発達障害(ADHDなど)かもしれない症候群

 発達障害は従来、子供のものとされてきた。だが近年、ひきこもりや鬱病、子供への虐待などの2次障害が表れ、初めて受診する大人の患者が多い。

 こんな記事が出ていると、食い入るように読んでしまう俺は、心療内科で「パーソナリティ障害かもしれない」、「AD/HDなどの発達障害かもしれない」と指摘されたところ。

 で、正月休みなどもあって、とりあえずネット上の情報など漁った上で、さらにブックオフで本を買って読むなどした。今日の昼休みに二冊を読み、さらにさっきもう一冊読んだ。

 『大人の発達障害』はPDD(広汎性発達障害)を中心とした本であって、ADHDについては、その連続体(スペクトラム)のひとつの、重なる部分としての扱いといったとこか(このあたりの分類や連続性、医学的判定なんてものはわかりゃしません)。具体的な症例、エピソードなどあって読みやすくためになるが、俺の症状とはちと違うという箇所が多かった。しかしやはり、こういった障害に気づかず大人になってしまった人間の自己評価の低下であるとか、二次障害などは、そういうのはあるものなのだよな、などと。

 さて、次の本がとりあえず今の自分にとっては本命かもしれない『それって、大人のADHDかもしれません』。著者は、上の産経新聞にコメントを寄せている星野仁彦医師。ベストセラーも出している、この道のプロといっていいだろう。
 ……って、検索してみたら、というか、この本の中でも自分史(本人もADHDとのこと)で触れてるんだけど、「ゲルソン療法」で大腸ガンを克服したとか。

ゲルソン療法の基本
●無塩食
●油脂類と動物性蛋白質の制限(摂取できる油:亜麻仁油エゴマ油などのオメガ3脂肪酸とオリーブ油などの単価不飽和脂肪酸
●大量・多種類などの野菜ジュース(人参、青汁ジュースなど、1日2000〜3000mlのジュースを数回に分けて飲む)
●アルコール、カフェイン、たばこ、精製された砂糖、人工的食品添加物などの禁止
●芋類、未精白の穀類などの炭水化物、豆類、新鮮な野菜や果物、堅果類、海草を中心とした食事
●以上の他、ケースのよって、コーヒー浣腸、甲状腺ホルモンまたはヨード製剤、肝臓酵素製剤、カリウム剤などを用います。

 ……コーヒー浣腸? 俺は算数も理科も大の不得手で、ガンに関する知識も大造じいさんとガン止まりなんだけど、なんつうのか、その、この先生は信用できるのですか? 『がんの芽をつむにんじんジュース健康法』とか書かれているのですが? いや、俺はね、単なる高卒の精神病みですよ、論文やデータにアクセスする方法もわかりませんし、英語も読めない。でも、なんかそりゃねーんじゃねーのか? みてえに感じるの。俺がおかしい? いや、この療法が嘘であると決め付ける論拠も証拠も出せないよ、俺は。でもさー。
 つーか、こないだ読んだ人格障害本の著者wikipedia:岡田尊司といい、なんかわからんが勘弁してくれ。というか、一般書店でもブックオフでもAmazonでもいいが、ちょっと病気やなにかの本を探そうとすると、わんさかいんちき臭いの、デタラメ臭いの、ニセ科学だか疑似科学からしいのが並んでいて、マジ困る。でも、なんとなくそれは除外できる。で、著者の経歴まで見て買ってみてさー。それで、たとえばこういうケースで、俺自身の嗅覚で「コーヒー浣腸はないな」と判断しつつ、「でもADHDについては専門家だから、その記述は信用しよう」としていいのかどうか。少なくとも、ADHDの有効な治療法としてコーヒー浣腸とは言ってないしさ、でもさ、ベストセラーとかむしろ怪しいよな! なんか厳密さとか無視して読者におもねって書かれてる部分があんじゃねーの? とか、疑い出したらキリがないが、俺は医学部とか出てないし!
 とか言いつつも、この本読んでて「俺って、大人のADHDかもしれません」って確信を深くしてしまったと告白する。歴史上の偉人がどうこうとかはクソどうでもいいけど、日常生活上の事例として挙げられていることのいちいちに思い当たるところが多すぎる。ああ、俺は実に「のび太型」(不注意優勢型)だった。授業なんてまったく上の空だし、通信簿に「うっかりミスに気をつけましょう」って何万回も書かれたし、気は散りっぱなしで霧散してるし、片付けはまったくできない! それにまた、この本にも「ハロウェルとレイティーの基準」(オリジナル改変版?)とかわかりやすく載ってて、採点してみりゃ94点(75点以上でプリントアウト)だし。

 しなければならないことは充分にわかってるのに、どこから手をつけていいかわからない。片付ければならない仕事、家事が山ほどあるのに、一つひとつが持続しない。
(p.87)

