魔王の神類補完計画〜『北一輝 ―国家と進化』を読む

北一輝――国家と進化 (再発見 日本の哲学)

北一輝――国家と進化 (再発見 日本の哲学)

 本書では、北一輝の「転回」に、彼の国家思想の根幹に関わるような断絶を認めていない。重要なのは、左か右かなどといった政治的なカテゴリーではなく、北の国家思想の核心が何かである。核心に迫るための鍵となるのは、『国体論及び純正社会主義』で提唱された「国家人格実在論」である。すなわち北にとって国家は法人である。しかし、北の言う法人としての国家は擬制的な人格ではなく、物理的に実在する人格である。これは、きわめて特異な国家概念だ。
「はじめに」p.7

 というわけで、この本では外的要因から北一輝が「転回」したという立場を取らず、ずっと一貫した理想を持ってたんだぜ、という立場をとっている。一貫した理想の行き先はどこか? それは実在的な国家有機体であり、それを構成するのは人類から進化した「神類」だという、この点に尽きるという。北一輝は、あくまで科学主義的にそれを発想し、信じていたのだと。

 以下、見て打つと手がつかれるので間違えてはいけないので、こちらのサイトからコピペさせていただく。
 で、「神類」ってなに?

而して是れ實に所謂無機物を有機物が喰ひ、植物を動物が喰ひ、更に其の動植物を人類が喰ふと云ふが如き重複と殘忍とを去りて、人類が直ちに本原の無機物有機物(實は無差別なる原々素)に食物を求むるものにして、推論の走る所驚くべき遼遠のものなりと雖も、『類神人』の消滅後に來るべき『神類』の時を想像せば然かく哲學的思辨のものに非らず。

 社會主義は個人主義と異なりて社會の進化を終局の理想とす
 實に個人主義の要求は社會主義の下に於て滿足せらると云ふべし。而しながら
社會主義は社會主義にして社會の生存進化が終局目的なり、然らば社會主義の實
現によりて社會は如何に進化すべきや。
 
 而しながら、吾人はこの社會進化の將來につきて語るべく其の推理力は甚だ乏しくして筆亦貧し。吾人は時に一
 卑近なる科學者の態度を以て最も近き社會の將來を想像せしめよ
種の宗教的歡喜に全身の戰慄を覺ゆ。唯、吾人をして最も卑近なる科學者の態度を持して最も近き將來の社會を想像せしめよ。−−先づ貧困と犯罪とは去る。生活の苦悶惡戰の爲に作成せられたる殘忍なる良心と醜惡なる容貌とは去る。物質的文明の進化は全社會に平等に普及し、更に平等に普及せる全社會の精神的開發によりて智識藝術は大いに其水平線を高む。經濟的結婚と奴隷道徳とは去り、社會の全分子は神の如き獨立を待て個性の發展は殆ど絶對の自由となる。自我の要求は其れ自身道徳的意義を有して社會の進化となり、社會性の發展は非倫理的社會組織と道徳的義務の衝突なくして不用意の道徳と
 社會主義時代に於ける社會進化の速力
なる。水平線の高まる事によりて社會の全分子は天才の個性を解するの能力を開發せられ、天の眞善美なる男女は老いたる社會の分子によりては崇尊せられ若き分子よりは戀愛を以て報酬せらる。男子は其理想の眞善美とする女子を得んが爲に愈々其眞善美を磨き、女子は其理想の眞善美とする男子を得んが爲に又益々其眞善美を加ふ。而して社會の中に於て眞善美の最も優れたる個性が雌雄競爭によりて子女を更に優れたる眞善美に遺傅して殘し、遺傅によりて加へられたる眞善美の子女の更に最も眞善美に於て優れたる
個性が、雌雄競爭によりて又更に眞善美を加へ又更に之を遺傅し行く。
 『類神人』の遺傳の累積は本能を異にするに至り從て別種の生物種屬『神類』古して分類せらるべし
 あゝ、『類神人』はこの累積して止まざる所の眞善美の遺傅によりて終に何者に進化せんとするや。生物學によれば本能とは遺傅の累積にして、單細胞生物より無數の種屬に進化して其れぞれの本能を有するは實に遺傅の累積なりと云ふことなり。故に
 『類神人』が其の完全に行はるゝ男女の愛の競爭によりて今日の理想とする神を遺傅の累積によりて實現し得るの時來らば、茲に人類は消滅して『神類』の世となるべし。
 而して人類が猿類と其の種屬を異にして本能を異にする如く、人類と本能の異なる神類は神類の生物學者によりて種屬を異にせる最も進化せる生物として分類せらるべし。
 『善』の本能化は一世紀間にて來る
 第一に想像せらるべき本能の變化は『善』の上に來る。即ち、社會主義の實現後二三代にし
て(即ち一世紀間にして)道徳は本能化すべし。

