吉本隆明の訃報について

文学、思想、宗教を深く掘り下げ、戦後の思想に大きな影響を与え続けた評論家で詩人の吉本隆明(よしもと・たかあき)氏が16日午前2時13分、肺炎のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去した。87歳。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012031601000920.html

 吉本隆明の訃報である。吉本隆明といえば俺にとって……という話は何度か書いたので省く。さらには、全著作を読んでもなく、近況を追うでもなく……の上で書くが、「老いて、死んだのだろうな」と思う。
 こないだ、鶴見俊輔に小熊英二と上野千鶴子が語る、みたいな本を読んだ。鶴見曰く、吉本でおもしろいのは最初期と、晩年の老いを書いた今のものだ。老いについての語りは役に立つ。その証拠に、今日は杖をついていない、吉本流だ、みたいなことを言ってたっけ。
 まあ、今の俺、三十代、老いてまで生きられる予定もたくわえもない自殺希望の精神病院通いが、「老い」について読むのは、未来に希望の目きらきらの若者の話を読むよりきびしいものがあるので、手に取ることがあるのかどうかわからん。田村隆一の晩年の詩も読みがたいものがある。そういうものだ。それで、こないだちょっと調べて読んだけど、今回の原発事故に対しても、なんかこう、やっぱり老いかみたいなところもあって、でも、そうやって老いを晒していくことへの自覚みたいなもんとか、そのへんとかはどうだったんだろうか、まあ気になるわな。随聞記が多かろうし、読みやすいかもしらん。
 じゃあ、だからといって、『共同幻想論』とか読んで、俺になにがわかるのかといえば、さっぱりわからんといっていい。だが、読ませるんだよ。これはすごいんだ。おもしろいんだよ。なんだかわからんが。それこそ、詩人の言葉の力というものかもしれないし、こんなわけのわからんものが、あの世代のバイブルになり、すごい数の信者を生んだというのは、当然のことだろって思うわけだ。
 なんていうのだろうか、平屋建ての言葉で書かれているという、そういう印象を受ける。ちょっと小難しい本は二階建てや三階建てで俺みたいなのは階段のぼれない。でも、吉本隆明は平屋の言葉なんだ。でも、すげえ広かったり、複雑だったり、落とし穴や抜け穴があったり、あるいは安普請のところもあるかもしれねえけど、どっかなんか、そういう印象がある。俺に学がなくて単語や知識が届いてないところもすげえあるのは前提だけれども、そのうえで、むずかしくて何言ってるんだかわかんねえけど、でもなんか「読めねえや」ってなんないところがある。ちょっと不思議なところがある。それで、ざっくばらんに語り飛ばすあたりなんかは、「おお、いいこと言うじゃねえか」みたいな気にもなる。
 まあ、それこそ、父が『試行』の一号から最終号までの定期購読者で、吉本全著作をコンプリートするような、吉本信者だったし、ある意味で、そういう人間の言うことで幼少から育てられてきたところも大いにあって、ものすごく僭越な言い方をすりゃ、祖父みてえなもんだったかもしれねえとか思う。実際の二人の祖父とは話し込んだりしたことも少なかったが、吉本隆明の言うことはこれからも一生分くらいの分量は残ってるだろう。

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