「どうかお助けください」←助けられない


 おれが道をゆけば空に五色の彩雲が空にたなびき、後光の輝きは地を照らし、辻々の信号機は赤色から青に変わり、やがては虹色の光を放つ。一足ごとにしゃりんしゃりんと天上の鈴の音が響き、四方から迦陵頻伽の鳴く声がきこえ、大唐国の皇帝すら手に入れられぬ香の煙があたりを包む。気づけば白い衣と美しい翼を持つ四人の天使が従い、街の人々は自然とおれの後ろに列をなす。そして、道端で鞠遊びをする子らが寄ってきては「ビブーティー出して、ビブーティー」とねだれば、気軽にビブーティーを出してやる。おれの踏んだ砂はすべて砂金に変わり、枯れていた草は青々と繁り、あらゆる樹は一度に梅の花を開かせる。おれは銀河とともに西に向かう。
 ただ、そのような行列は交通というものに影響があるからどうかおやめくださいと神奈川県警加賀町署から懇願されているので、ふだんはそのような雰囲気を一切隠して、薄汚いあごひげと三つのピアス、いい加減に染められた金髪の低賃金労働者のふりをして、一人でずったらずったら歩いている。べつに足を怪我しているのでもなく、障害があるわけでもなく、足をあげるのが面倒なのである、というふりをしている。
 台風一過の朝である。おれはやはり単なる三十代独身男性であって尊くないふうだったので、やむなく信号待ちをしているところだった。杖をついた一人の老人が近づいてきた。寿町の住人のなかでいえば、わりと身なりのいい感じのじいさんである。場所が場所でなければ、普通に孫と歩いていてもおかしくはないとすら言えるだろう。それがおれに話しかけてきたのである。
 おれはアイフォーンのイヤフォンで「ゆりゆららららゆるゆり大事件」で結衣が「また次の同人誌もミラクるんか?」と言うのを聴くのを中断して、じいさんの話に耳を傾けた。
 「どうか、お助けくださりませんでしょうか」
 「はい、なんですか?」
 尊くないふりをしていても、おれの尊さ、隠しきれぬヘイローは雲間から漏れ、わかる人間にはわかってしまうらしい。
 「見ての通り、足も悪いのです。お助けくださりませんでしょうか。困っているのです。どうか、お助け願えないでしょうか。見てのとおり、足も悪いのです」
 「……?」
 「どうかお助けください、お助け願えないでしょうか。足も悪くしているのです」
 ……正直言って、おれは困ってしまった。じいさんはその後も「どうかお助けください」と繰り返すばかりだ。おれは、いったい、いつ、なにを、どこで、どう、助ければいいのか、まったく、皆目、見当がつかなかった。おれは、この、目の前の人間を、どうして助けられるのだろうか、さっぱりわからないのだ。
 せめて、なにか具体的に要求してはくれないか。苦しくて救急車を呼んでほしいのなら呼んでやろう。横浜駅への交通費がほしいのならば市バス代を出してやろう。腹が減って動けぬなら、そこのコンビニの……先にある100円ローソンで20円引きシールの貼られたおにぎりを買ってやろう。福祉の窓口が知りたいのなら、アイフォーンで調べてやろう。ただお助けくださいと言われても、おれにはわからない。イエスともノーとも言えない、代案も出せない。
 ああ、そうだ、おれは、このあわれな老人に授けられる真言を知らない。支えとなるべき聖書の一句も知ない。じつのところビブーティーも出してやれぬ。奇跡を起こして足をよくしてもやれぬ。
 「うん、ほかをあたってください」
 おれに言えたのはただこの一言かぎりであった。おれは打ちひしがれたようになって、心なしか足早に立ち去るのみだった。
 ほかをあたってくれ。もっと金を持っているやつ、知恵のあるやつ、魚の釣り方を教えてくれるやつ、ビブーティーを出せるやつ、インターネットで画期的にお金を集められるシステムを見切り発車させるやつ、なんでもいいが、悪いがほかをあたってくれ。おれにはあんたを助けられない。おれはなにか打ちひしがれたような気になるだけだ。
 ああ、そもそも老人よ、おれはといえば、触れるものをすべて腐らせ、陽光のなかの暗い陰ばかり見て、口から毒を吐くことしかできぬ人間。脳みそもおかしくなって、明日どうなるかもわからない。そんな人間に救いを求めてくれるな。少なくとも今は無理だ。今の一生でおれはあんたを救えない。下手すればあんたとまったく同じようなことをする競合者になる。この人生ではだめだ。だが、ひょっとして来世で機会があるかもしれぬ。それがだめなら、また次だ。56億7000万年のうちに、きっとなにか、あんたを、どうやって助けられるのか、そしておれ自身を救えるのか、あの犬を死なさずにすむのか、見つけてやろう。だから今回は勘弁してくれ、100万年くらい仮寝してくれ。今回は悪かった。あんたもおれもついてなかった。まったく、ついてなかったんだ。


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