 といった具合である。純正社会主義が到来すれば、二、三世代で「神類」に進化する。

 人類の滅亡に恐怖する者ありや。人類の滅亡とは地球の冷却によりて熱を失ふの時滅亡すべしと云ふが如き懸け離れたる推論を悲觀的になすべきものに非らずして、神類の地球に蔓延する事によりて滅亡すべしと云ふ大歡喜な
 人類の滅亡は胸轟くべきの歡喜なり


 人類など進化途中の不完全な存在であって、進化せにゃあかんという。生物としての進化によっておのずと理想状態が訪れるという。そういう、擬似生物学的な進化論への〈信〉があったという。
 で、本書では、その北の思想の背景にあるもの、あるいは敵対したもの、敵対した理由を古今東西の思想から引っ張ってきて、比較対象したりするわけである。北のプラトン主義、マルクスニーチェヘーゲルの影響。あるいは、なぜ擬制的国家有機体説を批判したか、美濃部達吉吉野作造との違いは、戦後の田辺元との比較……。そしてもちろん、天皇の扱いも重要な点だ。
 が、なんというのか、俺にはあまりそこらあたりの学がないので、それなりに読んで、またいずれは出会うこともあるかしらん、というていどのことである。それよりも、排泄もセックスも不要! の神類への進化観を持っていた北一輝すげえなというところに尽きるところはあった。まあこれで、ある種の名作SFのいくつかを思い出さずにはおられないし、逆にこれを読んだあと『新世紀エヴァンゲリオン』を見ていたら、「これ、北一輝か?」とか思ったに違いない(想像するに、そういう評論みたいなものは確実に存在したんじゃないのか?)。
 しかしまあ、この北の思想は当時の大日本帝国にとって危険だったのもわかるし、ある部分で二・二六の青年将校たちの胸を打つところはあったのかもしらんが、しかし、やっぱりあまりにも違うよなと(いやいや「日本改造法案大綱」には神類とか出てこないや)。そんで、三島由紀夫もそんなこと言ってたらしいし、やっぱり北自身もなんか距離感みてえのは言葉の端々からうかがえたりもするとかな。あとは、晩年の神秘主義傾向とか、法華教とか、そこらへんについてはもうちょっと別の本をあたってみたい感じもした。
 そしてまあ、なんというか、右翼と一言に言っても、たしかにこの北一輝については、なんというのか、単なる天皇陛下万歳どころか、天皇すら自らの理想社会のための道具といってはなんだけれども、そうと考えているようにも見える。もっとでけえことを考えて、信じてたように見える。おれはなんというか、政治学も法学も歴史学もようわからんが、古いアナーキストや革命家の、なんかそういうところが好きだ。まだまだ発展中もいいところの「科学」(まあ、つねに科学はそういうものかもしらんが)に飛びついて、なにか絶対的なものを見て、そこに向かっていってしまう。そういう躍動する精神は好きなんだ。まあ、北一輝理想社会が俺にとっての理想かといえばぜんぜん違うように思えてならんのだが、しかしそれでもなんか原文を読んでいると「いいなぁ」と思えてきてしまうのだった。おしまい。

顔写真はウィキメディア・コモンズより

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