 とか、まさにこないだ引っ越しで手伝いに来た女に心底呆れられたばかりだし。

 興味や関心が自分でも制御できないほどころころ移り変るため、洗濯物をたたんでいる途中でテーブルを吹き始めたり、今度は洗いおけの茶碗が気になったり……の繰返しで、いつまでたっても家の中はぐちゃぐちゃ。(p.88)

 とか、「ジョセフ・ジョースター!きさま!見ているなッ!」のレベル。それでもって、不注意と表裏一体の「過集中」。これな。これよ、これって、例えばというか、今まさに、キーボード叩いている俺よ、俺。なう、実践中。くそったれ、俺は文章をぶっ叩いてるときは完全にクソ集中してて(……と言いつつ、検索連鎖に入り込んだら帰って来られなくなることも、……ということ自体、今まで何度も自己言及してきたが)、まったく時間が経つのも忘れてしまう。あと、自転車いじってるときとか。あるいは、漕いで出かけているときもか? ああ、もうそうだよ、人の話しているの最後まで聞けねえよ、「お前のいうことはもうわかった」って、まどろっこしく思うよ。家でるときに、鍵だの財布だの探すのしょっちゅうだよ、オフィスの椅子にじっと座ってらんなくて、どんだけ頻尿だよってくらいトイレとか行ったり、なんかウロウロしてるよ、なんかキレてぶちまけることあるよ、酒とか薬に依存しがちだよ、仕事の優先順位をつけるのがクソ苦手で、横からちょっと別の用事が入ると、完全にフリーズしてはてなブックマークにアクセスし始めたりするし、全部なんか中途半端なんだよ。とっちらかってバラバラなんだよ。人生全部そうだよ。

一芸が欲しかった。なんでもいい。なにかだ。仕事だったら、「この分野の話はとりあえずわかる。ひとこと言える」というような。仕事でなくて、趣味でもいい。「これが私の趣味です。かなりきわまってます」と胸を張って言えるようななにかでもいい。俺にはなにもない。
なにもないというか、散漫だ。勉強も、仕事も、生き方も、趣味も、ぜんぶバラバラだ。ぜんぶつまみ食いだ。これというものがない。一貫していない。一気通貫をあきらめて、タンヤオもつかないピンフのみ、というような感じ。下手すれば、役もつかない暗刻を抱えて、リーチのみ、かもしれない。裏ドラもつかない。そもそも、上がれるつもりでいるのもおかしい。

どうしてこうも中途半端 - 関内関外日記

 ……DISORDERってのはそういうことか? それで求められない人間のつくられかた - 関内関外日記になっちまったのか。

 ADHD者は「自分が人からどう思われているか」にとても敏感で、傷つきやすいので、「低い自己評価」で自尊心がズタズタになり、劣等感のかたまりにもなりやすい。(p.99)

 二次障害としてうつ状態や不安状態(パニック障害強迫性障害全般性不安障害PTSD)を合併しやすいことにも、この感情の不安定さが影響します。(p.100)

 ……はあ、まったくそのようで。いや、確定してねえけどさ。
 でも、やっぱり売れる本は前向きだ。俺みたいに「やっぱり人に危害を加える前に死ぬしかないように思える」というところに行かない。「多動はエネルギッシュ」、「気分の浮き沈みは感受性の豊かさ」、「ボケッとしてるのは想像力の豊かさ」、「ルールが苦手なのは独創性」とかレッツビギンでポジティブに言い換えて、あとは薬物療法でよくなる! ……って、成人にメチルフェニデートリタリン)処方されねえんじゃねえの? くそったれ、香港からストラテラのゾロを個人輸入か! いや、お医者様の指示に従います。
 つーか、コーヒー浣腸はともかくとして、あんまり悪いこと書いてある本じゃないと思ったんだけど、どうなんだろ。睡眠障害との関係とかも思い当たるふしがありすぎるし。いや、これ、全部バーナム効果に違いない! 売れる本だから、多くの人に「これってアタシ!」って思ってもらわなきゃいかんのだろうし。 いや、しらねーけどさ。

 で、最後はこれ。やや専門家向けの実践的な本。原著はイギリス。だから福祉関係とかいろいろのケースについてイギリスベースで、なおかつ「親と」とあるように、成人のケースについてはほとんど触れてない。初版は2000年。それでもなんか参考になるか、あるいは自分の子供時分のとき比較できるか、などと。と、なんかわからんが、わりと活発な? 子供メーンという印象(さっきの本だとジャイアン型……って、この分類はぼく桃太郎のなんなのさ?)。
 そんで、俺、親でもないしな、などと思いながらも、けっこう面白い。第五章なんて「ADHDの進化論的ならびに生物学的解説」だぜ。ADHD者の割合がわりあい高いことから、進化上なんか意味あるんじゃねえの? 特定の環境で有利なんじゃねえの? みたいなところから、こんな説があるとか。ADHDを「即時反応型」として、こんな風に見たらって。

・常に用心深く(過度に敏感)、五感の情報を同時に収集、統合することができる。
・視覚ですばやく物事を判断できる。
・すばやく獲物を襲い、あるいは逃げることができる。
・過活動(獲物を獲得したり、季節の変動や氷河期の推移に応じて温暖な地域に移動する能力。

