そうだ、だからあなたもブログを書くといい

 地下鉄、松本両サリン事件など4事件に関与したとして殺人などの罪に問われ、一、二審で死刑とされたオウム真理教元幹部・遠藤誠一被告(51)の上告審で、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は21日、被告側の上告を棄却する判決を言い渡した。
 これで、教団が起こした一連の事件の刑事裁判が終結した。

http://www.asahi.com/national/update/1121/TKY201111210094.html


 六次の隔たりというのかなんなのかよくわからないが、知り合いの知り合いを辿れば人類皆兄弟であるというような話がある。わたしの職場にいる人は、オウム真理教の元大臣と小学校の同級生である。Wikipediaにも項目があるような上級幹部である。
 小学生のころの、彼のエピソードを聞いたことがある。まじめで勉強ができた彼が児童委員(……というものがよくわからないが、生徒会のようなものだろうか)に急きょ立候補したという。あまり友達の多いタイプでない彼は、結局、同じクラスから出馬した女子に負けてしまう。そこで彼はこう言ってひどく怒ったのだという。「女子のせいで票が割れたじゃないか」と。
 ……さて、このエピソードが本当だとして、あなたはどう感じたか。因果や帰結を感じたか? 原因か? それともなにかがあって、その結果の現れ方の類似と思うか? もし、そこで彼が児童委員になれていたら、なにか変わっていただろうか? 変わらなかっただろうか? それとも、そんな話はその後となんの関係ないと言うだろうか?
 わたしか? わたしはどう思うか。わたしは多いにとまどってしまって、どうしていいかわからず途方にくれる。そんなもの、そうだとして、そうだからといって、そうでしかないのだろうが、まったくなにもないわけでもないだろうし、なにかがあるようにも思える。
 世の中には、数え切れないくらいの、児童委員になれなかったX君がいて、彼らはそれぞれ数え切れないくらいの分岐を辿り、ある者は平穏のうちに生きて死に、ある者は人殺しに加担する、あるいは人を殺す。ほんとうの大臣になる者もいる。そんなもの、そうだとして、そうだからといってそうでしかないのだろうが、まったくなにもないわけでもないだろうし、なにかがあるようにも思える。
 そうだ、だからあなたもブログを書くといい。jkondoとかいう人もそう言ってる

書き残そう。あなたの人生の物語

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 あなたにもなにかがあったかもしれないし、いずれ人殺しに加担したり、あるいは人を殺すかもしれない。そのあなたの過去にはなにかがあるかもしれないし、なにもないかもしれないが、まったくなにもないわけでもないだろう。わたしもいずれ人殺しに加担したり、人を殺すかもしれないし、自殺するかもしれないし、あるいは平穏に生きるかもしれない。そのわたしの感じ、考え、行ってきたことと、それらの間になにかあるかもしれないし、なにもないかもしれないが、なにもないわけでもないだろう。そしてまた、それが何次かの隔たりを経て、誰にもまったくなにも思われないかもしれないが、誰かを途方にくれさせるかもしれない。そうであっても、そうでなくともよいが、そうであったとしても悪くない。ティピカルな憶測や模造記憶つきの伝言でなく、わたしやあなたの言葉が。