何回も書いたけれども、おれあんまり‘染井吉野’好きじゃない。なんか画一的で、どににでもあって、無個性でさ。オオムラサキツツジとかと一緒さ。で、サクラなんだけど、派手すぎるのもなんだし、まあオオシマザクラとかいいよね、とか思うのだけれども。
それで、八重紅虎の尾の御衣黄を借りるわけじゃないけど(虎の威を借る狐、を桜の品種ジョークにしてみたけどまったく意味不明になった)、現代の「桜守」の本読んだら、やっぱり‘染井吉野’はみてえなこと話していたので、おお、やっぱりそうですよねーとか思ったりした。
そんで、基本的に京都のサクラの名所の話が多いんだけど、北は北海道、南は沖縄まで、その土地々々の話がいろいろ載っててね。富士山とマメザクラのあたりとか好きだわ。
著者というか、語り手はこのお方。
wikipedia:佐野籐右衛門
この頃日本全国、この染井吉野ばっかりや。この間、聞いたところによると、全国の桜の八〇パーセントが染井吉野だっていうんやから。だから、近頃の人たちは、桜というと染井吉野だと思うてる人が多いんで、困りますわ。
それに、全国の桜のほとんどが染井吉野だということは、桜の季節になると、どこもかしこも景色が一緒やということです。こんな、つまらんことはない。制服を着た男女ばかりじゃ、男女の淡い心の出会いも糞もないですわな。「自分だけの桜」や思っても、ずらっと並んでいたら、どれだったかわからんようになる。
いや、制服には制服のよさが……とかいうの別の話なんだけれども。いや、別じゃなくて制服少女もいいものだけれども、まあんた、みんな一緒は面白くない。‘染井吉野’に罪はないけれども、なんだかどうも面白くない感じがする。俺はなんか、カタログにできちゃうような多様性が好きなんよ。
なぜ、この染井吉野が全国に広まったかというと、染井吉野は接ぎ木がしやすいんですわ。それに、成長がものすごく早い。さらにどこで植えても同じように咲くんです。便利な桜です。
って、その利便性感があんまりさ。まあ、この本でも語られてるけど、役人とか設計者が「桜並木」をって言ったら、もうすぐ咲かせなきゃいけないみたいな、そういうのあるんよ。あと、古木を観光名所にみたいになって、それまで何百年もそこだからこその環境で育ってきたものを、道を舗装したり、まわりの樹木を伐採したり(いろんな負担が一本の樹木にいってきつくなる)、虐待だか過保護だかわからんようになるみたいな話とかね。
外来の園芸植物でも「若木のうちから花つきもよく」みたいな謳い文句あんんのって、そういう需要だろ。いや、一般家庭でも細いうちからバンバン花咲いた方が楽しいけどさ。
まあ、知っての通り‘染井吉野’はクローンだし、100年物もあるらしいけど、そんなに長くない。芽が老化してるから、今のものを接いだやつの寿命はもっと短いかもなんて示唆されてる。もちろん、いろいろの条件その他まあ、いろいろあるんだろうけれども(……台木が実生かそうでないかで寿命差が出ると聞いたこともあるが真偽知らん)。
まあ、ともかく、‘染井吉野’ばかりじゃつまらんし、いろんな品種があるんだから、いろいろあった方がいい。日本列島改造計画時代あたりにバンバン植えたせいで、‘染井吉野’とサトザクラ‘関山’だらけで、遺伝子汚染みてえなことになっているっていうが、そういうのもあんまりおもしろくないね。
……って、俺がサクラ沼の住人で、花とか見て、サラッと「これは‘太白’だね。イギリスの育種家が保存していたんだよ」とか、「‘思川’っていうのは、その川の近くにあった修道院の庭で見つかったからなんだ」とか同定できるはずがない。ただし、サラッと平気で嘘はつける。「ベニバナトキワマンサクには赤葉のものと緑葉のものがあってね……」とか言いながら、それがマンサクですらない可能性とかある。
よく素人さんが、桜にのめりこんだりすると、ここにある「楊貴妃」とか「鬱金」といった桜をじっと見つめてから、その名前を覚えようとしますけども、無理や言うてんです。まず、基本の山桜、彼岸桜、大島桜を知っておくことが大事なんです。たった三つ、知っておけば、それでいいんですから、簡単です。
って、この三つの品種群の分類でいいのかどうか俺にはわからんが、おれにこのたった三つがサクッとわかる自信ないわ(オオシマザクラは葉の繊毛、ヤマザクラは幹がわりとツルッとしていて、ヒガンザクラは縦割れだって)。
