先日読んだ穂村弘の『にょっ記』はたいへんおもしろかった。
ならば本業の短歌にもあたってみるべきだろう。ウィキペディアにはこんな記述がある。
三億冊! とてもすごいに違いないと思い、『シンジケート』と『ドライ ドライ アイス』を手にとった。
……が、なんかピンとこない。どうもおれは短歌という形式に感じ入るところがないようだ。
水滴のしたたる音にくちびるを探れば囓るおきているのか
というか、なんというか、恋の歌がやけに生々しくて、おっさん、まいっちまうよというところもあり。
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
あと、おれの性質として「うんこ」とかそういう言葉が苦手なところもある。
試合開始のコール忘れて審判は風の匂いにめをとじたまま
それでもなんか、光景が頭に浮かぶ、風の匂いを感じるところはある。
回るオルゴールの棘に触れながら笑うおまえの躰がめあて
こんなんかっこええやんな。あんた、モテるやろ。
終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて
こんなんおしゃれやんな。あんた、歌人やろ。
以上、『シンジケート』より。
天使にはできないことをした後で音を重ねて引くプルリング
天使にはできないことしちゃったかー。しかしプルリングが通じないかもしれない令和。
さみしくて死ぬ奴 木馬のたてがみにリボン結んで手を叩く奴
このまま「奴」を連ねていきたい気持ちになるよな。
スニーカーの踵つぶして履く技を創り給いしイエス・キリスト
穂村弘にはキリスト教的な技と、音楽の技があるが、おれ、両方ともよくわからないんだ。
夕映えの砂場に埋めた最愛の僕のロボットの両手はドリル
砂の中から出てくるのは、いたく錆びたピストルではなく両手がドリルのロボットだ。
以上、『ドライ ドライ アイス』より。
穂村弘の感じは、なぜか北海道の感じがする。ウィキペディアで経歴を読んだからか。そして、重なってイメージされる文学というと佐藤泰志だったりする。おれも札幌の生まれだからか、そんな気がする。
それにしても、なんかいい雰囲気はあるよな。あるけれど、おれにはグサッと刺さらないところがあるんだよな。それは短歌だからかな。短歌なんてどう読んだらいいのかしら。……というところに、穂村弘の入門書みたいなものもあるようだし、いずれ手にとってみるかもしれない。いつだって、言葉は強くて儚くなくてはいけない。