おれはシオランを読んだ。おれは無人島にこの本を持っていく(シオラン『カイエ』を読み終わる-02)

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おれには「○○を読んだ」と呼べる作家は少ない。唯一セリーヌのみが、全集を読んだよいう意味で「おれはセリーヌを読んだ」と言えるかもしれない。とはいえ、だんだんと苦痛となってきて、しっかり読んだと言えるかはあやしい。ほとんど読んではいるが、いくらか読んでないものもある、という意味では、高橋源一郎澁澤龍彦ブローティガンブコウスキーヴォネガット、P.K.ディック、エルロイ……、村上春樹では50%を割るだろう。そんなところだ。

で、シオランである。「いくらか読んでない」のだが、この『カイエ』(邦訳1008ページ)を読んだことで、「おれはシオランを読んだ」という気になれた。

もちろん、おれの記憶力というのは短期、中期、長期のいずれもボロボロなのだが、今のところそういう気持ちでいる。それだけこの『カイエ』は充実している。シオランで充実しているのである。バッハを聴いて、田舎道を延々と歩いて気分上々のシオラン、些細なことで中高年にありがちなキレかたをするシオラン、さんざん自殺について語っておいて、知人の自殺を食い止めようとするシオラン、それでいっぱいなのである。

そして、ここに記されたアフォリズムは、ほとんどそのままの形で著書に出てくることがある。釈尊への傾倒、暴君への讃美、反出生主義、モンゴルへの憧れ、そんなものでも満たされている。そして、それは異様な魅力を放っている。

というわけで、「無人島になにか一冊本を持っていけるのなら?」という問いに、今のおれは迷わず「シオランの『カイエ』」と答えるだろう。ときにキリスト教への道が述べられ、ときに仏教への道が述べられ、なにより生身のシオランのいくつもの矛盾した態度が率直に述べられている。身近な人間の死、自死、しかし、人類の滅亡を夢見るシオラン。これは、飽きない。おれはハイデガーボードレールサルトルも知らぬが、無人島で勝手に想像しよう。バッハの音楽もなにも。

適当に気になった部分を引用する。

 作者にとってその作品は、少しも生きる助けにならない。彼には作品などどうでもいいものであり、作品はまるで別人の作品でもあるかのようだ。

『カイエ』1967年3月18日

おれにとって作品と呼べるものはない……というと、同人誌の件があるので、とは思うが……、まあともかくダラダラと書き連ねてきたブログというものは、その一エントリーというものは、「まるで関係がないように思われる」というところに同感するところがある。過去の記事を読んでくれている人には申し訳ないようにも思えるが、おれにとって楽しいは、いまこうやってタイプしているキーボードへの感触がすべてなのだ。

 日本の大学教授有田忠郎と細君が訪ねてくる。あの民族は、まったくもってすばらしい。俗悪なところは微塵もない。あつてフランス人にあったはずの、そして現在のイギリス人にいまなおその片鱗が見られる<様式>、その<様式>が日本人にはある。堅苦しさと気品――逆説的な取り合わせ。

『カイエ』1967年3月24日

シオランには謎の日本人讃美がある。日本讃美、あるいは東洋讃美がある。それをへいへい受け取っていてもまずいと思うが、モンゴル讃美、日本讃美、ルーマニアで生まれ、フランス語に転向したシオランから、この極東がどう見えていることだろうか。

 私たちが手に入れることのできる最良の満足感が、孤独のなかでの自分との対話にあるなら<自己実現>の至高の形式は隠遁生活だ。

 他者、私が私であることを妨げる者。

 ひとりでいるとき、私たちは無限のもの、神のようなものだ。だれかがいれば、とたんに私たちは、限界につき当たり、たちまち何ものでもなくなる。せいぜい、ある物。

『カイエ』1967年6月5日

おれは一人でいることを愛する。愛する者がいようとも、一人でいることを至福のように思う。 おれには隠遁生活が似合っている。そう思う。おれは一人でいて神のように自らを感じ、ただ物思いにふける。それができる。ただし、その予算が組めない。

