間にか依存症に陥ってしまうという危険性は十分孕んでいると言える。

 もちろん、自分は自分の父親というリアルな存在を目の当たりにしているので、今この時点の俺がどうこうといえるわけではないと思う。思うが、やや強く、部屋に帰ってアルコールを入れることを意識している自分というものを意識していて、ひそかにこう観察して、こう書き留めているのだ。