横浜そこら散歩〜地震のひっかき傷探して〜

 普通の文字サイズでお送りする、しょうもないくらい普通の日記メモ。

三菱みなとみらい技術館の早期復旧を望む


 とくに行くところもないので、中華街で飯、などということになった。その後、みなとみらいにある三菱みなとみらい科学館というところに行きたいというので、そうしようかと思ったら、お休み中だった。

地震による節電協力・安全対策のため、当面の間臨時休館させていただきます。

三菱みなとみらい技術館 | 三菱重工グループの技術を紹介する科学館

 なぜここに行きたいのかと聞けば、原子力発電所の模型やなにかがあったからだと言う。そうだ、そういえばそうだ。原子炉の小型模型というには大きすぎるなにかもあったような気がする。どちらかといえば、原子力を賛美していたようにも思う。いや、陰謀論のようなことは言うまい。きっと、節電、安全対策だよね? 開館したら原子力関係が撤去されていた、なんてことないと願おう。なぜなら、いろいろの知識を得た今こそ、展示を見てより深く理解できるのだろうから。これは皮肉とかじゃねえぜ。

山下公園とか赤レンガの裏の方とか


 そんでまあ、山下公園とかに向けて。


 シダレザクラが咲いておりました。

 カモメも飛んでおりました。人は……ちょっと少ないか。ベンチに空きがあったり、見晴らしのいいところが無人だったりとか。天気はあんまりよくなかったからなんとも言えないが。

 ああ、ただ、アジア系観光客がいなかったような気はする。海外の豪華客船もキャンセルしてんだってな。まあ、優雅な観光旅行、変なもんにはわざわざ巻き込まれたくねえだろうな。俺も豪華客船は嫌いだから望むところだ。経済効果? 下流の人間はそんなこと気にしねえんだよ。




 それで災害の爪あとin赤レンガ倉庫のあっちがわの方とか。いや、爪あとというほどの傷でもないか。テープ貼って補修しとけばオーケー。向こうに見えるのは日本最大の豪華客船「飛鳥II」。今ここで大地震が起きて津波が来るとしたら、あそこに駆け込むのが成果だろうか。いや、この向かい側に停泊している海上保安庁の「しきしま」に乗せてもらいたい。

中華街外側の店


 それで、また中華街に戻って飯。腹が減っていたので、入り口すぐというか、門の外じゃねえのか? というような新しめの刀削麺の店に入る。新しめの、中華街チェーン店系の、いかにも今風の店。ひょっとしたら、日本のイマドキ風ラーメンチェーンみたいな雰囲気かと思いきや、接客は安心の中華街クオリティでよかった。カウンターの向こうで調理しているのもよく見えて楽しい。やっぱり火力が違うわな、火力が。で、味の方はといえば、普通に美味かったっすよ(問1.「普通に」の意味を90字以上100字以内で答えよ)。あと、麺を茹でる鍋でいきなり豆乳をパッケージごと茹で始めたのが個人的にツボだった。スープのベースになるのかと思いきや、豆乳プリン作ってた。同行者によると、タカナシのあれはいい豆乳というので、今度食べてみようか。

 中華街の人出といえば、まあ普通じゃないかというくらいはいたんじゃないかと思うが、そうでもないかもしれないといえば、少し少ないかも知れない、くらいの。客単価どうこうまでなるとどうかわからない。いや、一応、外食産業を客単価千円も出して救おうという大義名分が小指の先くらいはあったので。

沖縄の写真など見る

 その後、行き場を無くしたので新聞博物館など行く。行ったことがないので押さえておく、というような。上の放送ライブラリーの方はいつかがっつり行ってみたいが、さてともかく節電中で暗い館内、エスカレータなども動いていない。

 企画展で大城弘明写真展「沖縄・終わらない戦後」を開催中。アメリカ占領下から今にいたるまでの沖縄の写真。モノクロームのが多い。人びとの顔や生活のいろいろなど思わず見入る。そう遠くないころの県民遺骨収集や、米軍基地の労組であるとか、右翼との対決、あるいは日本返還のために行われた日本国民化教育のようなもののこととか、知らないことだらけ。福島といい、沖縄といい。まあ、しかし、遺骨収集の写真など見ると、つい最近の震災の大勢の行方不明者のことなどが頭に浮かんでしまうというなこともある。
 その後、上の階の社会見学用的コーナーへ。写真展はそれ目的で来た人がいたようだが、上はほとんど無人
 昔の新聞、とくに広告はいつ見ても面白い。ここでも戦時中の新聞の広告欄の「日本男児はポマードをつけてキリリと勤労に励みましょう」みたいなのを見るに、昨今の自粛ムードと節電と経済活動について思わないこともなく。あと、戦前の世界各国の国力を比較したインフォグラフィックスみたいなのもあったけど、やっぱり日本がマジでそんなにアメリカに勝てそうにないって思ってるやつは、上から下まで少なくない数いてもおかしくはないなって気もしたりしたんだが。
 あとはえーと、閉館が近いので駆け足で帰った。こういうところで働いている職員は、元新聞記者なのかなとか思った。


 とかまあ、そんなんで帰った。おしまい。