たとえばこれ、まあ写真の色が悪いのは俺とカメラのせいとしても、ともかくこないだそこらで咲いてた終わりの近い緑花のサクラ。これが‘御衣黄’か‘鬱金’か。‘御衣黄’はもっとえげつない緑の感じだから、‘鬱金’かなー? というか、これサクラか? 植物か? 騙されていないだろうか? 不安はつきない。というか、正味な話、年度末〜ゴールデンウィークとか、サクラとか見にほっつき歩く余裕ねえし。最近またなんか植えてるらしい荒川堤も、遺伝研の開放も行けないし。まあ、けどさ、競馬やってるやつがサンデーサイレンスやクロフネを生で見たことあるやつばっかりじゃねえだろうしさ。名前と由来はそこそこ知ってても、生を知らねえんだよ。植物その他全般について言えることだが。
それで、たとえばこれ7年くらい前の写真、これ‘兼六園菊桜’だったんじゃねえかと俺は思ってるんだけど、なんか違う菊桜かもしれない。撮影地は秩父の羊山公園(サクラじゃなくてシバザクラの名所だわな。ところで、シバザクラの品種で‘リットルドット’って流通してんのあるけど、明らか‘リトルドット’だろ。それと‘オーキントンブルーアイ’も、‘Oakington Blue Eyes’であって、勝手に隻眼にするな。ヤマボウシの新しいやつ、あれも‘ウルフアイズ’でいこうや)で、4月の終わりなんだけど。なんか、思い込みで、そうじゃなかったかな。まあいいか、とか。
で、これかどうか、たぶん違うけど、ともかく‘兼六園菊桜’のエピソードが載ってて面白かった。兼六園に植わってるのをなんとか接ぎ木して後継樹を残したいって、先代が失敗して、三度目の正直で後がないというところまできて(古木なのであんまり接ぎ木用に切れない)。
その頃、やっとわしらでも車を使えるようになってましたが、ともかくもういっぺんだけやってみようとうことになって、兼六園に車を持っていって、朝日が出る前ですわ。夜露がまだきらきら光っとる時に、接ぎ穂を切りました。祈るような思いでした。
それで、切った接ぎ穂を十本、わしが口にくわえて京都まで帰ってきたんです。
口にくわえたのは、乾かんようにするためですわ。金沢から京都の家まで口にくわえて、自動車を運転して帰ってきた。三月のはじめやったかな。
これで、十本のうち一本だけうまくいった。このあたりなんかすげえなって思うわ。どっかでこの品種見たら、接ぎ穂を口にくわえた桜守の執念とかに思いを馳せてもいいか。
でもなんだ、本当の桜の楽しみは、一人で山の中とか入っていって、自分だけのを見つけたらええんやみたいな、そういう話とは違ってくるわな。まあ、俺の書斎植物趣味みたいなものは、ブルーシートひいて(ホームセンターは目立たない茶色のとか売るべき)下品な花見してるのよりも、実物を見ていない点で劣っているかもしらんのだし。まあ、なにより山や森に入って実物を見てない、自然と一体になっとらんところでなっとらんのでしょうな。つーか、基礎の基礎として、俺、算数と理科に涙目だったし、物理に比べりゃ生物はましだが、それももう出来の悪いことったらなかったし、いや、あくまでそれは学校のお勉強の話かもしれませんが、どうもね。それにもう今はDNAどうのこうので分類とかするんしょ。昨日までみんなPrunusだったのが、博打の貴族(どんな貴族だ?)はLaurocerasus、モモはAmygdalus、アンズはArmeniaca行ってくださいとか、ようわからん。
- 作者: 木原浩,田中秀明,川崎哲也,大場秀章
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さらなる研究が必要ではあるが、サクラの仲間をスモモ属(モモ属、アンズ属を含む)とサクラ属(サクラ属、ウワミズザクラ属、バクチノキ属を含むに2分するか、上記のサクラ属をさらにサクラ属とバクチノキ属を含むウワミズザクラ属の3属として分類するのが、妥当ではないかと現在は推察している。
とか、この図鑑とかに載ってたけど、まだ過渡期いうことらしいしな。
まあ、そういうのはいいや。とりあえず、この『櫻よ』に書いてあった、一年を通したサクラの営みあたりに注目でもしたりましょか。ほな。
関連☆彡
……このインタビュー記事も読むべき。
名前がついてないとあんまり興味を感じないというのは、競馬趣味において、とくにサラブ以外の野生種の馬とかに興味がなかったとかいうあたりに通じているかもしれない。
キングサリーはあんまり見ないか。今、俺がともかく撲滅したいのは「シルバープリペット」であって、イボタはプリベットであってプリベット(privet)は「プライベート」に通じてて、生垣としておもしろい由来じゃねえかって、そう思うんだけど。つーか、俺の植物趣味は言葉とか文化とかそっち方面なんやろね。
今年は拡張した根岸の梅園にも行ってねえや。