エウロパ以外のすべての世界で


 目よりすこし上、おでこの上部の後頭部への奧行きへ、うすべったい立方体のようなものが挿入されているような感じで、脳内を行き交うなんらかの交信が途切れ気味になっているようで、おおよそのことがめんどうくさく感じられ、めんどうなのにやらなくてはならないという気もしないので、わりとわるくない心持ちになっている。
 自分の身体から無駄を省きたいというか、そもそもそこに栄養を加えることの無意味さに気づいてしまって、そうとうにミニマムなものへ、ゼロへと近づこうという意思、近づいている感覚があって、脳という内臓もそれにしたがって適切な機能へ切り詰めていくのもありうることである。
 小さい頃、寝台列車に乗ってみたいと思っていた。二段ベッドの上、目を閉じて、窓の外で絶え間なく景色が流れていくのを想像して、なんともいえない不思議な心持ちになったものだった。気づいてみたら、寝台列車は世界から走り去ってしまって、自分が乗る機会というのも失われていた。
 職場で流れるラジオ局、昼の時間の若いモデルのようなDJはイギリス帰りのバイリンガルで、ブリットポップが大好きだという。オアシスやブラーをよく流すのでそういうものかと思っていたら、大好きなスウェードと言い出して「ビューティフル・ワンズ」をある日の一曲目にかけた。この局ではごくまれに「シーズ・イン・ファッション」がかかるが、「ビューティフル・ワンズ」というのはいい。
 そのラジオのゲストに元イエロー・モンキーの吉井和哉が来て、最近なににはまっているかというと、ドナにはまっているドナ・マニアだという。どこのドナかというと東海道新幹線の車内アナウンスのwikipedia:ドナ・バークだという。東海道新幹線の車内アナウンスはすばらしい。俺は女によく「あのアナウンスはすごい。ウェルカムトゥシンカンセンなどという。あれを聴くためだけに新幹線に乗りたい」とよく言う。女は毎度「英語の案内なら京浜東北線でもやっている」と返す。なんにもわかっちゃいない。

 ここまで書いて幾日か過ぎた。何曜日かの夜、赤坂とかいうところに行った。酒を飲んだり、ものを食べたりするのだった。地下鉄に乗りながら「輪るピングドラムそっくりだな」と思った。憂鬱だった。本当だったら逃げるところだったが、あたまにうすべったい立方体のようなものが挿入されていたので、のこのこついていくことになった。五人か六人かといった人数で、その道の達人のような人たちだった。全国ほとんどの本屋にかならずといっていいほど著作のある人などもいた。ロード・ダンセイニの『魔法使いの弟子』で言うところの「鹿狩りの知識」を持っている人かもしれない。それはひとつの道でありながらすべての道でもある。というようなことも頭をよぎるが、おおよそ普通の打ち上げというようなものであって、末端業者の末端作業員として隅っこで鍋の火力を調整しつつ、相槌を打ち、笑い話に笑い、ときに質問を振り、いじられたりしつつ、勉強させてもらいましたというように頭を下げるなどしたり、それなりにロールをこなしたようにも思える。
 はたから見て実際どうだったのか知らないが、そこそここなせてしまう自分がいるように思える。挙げ句の果て、「たまにはこういうところに出るのもいいだろう」などと言われて、まんざら悪くないような気すらしてしまう。しばらくして、酔いが覚めると、自分にそのプロトコルは負担が大きすぎるし、おおよそみそっかすとして隅にいるのが限界もいいところだったと思い知るが、このところは立方体のおかげで深く思い悩んだり、後悔するということもない。
 少しの後悔というものもあって、広級マーク11がそれである。広級マーク11、俺がプロデュースした何番目かのアイドルユニットである。説明するまでもないが、名前の由来はウィリアム・ギブスンの中国製ウイルス。そう、広級マーク11、リーダーは千早。俺はこのユニットならば初の完全制覇も可能と思い、そのつもりでやったのだった。だが、しかし、一歩、いや、二歩か三歩足りなかった。まったくの見込み違いだった。そのあと、アニメの千早の救われるのを見て、まったく自分の失敗にさらに後悔をしている。
 かくも失敗はつづき、中日の打者はひたすらに凡退していく。三振し、内野ゴロを転がし、フライを打ち上げる。いったい落合はどのような魔法を使って、このようなチームでソフトバンクのような強力なチームと渡り合ったのか、それ以前にペナントを勝ち取ったのか不思議と言わざるをえない。俺は落合信者を自認しているので、そこに感心し、最後に馬原を投入しない秋山には関心を持たないようにしている。
 エウロパ以外のすべての世界で中日の打者は凡退しつづけ、アイドルはほんのささいな言葉に傷つき、新幹線は銀河の西に向かって疾走する。居心地のいいシート、耳にはドナ・バーク、頭にはモノリス、悪い話ではない。