『終末期の密教』をちょっと開く―死者全共闘と公害企業主呪殺祈祷僧団―

 はてなブックマークを朝から見てたらこのまとめが目に入った。『終末期の密教』持ってる。つーか、こないだほんのちょっとだけ本の整理をしたときに、「仏教関係」のひとまとめにするときに手にとった。……が、まったくの未読だった。おれが仏教関係の本を読むようになったきっかけは松岡正剛の『空海の夢』というあたりだったが、空海ブームからなぜか興味が鈴木大拙から禅の方に流れていって、吉本隆明親鸞ものなぞ読んで、ご無沙汰になっていた。というか、仏教興味も離れて久しい。せっかくなので、ちょっと開いてみた。ちなみに、稲垣足穂梅原正紀編著とあるが、なんか稲垣足穂は梅原さんからインタビューを一本受けているだけっぽい。梅原さんは、そのお父さんが横浜伝説の娼婦wikipedia:メリケンお浜と「性の決闘」をしたということくらいしか知らない。というか、今しがたそっちに興味移ったので、こっちは手身近に。

稲垣足穂密教的なもの」

 まず、おれはそれなりに稲垣足穂好きなので、足穂さんがどんなこと言ってるか。

 ぼくはどうも、女子供がさわぎ立てるような宗教は嫌いなんだ。

 って、冒頭からこれで、鎌倉期の仏教を「あれは女子供の仏教だ」と。平安初期の方に本質的、根本的なものがあるという。

各人は大日如来の手足であり、曼荼羅中の一尊である、というあの密教的な考え方が好きでたまらん。

 だそうで。でもって、こんなん言いはる。

 どうもここんところ、人生論的な意見がもてはやされて、ニーチェとかキルケゴールなどが読まれているようだけれども、僕は嫌いですね。やっぱり人生には不思議なものがなければいけないんでね。思想としても考え方としても、たとえばライプニッツとかカントとか、ああいう純粋で抽象的なものがなければあかんと思いますね。

 って、わし、昨日か一昨日書いたとおり抽象的なもんがわからんで、ここで挙げられたもんが対照的かどうかすらわからん。

 つまり庶民的なものはだめなんだ。なぜ庶民的なもんがあかんというと、庶民的なものは「にぶい」んですね。貴族的な生き方や考え方、要するに貴族的ということは、この「にぶさ」を奪うこと、排除してしまうことなんです。ストイックということもそういうところに由来するんだな。

 うへぇ。

 しかし男と生まれて、しかも多少とも学問とかそういうことに関心があるならば、やはり仏教の形而上学にぶつかるべきなんだな。

 ところが、これまで日本において流行してきたのが、女々しい思想、直接的で経験的な人生訓というものなんですな。つまり『歎異抄』とか、その系列に属する浄土教的なものが多く読まれてきた。
 歎異抄は信念のない者が自堕落なことをいっただけのものです。女々しい甘ったれの自己弁護ですね。自分は自堕落な往生をして、何もしようとしないし、事実何もしなかった。ぼうは親鸞はそんなことをいったはずはないと思っている。誰かが親鸞の思想を曲解して、ああいうものをでっちあげたのではないんですか。

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか (幻冬舎新書)

 ……てな本が最近多く読まれているようだが、おお、なんかすげえこと言ってるね。ようわからんが、『明恵vs法然』だったら、明恵の方だぜ、ってことかしらん。

 なんかまあ確かに、いつごろからかの話かわからんが、「空海再評価」、「密教再評価」というと、「結局、直接的な宗教体験というのは、神秘的な直観でないとあかんと思いますなぁ」って、いや、稲垣足穂道元親鸞も本人は「宇宙からの声を直接聴いているはずです」ってな。あと、盤珪にも触れてて、肯定的なんだけど、まあいいや。もっと、ちゃんと書かれたやつ読もうっと。

公害企業主呪殺祈祷僧団について


 で、たぶんおれがこの本を買ったのは、こっちが目的だったんだと思う。古い日記だけれども興味を持った形跡がある。

 そんで、これを結成したのが梅原正紀さんなのだが、「序章 密教時代の開幕」で、時代の情況を語っている。1973年ごろ、三島由紀夫の自決から3年、浅間山荘も終わり、森恒夫も自殺したころ。一方で、東アジア反日武装戦線日本赤軍は動き始めたころ、か。

 たとえば、大都会、小都会を問わず、あの街、この街にスナック・バーがやたらとふえだしているが、深夜の二時、三時までスナック・バーにたむろしている若者の姿は都会の風俗として定着している。しかもその若者たちは病理的社会集団の徒、つまりヤクザではなく、ごくあたりまえの若者たちである。その大半は中小企業や水商売など不安定な職場で働いている若者たちだが、かつての「密教者」がそうであったように、彼らも秘密集会を持っているおもむきがある。
 夜ふけともなると小グループが書くスナック・バーに集まってくる。もちろん、信仰談義をするわけでもなく、ことさら高尚深淵な哲理について意見をかわすわけでもない。集まってくる若者たちの大半は、こむずかしい総合雑誌を読む階層とは決定的に違う。
 左翼的な表現をとるならば、知的に収奪された低学歴の若者たちである。学者・評論家にもならず、ヤクザにもならず、新興宗教に救いを求めず、日常的な小感情の起伏の中で白けた思いを抱いて生きている若者たちである。旧左翼はもとより、新左翼も吸収し得なかった若者たちである。
 いうなれば、永山則夫の予備軍としての若者が、秘密集会的にスナック・バーに集まってくる。しかも流砂のようなこうした若者たちの群れは、都市化の進行とともに拡大再生産されつつある。
 底の浅いニヒリスティックな気分にとらわれている側面はもちろんある。だがそれよりも、彼らは実存についての問題を考えさせられている門口にたたされているのだとボクは思う。