 犯罪はいい。だが卑劣な行為は許されない。

『カイエ』1967年10月3日

これはなんというか、いい言葉のように思う。おれが夢想するアナーキズムに連結されるように思われる。「犯罪はいい」と言い切ってしまえるところに、考え方の自由があり、「卑劣な行為は許されない」というところに厳粛なものがある、自尊心がある。そこが好きだ。

 よく考えてみれば、結局のところ自殺は、人間に遂行できるもっとも名誉ある行為だ。

『カイエ』1968年1月7日

あるいは。

 人間がなんであれ何かをどうしても信じなければいけないのは、もっぱら自殺を回避するためだ。それというのも自殺は、厳密な分析に、冷酷な考察に耐えられるものは何もないという事実の確認の当然の帰結だから。

 不思議なのは、私が人並みに、いや人並み以上に生を愛しているのに、こうも頻繁に自殺を口にするにいたったということだ。

 だが私には、すべてを悟ったのは私だけだ、ほかの連中はみな幻想から逃れられないでいるとの確信(有害な?)が昔ながらある。仏陀ピュロン、この二人を除けば、私が出会うのは、どこへ行っても、おめでたい連中、表面ははなやかに見えても、その実あわれでおめでたい連中だけだ。

『カイエ』1968年7月25日

 

 「名誉」をどう取るか。あるいは、こんなこと埴谷雄高も言ってたっけなーという。しかし、シオランはさんざんに自殺について語り、自殺について語るものほど自殺しないと言い、自殺しないで84歳まで生きて死んだ。自殺について考え、語るものほど自殺しないものだ、というのは腑に落ちるところがある。とはいえ、それが統計的に正しいのかどうかは知らぬ。いずれにせよ、シオランは生を愛していた(なんということか!)。

この世では、本質的なものに触れたのは落伍者だけだ。

『カイエ』1968年2月13日

おれは客観的に見て落伍者であろう。そしておれは本質的なものに触れているだろうか。おれにはわからぬ。もしそうであれば、いくらか落伍した意義もあろうというものだが。

 私が信じている唯一の価値は自由だ。

『カイエ』1968年6月12日

おれ、おれが最高に求めるものはなにかといえば、「自由」だ。それはリバティでもあるし、フリーダムでもある。なんでもよい、とにかく自由になりたくてたまらない。それは、たとえば自由主義の社会において、自由の結果落伍者になった苦痛、その苦痛からの自由というものも含まれる。そんなに身勝手な話はない、とはわかっているのだが。なんであれ、おれは「自由」が好きだ。大杉栄のように。

  生は非現実ではない。非現実の思い出だ。

『カイエ』1968年11月8日

これはもう、完全に稲垣足穂のようであって、「地上とは思い出ならずや」という言葉が浮かんでくる。シオラン稲垣足穂。おお、なにかつながるところがあるようにも思える。おれの勝手な接着。

 普通だったら、私は書くことを、自分をさらすことをやめるはずだ。そう、別の時代に生きていれば。ところが、この私たちの時代では、くたばりたくないなら最低限のことをしなければならない。浮浪者になる精神力が私にはないのだ。だから時々、私は制作しなければならない(あるいは、自分をさらさなければ)ならないのである。

『カイエ』1968年12月13日

さて、現在、これをおれが打っている現在は2019年3月9日だ。「この私たちの時代」はどうだろうか。自分をさらさなければ生きていけないのか。そのような傾向もあるだろう。だが、大勢の無口な人々がいる。おれはなぜか自分をさらしてしまっているが、そうでない人との違いはなんなのであろうか。そして、おれが自分をさらすことは、浮浪者にならぬための精神力のなすところなのであろうか。

 エトレシーからラ・フェルテ=アレにかけて歩く。雪そして霧。霧はとてもしっとりとしていて、そのため木々が動かなくなった煙のように見える。これほど詩的な景色はめったに見たことがない。すべては夢のように現実感がなく、それに雨氷のため、道路んいまるで人の気配がない。

