村崎百郎の2つの教え

 23日午後5時50分ごろ、東京都練馬区羽沢2、作家、村崎百郎=本名・黒田一郎=さん(48)方から、男の声で「人を殺しました。捕まえてください」と110番があった。警視庁練馬署員が駆け付けたところ、村崎さんが1階リビングで血を流して倒れており、搬送先の病院で死亡が確認された。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100724k0000m040154000c.html

 殺人、作家の村崎百郎さん、刺殺? 作家の村崎百郎さんが刺殺? ちがう、作家の村崎百郎さんを刺殺、だ。まったく、故人になんて勘違いを。でも、たぶん本人が、「俺は人を殺しても精神疾患で無罪」みたいなこと書いてたと思うぜ。
 村崎百郎を知ったのはいつだったろうか。クソ雑誌『GON!』あたりでゴミ拾い系の記事を読んだのか、それとも別冊宝島シリーズで電波系の記事を読んだのか。少なくとも中学生のころには名前を知ってたはずだ。15年以上前か。まだインターネットとかなくて、アングラっつったら、そのあたりだったっけ。
 ……そうだ、単行本を持っていたと思う。急に思い出した。紺色、いや紫色だろうか、そんな表紙。マスクをかぶった本人の写真。マスクがむらさき、だったのか。そういうネタだったのか。今気づいた、くだらねえ。

鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!!

鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!!


 たぶん『鬼畜のススメ』だ。いや、たしかに持ってた。いや、持ってるかもしれねえと思って、今、ひさびさに収納スペース開いて、入り口のあたり漁ってみたら、ならやたかしの『ケンペーくん』(ラ・テール出版局)くらいしか見つからなかった。これは藤沢のパルコで買ったような気がする。猛毒といい、ならやたかしといい、なんであのあたりなんだろうか。あれ、古いGON!どこだろ。
 と、それはともかく、村崎百郎の話だ。単著も持っているくらいだから、俺はけっこう村崎百郎が好きだったようにも思う。いや、それほど熱心ではないかもしれない。『社会派くんがゆく!』とかはたまに読んでいたけれど、最近はどうなっているかも知らない。
 それでも、ふたつくらい「村崎百郎の教え」って、教えじゃないけど、そういうのを抱いて生きている。抱いてってのは、なんだろう、すぐ意識の俎上にひっぱり出せる、のぼってくるってくらいの話だ。

警察官

 ひとつは警察官を見るたびに思い出すことだ。これは前にも日記に書いた。

 それで、ふだん俺が、警察にどう接しているかというと、もう、なんというか、全面的尊敬のまなざしというか、「わあ、お巡りさん、大好き!」というオーラを出すようにしている。村崎百郎が書いていたと思うんだけれども、なんか、それで、鬼畜ゴミ漁りしていても、あんまり捕まらないとかなんとか。じゃあ、俺のような、ほとんど善良な、小市民が、そういうオーラ出せばどうなるかといえば、なんかいきなり警棒で殴られたりしないと思う。すごいアイディア。それ採用。それで、ほら、花輪和一が『刑務所の中』に描いていた、心にグラインダーかけた囚人みたいな、ああいう感じでいこう、と(さっきからたとえにもちだすものが極端だな)。

全共闘世代に学ぶ、警察とうまくやっていくためのライフハック - 関内関外日記(跡地)

 そう、この「おまわりさん大好き、マジリスペクト」の心構え、これである。まあ、だいたい俺はもとより警察沙汰になるようなことは決してしない善良な小市民なんだけど、本当にこれね、この心構えで警察官向きあえば鬼に金棒、警部の肉棒、すごいオッケー。国家権力にはおもねってなんぼの心意気。職質とかされたことないし。いや、鬼畜でないしゴミあさりもしない俺が、べつに振舞う必要はねえんだけどさ。ただ、警察官を見ると思い出んだ。

ゴミ

 そしてもうひとつ、ゴミについて。てもとに本がないので正確に引用ができないが、おおむねこんなことを言っていたと思う。
 「キチガイの出したゴミはすぐわかる。衣服と生ゴミが一緒のゴミ袋に入ってるようなゴミだ。普通のやつは、自分の着ていた服を生ゴミと一緒にしたりはしない」
 俺はこれをたまに思い出す。どんなときかといえば、服と生ゴミを一緒くたにして捨てるときだ。まったく。
 
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 と、以上が俺にとっての村崎百郎の思い出であり、ほぼ全てだ。そしてまた、これは当分先までなくなりそうにない思いだ。村崎百郎は死んでしまったが、そういうものなんだ。もう、見沢知廉もいないし、村崎百郎もいない。俺はまだいるし、いついなくなるかわからない。それだけのことだ。