おれは穂村弘のことはよく知らない。よく知らないが、高橋源一郎の文章で何回か名前を見たことはある。本棚で『にょっ記』という本を見かけたので、手にとってみる。すると、こんな文章が目に入る。
4月3日 武蔵丸
武蔵丸の夢をみる。
夢のなかで武蔵丸は悲しそうな顔で訴えていた。
「私より、大きなひとも、いるんです」
「ええ」と頷いたが、それだけでは足りない気がして「わかります」と付け加えた。
武蔵丸は悲しそうに頷いた。
こんなん、面白い本に決まっている。
で、この本、この調子で日記ならぬ「にょっ記」が綴られている。この「武蔵丸」くらいの長さのものもあれば、さらに短いもの、ちょっと長いものもある。あと、急に差し挟むけど、なぜか今夜は文章を打つのがつらい。ちょっと体調が悪いのかもしれない。
ほかに気になったものをいくつか引用する。
7月21日 梅ぼ志
「梅ぼ志」というものを見つける。
こういうの、ときどきある、と思う。
何か、漢字と平仮名が変な風に混じっているの。
えらいお店の名前などになっていることもある。
たぶん「うめぼし」のなかに「志」の文字を無理矢理入れているのだが、呪術的な効果があるのだろうか。
「ぼ」は、そのままでいいのか。
よくある「ちょっとヘンな言葉の収集」であって、それこそ東海林さだおや高橋源一郎も得意とするところだ。それを極限まで切り詰めている。そしてなにより『「ぼ」はそのままでいいのか。』という締め方がいい。「ぼ」に対するやさしさが感じられる。それは言葉に対するやさしさといってもいい。この最後の一文があるかないかで大違いだ。
8月4日 ジャニーズ
今からジャニーズの一員になることがあるだろうか、と考える。
おそらく、その可能性は限りなくゼロに近い。
だが、ゼロではない。
記者会見のフラッシュを浴びながら、入団(?)の挨拶をするところを想像する。
「最年長です」と私は恥ずかしそうに云った。
「アニキ」とキムタクが云った。
「いや、芸能界では君が先輩だから」と私は云った。
ほんとうにしょうもない想像から、見事に話が展開していく。「想像する」と書いたあとに、「云った」と、過去形になっている。もう、世界は想像の中に入ってしまい、それは起きてしまっているのである。その遷移が面白くてたまらない。けど、たぶんジャニーズの最年長ってマッチとかじゃないのか? いや、マッチもうジャニーズ退団(?)したけれど。調べてみたらマッチが穂村弘より二歳年下だった。どうでもいい。
8月12日 実況
夢のなかで、私は大相撲の実況をしていた。
おおきいですねー。
うわ、こっちもおおきい。
ふたりともはだかです。
だきあっただきあった。
それはもう、武蔵丸より大きい人がいるのだから、どっちも大きい。それにしても、このシンプルな言葉の面白みよな。
10月9日 スリープモード
スリープモードが怖い。
スリープモードにセットした音楽が、眠る前に切れてしまって、ああ、俺、まだ眠ってないのに、と思って焦るのがこわいのだ。
これはなんというか、内容に同感した。おれは眠る前に、あえてあまり興味のない声優やアニメ番組のラジオをつけることが多いのだが、「もしも番組が先に終わってしまったらどうしよう」と思うことが多い。実際、先に番組が終わってしまうことも多い。睡眠薬飲んでいるのに。興味のある番組は眠れなくなるので、眠るときには聴かない。
1月11日 未来予知
男のひとはいろんな女の子とセックスしたいの?
と訊かれて、言葉に詰まる。
それはひとによると思う、と答えそうになって、危うく言葉を呑む。
この答え方はよくない。
そんな風に答えると、ああなって、こうなって、まずい展開になる。
私は未来のことがわかるのだ。
これなどはもう、村上春樹の小説一冊分くらいの内容を含んでいる。……か? わからないけれど、たぶんこれについてなにか書くと、今どきはああなって、こうなって、やはりまずいことになるので、深くは語らない。
2月1日 昔の漫画
昔の漫画を読む。
各回の小見出しに驚く。
「超人ナンバー7の裏切り」
これでは、超人ナンバー7が裏切るんだな、って読む前にわかってしまうではないか。
困る。
最終章の見出しは「超人兵団の最期」だ。
超人兵団が滅びるんだな、ってわかってしまうではないか。
困る。
次回「城之内 死す」デュエルスタンバイ! 的問題である。ああ、この人は困っているんだな」というのがよく伝わってくる。「昔の漫画」というタイトルもいい。
というわけで、『にょっ記』がよかったので、続編である『にょにょっ記』も読んだ。
こちらもあったという間に読めてしまった。『にょっ記』よりも一本一本が長くなっていた。
イラストは同じくフジモトマサル。村上春樹のWeb企画も描いていた人だ。調べてみたら、2015年に亡くなっていた。
こちらもおもしろいので、ぜひ。
それでおれは、たぶんその続きの『にょにょにょっ記』も読むのだろうと思う。
以上。