 ヴィルヌーヴ=シェル=オーヴェールのビストロに入り、アメリカ(イギリス?)の流行歌<Those were the days>を聴く。その悲しげな調べに、いたく感動する。

『カイエ』1969年1月1日

シオランは書斎にこもって呪詛を書き連ねるようなイメージを持たれてもしかたないが、実際のところ健康的に歩き、人と会う。人と会った結果が健康的だったかどうかはともかく、歩くことは健康的である。澁澤龍彦が鎌倉の自宅から逗子の方まで歩くような健脚ぶりである。して、バッハ、バッハ言ってるが、流行歌にも感動するのである。そのあたりが面白い。


Mary Hopkin - Those Were The Days - 1968

悲しき天使 - Wikipedia

 

 この世に生を享けてからというもの、どうしたらもう苦しまずにいられるのかというのが私のただひとつの問題だった。さまざまの逃げ道を考え出してこの問題を解決してきたが、というとは問題はまったく解決されていないということだ。

 私が苦しんだのは、たぶんさまざまの持病が原因だと思うが、しかし私の苦しみの本質的な理由は、存在そのものに、生きているという事実そのものに起因していたのであり、私に心の安らぎがないのもそのためである。

『カイエ』1969年2月6日

このあたりに、シオランの「生誕の災厄」、反出生主義の面がある。存在そのものへの疑義、いや、異議、ここに真骨頂がある。そして、『カイエ』を読んでいると、その思想というか、言語化というものはわりと遅めだったのではないかと思える。言い切れるものではないが。

 春と自殺は、私にとっては密接した二つの概念だ。というのも春は、私がそれにふさわしく熟していない思想、もっと正確にいえば、私の体系とは関係のない思想のようなものだからだ。

『カイエ』1969年3月11日

おれは春が苦手だ。

まだ春の気配はない模様 - 関内関外日記

これは一例だが、おれは春が来るごとに春が苦手だと、残酷な季節だと書いてきた。花粉症とか、そういうものではない。T.S.エリオットを呼んでこい、という話である。シオランにとっては、リラの花どころか、自殺である。悪くない。

 午前、経典のアンソロジーを開いたところ、とたんに、仏陀の次の言葉が目にとまる。

 「欲しがるほどのものは何もない。」

 異様な感銘。私は本を閉じた。こういう言葉に接したあとに、これ以上どうして、何を読むというのか。

『カイエ』1970年4月24日

 シオラン釈尊への傾倒のひとつ。

 私は生を嫌っているのでも、死を希っているのでもない。ただ、生まれなければよかったのにと思っているだけだ。

 私は生よりも死よりもむしろ非-存在を選ぶ。生まれないという悦び。生きれば生きるほど、私はますます生まれないという悦びに耽る。

『カイエ』1970年7月30日

これは、なんというか、あらためておれの反出生主義について言いたくなるのだが……まさにそのとおりで、自死は世界の不幸の総量を増やすし、他殺なんてもってのほかだ。ただ、生まれてきてしまったものはもう仕方ないが、これ以上不幸を増やさなくてもいいのではないか……そんなところだ。

 他人を援助する、これはもちろん見上げたことだ。だが困るのは、他人が私たちに要求をつきつけることができるようになることだ。

 あらゆる恩恵は人を奴隷にする。恩恵のために、私たちは恩恵を受ける者の意に従うことになる。

 与える者と受け取る者との関係ほど陰険で、微妙で、油断ならないものはない。依存しているのはどちらで、どちらがデリカシーと思いやりをもたなければならないのか。それはまず何といっても恩恵を施す者のほうだ。

『カイエ』1970年10月30日

これには付け加える言葉もないだろう。インドだかの物乞いは、与えるものに「与える」という善き行いをさせているのだから、かえって威張っているという話を読んだ覚えがあるが(インドに行ったことないし、本当かどうか知らない)、まさにそのようなことだろう。

 「世界週報」でこんな記事を読む。

 ドイツの精神分析治療法。ある年配の男の右手が動かなくなる。検査をしても、体は別にどこも悪くない。申し分なく正常である。精神分析医は、なんお成果も得られない。彼の質問も、患者の答えもなんにもならない。分析医は当惑して、思い切った手を打った。ハイル、ヒトラー! と叫んだのである。すると、男の右手は動き、ナチの敬礼を完璧にやってのけた。