 で、「狩猟採集」社会ではこれが優れた戦士だったと。でも、人間社会の組織化や工業化によって、こういう人間よりも、じっくりと考え、環境に適応していくタイプの人間が優れた人間とされるようになったとさ。狡兎死して良狗煮らる……でもないか。でも、会田雄次の『アーロン収容所』とか思い浮かんだね。

 人間の才能にはいろいろな型があるのだろう。その才能を発揮させる条件はまた種々あるのだろう。ところが、現在のわれわれの社会が、発掘し、発揮させる才能は、ごく限られたものにすぎないのではなかろうか。多くの人は、才能があっても、それを発揮できる機会を持ち得ず、才能を埋もれさせたまま死んでゆくのであろう。人間の価値など、その人がその時代に適応的だったかどうかだけにすぎないのではないか。

 ただ、戦場→収容所の流れでは、それが大いに感じられたということらしい。まさに砲弾飛び交う戦場で勇敢に、英雄的に活躍できる人、あるいは、長い長い餓えと危機で耐え続ける中で、みなを鼓舞し、いろいろの知恵を尽くす人、そんな人たちも、収容所の中というある種の安定した社会になると、今度は目立たぬ存在になり、かえって厄介者に見られたりするともいう。

会田雄次『アーロン収容所』を読む - 関内関外日記

 そういや、俺、東日本大震災後とか、自分でこんなこと書いてたな。

 思えば、地震のあと俺は頭がおかしくなりながらも、若干いきいきしていたことは否めない。生き残るためと思い、ドイタートランスアルパインに避難用具を詰めているとき、俺は楽しんでいなかったか? ベッドの下にどんな靴を用意するか、食糧をどんな順で食べるか、おもしろがっていなかったか?

日常に帰ったところで - 関内関外日記

 俺は自分で言うのもなんだが、感じやすい人間だ。悲観のビジョナリー。ガスにまっさきに反応するカナリヤみたいなやつ。そして、真っ先に「俺はこんなところで隠れているのはゴメンだ! 一人で逃げる!」って言い出して真っ先に惨殺体になって発見されるやつ。

日常に帰ったところで - 関内関外日記

 そんでまあ、この『ガイドブック』によると、ADHDの人間に向いた職業は「救急医、戦闘兵、興業主、航空パイロット、ニューヨーク市の警官」だとさ。なぜニューヨーク限定。メキシコだっていいじゃない(どんな才能のある人間でも死ぬが)。つーか、今からどれにも就けねえだろ。戦闘兵って、神軍平等兵でも名乗るか!
 そんでもって、やっぱり家族問題が大きいとか、薬事療法のこととか、さっきの本と重なる部分もあってさ。最後の方にいいことが書いてあったから、たまには前向きに終わろう。

 最後に、治療の形態にかかわらず、ADHDへの対応でもっとも大切なことは、常に希望を持ち続けることです。ADHDの子どもやその家族は、思い出したくもないような失敗や拒絶、無力感を幾度も経験しています。あきらめたいという人もたくさんおり、実際にあきらめてしまった人もいます。診断が始まった瞬間から「今から子どもを助けるのだ」という気持ちが主題になるべきです。
 決断する勇気と熟練した治療技術、それにわずかな幸運さえあれば、何かが決定的に間違っていると気づいた瞬間から、事態は好転するはずです。
 ほとんどの子どもたちは、実際に役立つ治療法があることがわかると安心し、最初から自分たちも決断に加わりたいと思うものです。繊細かつ積極的に本人に知識を与えるようにすれば、結局は彼らが全面的に治療に参加して、ADHDに伴う多くの問題を独自に解決することも可能となります。

 うん、そうだ、俺は俺自身を子どもだと考え、自分を助けるのだ、という気持ちでやっていこう。

 目標を達成するまでには長い時間がかかり、何度も失敗するでしょう。しかし、目標に達成可能なステップを分け、それぞれに現実的な時間尺度があれば、成功と満足、容認の度合いは日増しに膨らんでいくはずです。

 ……ん? 長い時間? 現実的な時間尺度? あれ、俺、おっさんだし、そもそも「ハロウェルとレイティーの基準」以外だとあやしいところもあるし、ADHDですらない可能性すらあるじゃん。そういう傾向のなんか残念な人なだけだったという。そんでもって、なんというか、現実的に職を失ったり、求職したりという現実を前に、突発的テロルと自殺を除外すると、なんかこう、ノーマル装備じゃ絶対に負けるし。そうしたら、やっぱり一人でなにもかもやるしかないし、ドーピングで最強装備するしかない。とりあえずはコーヒー浣腸か!?

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 あと、今回いろいろ読む前に脳内物質の基礎おさえておこうと思って、これ読んだ。まあ、教科書みたいなもん。……って、また検索したら、この著者がトンデモみたいな話がゾロゾロ出てきて、勘弁してくれとしか言いようがない。