 と、少しながく引用してしまったが、さてどうだろうか。2012年と比べてどうだろうか。スナック・バーを「クラブ」とかいうものに変えてみたらどうだろうか。……ごめんなさい、おれ、クラブとか行ったことないから知らんです。で、このころ「カラジシボタンやシレトコリョジョウをしのいだともいわれている」ところの彼らの愛聴歌がこれだという(三島たちは阿佐ヶ谷に向かう。

 野坂昭如マリリン・モンロー・ノー・リターン」キター! これならよく知ってるし、愛聴歌だし、歌えるぜ。……っておれはいつの生まれだろうか。さらに、この歌が生まれた時期と同時に、「日本に周期的に訪れるという大地震発生説が専門家の裏づけ付きで流布された」そうだ。もう、「もうじきこの世はおしまいだ」なのだ。あ、メガクエイクとかいうの、昨日か一昨日テレビでみたぜ。あれ、今何年? というか、大地震が死刑執行日になると書かれているが、ここ首都圏でなくそれは起こり、さらに地方に押しつけられた原発が、東電が……となると、この公害企業主呪殺祈祷僧団の思想はやけに現在的に見えてくるような気さえする。地震と世直し思想は兄弟分の関係にあるとか言ってるし。

 現代は悟りきった能書きをいうより、大いに悪あがきをせねばならない時代だとボクも思う。悪あがきという言葉が情感に流れすぎているのなら「無展望の展望を切り開く」といい直してもいい。黙って殺される手は絶対ないのだ。

 と、序章では〆られている。政治も公害もどうにもならん。「人類は間違いなく絶滅する」という見通しがあってもやるのだと。なにを? 第9章「虐殺の文明を呪殺せよ」でこうのべられている。

 むざむざと黙って殺されるのは絶対にイヤだ。「かれら」に「おとしまえ」をつけておかなければならない。
 仏教的に表現するならば、自業自得せしめることだ。しかし、どのような「おとしまえ」をつけたらいいかについては、なかなか思い浮かばなかった。漠然とした考えに形が与えられるきっかけとなったのは「死者全共闘論」であった。

 「死者全共闘って、字面だけでなんかすげえな。

 アウシュビッツ、ソンミ、広島、長崎での死者はもとより、権力によって虐殺された者はことごとく「死者全共闘」に属することになるから、「死者全共闘」は世界最大の闘う運動体であり、ノン・セクトを初めとしていかなる諸セクトの諸兄姉よりも、成員各自は主体的に生きることができるのである。さらにボクらは虐殺された後、今度は「死者社会」の中にあって生者を領導することになる。闘うためには死んでも死にきれないのだ。

 おう、こりゃすげえ。なにかわからないが、水木しげるっぽさすら感じさせるが、スケールがでかい。それでもって、公害企業主呪殺祈祷僧団は「死者のメディア」なのだと。
 それでもってね、いろいろと仏教の観点からの解説や、批判に対する反論とかもあんだけど、おれには仏教学的にみてそれが正しいかどうかとか、そんなんはわからん。わからんが、この僧団がなんか仏教者として落とし前をつけようっていう、行動しようってところは好きだ。いや、行動したんだ。公害が問題になっている各地を周り、警察とデモをめぐって問答したり(これも昨今の話題を思わせる)、公害企業と対決し、被害者から言葉を託され……。そのあたりは本書を読まれたい。
 まあなんだろうか、やったやつ、あるいはやられたやつは偉いんだという、謎の「やったやつは偉い」(場合によっては殺したやつ、死んだやつにもなるわけだが)と、口先ばかりで賞賛しがちなおれとしては、なにやら想像以上に興味深いっつーか、えれえもんだったな、と。無論、紙一重、というか、紙一枚向こうかもしれねえけど、嫌いじゃないというか、むしろ好きといってもいい。アナーキーだ。仏教とアナーキーというと個人のインナーに向かう方で、なにか、繋がるようようなところがあるような気がしていたが、「全共闘」とくるか、というか。いや、内山愚童みたいな僧だっていたしな。
 でも、言うだけなんだ。スナック・バーにも行かないし、まあ、せいぜいネットで夜更かしして、ハイミナール……じゃなくて、マイスリーでも飲んで極楽極楽ねむの里、だ。

☆彡

[rakuten:takahara:10193611:detail]
……この本を出しているサンポウブックスって、どんなんだったか、巻末の宣伝からは多種多様すぎてようわからん。カッパみたいなのか? クソ名曲揃い。

☆彡関連

……そいうやおれ、チッソ社員の孫だった。