『カイエ』1971年1月3日

これはなんともないといったら、なんともない話である。だが、面白い。シオランにも人に面白い話を届けたいというところがあって、おれにもそういうところがあるので、これを引用するのである。もっとも、これを読んで眉をひそめる人がいるのも承知だが。

 シオラン、若かったころは傲慢な思想家、アナーキストたちが好きだったという。が、以下のとおりである。

 だが、いま私は仏陀が好きだ。この仏陀もまた、ひどく傲慢な、だれよりも傲慢な人間だったのではないか。人間の苦しみ、老い、死は避けられないからといって、この世を棄て、そして人々にこの世を棄てることを説いて聞かせるのは、人間の条件そのものを、条件それ自体を拒否することではないか。どんな革命家、どんなニヒリストが、こんな大それたことを目指したであろうか。

『カイエ』1971年1月5日

 おれは単純に初期仏教の本を読んで「世の人のすべてが仏教に帰依する道を選んで出家したら、人類は滅亡してしまうのではないか」と思ったことがある。今となっては、初期の仏教というもの、釈尊の教えとはそのようなものではないかと思っている。仏典にはいろいろの解釈もあるだろうし、おれは日本の大乗仏教の極北も好きだが、「生老病死」といって「生」を入れてきたあたりが好もしく思える。

 シモーヌ・ヴェイユに欠けているのはユーモアだ。だが、もし彼女がユーモアをそなえていたら、信仰生活をあれほお深められはしなかっただろう。ユーモアは絶対の経験を挫折させるからだ。絶対的信仰とユーモアはそぐわない。

『カイエ』1971年1月19日

 して、ユーモアと信仰。おれはユーモアを好む。ゆえに、絶対的信仰というものとはかけ離れている。信仰といわずとも、なんとか主義というものに、そもそも惹かれないところがある。ぼくらは下着で笑っちゃうほうが、せいぜいこの地獄に生まれてきてしまった者同士の相互理解というものではないか。

 私の本に興味をもっている人がいると、そういう人は自分の内部で何かが壊れてしまっていて<にっちもさっちもゆかなくなり>、人生を<切り抜けて>ゆくことができない人だ、ということが私にはすぐ分かる。私に惹かれるのは敗北者だけだ。「敗北者」の「守護聖人」。

『カイエ』1971年10月15日

この長いエントリーをここまで読んでいる人間が何人いるかしらないが、もしもいたとしたら、このようなシオランに惹かれてしまった人間に惹かれてしまっているあなた、ということになる。敗北者だ。お可哀そうに。

 二十歳のとき、私は老人どもを皆殺しにすることしか考えていなかった。これはいまも喫緊事だと思っているが、さらにこれに若者どもの皆殺しも加えておこう、といまは思っている。歳をとるにつれて、私たちのものの見方はより完全になるものだ。

『カイエ』1972年9月1日

こんなこと書いてしまうシオラン、当時61歳。いいじゃねえか。もし、万が一おれがその歳まで生きたら、そんなこと嘯いてやろう。まあ、生きている保証などどこにもないのだが。

というわえで、シオラン『カイエ』を読んだ。訳者あとがきによれば、『カイエ』以後の(『カイエ』は死後の出版だが)著作は、ほとんど『カイエ』に書き留められたことの抜粋であって、『カイエ』こそシオランの到達点だとかなんだとか(てきとうにおれが盛ってます)。まあ、おれにはそう思える。それでいい。そして、著作からこぼれてしまった生身の日常、喜怒哀楽、そういったものが垣間見られる『カイエ』は傑作だ。そう思う。シオランが望んでいたことかどうかは知らないが。

さて、問題はおれがこの愛すべき『カイエ』を所有していないということであって、そこんところどうにかしなければな、というところだ。いずれ、どうにかしよう。どうにかなった試しはほとんどないにせよ。

以上。

 

カイエ 1957‐1972

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