穂村弘対談集『あの人に会いに』を読む 谷川俊太郎、横尾忠則、萩尾望都、甲本ヒロト……

 

自分の求めるものが、一度も会ったことのない誰かがつくった作品の中にあるに違いない、と思い込んだのはどうしてだったか。わからない。実際、手に取った本のほとんどはぴんとこなかった。でも、ごく稀に奇蹟のような言葉や色彩やメロディに出会うことができた。この世にこんな傑作があることが信じられなかった。世界のどこかにこれを作った人がいるのだ。それだけを心の支えにして、私は長く続いた青春の暗黒時代をなんとか乗り切った。

「よくわからないけど、あきらかにすごい人」に会いに行く

また穂村弘の本を読んだ。あきらかにおれがすごいと思う人である穂村弘(今年からだが)がすごいと思う人は、おれもすごい人だと思う場合も多いと感じたのである。

というわけで、あきらかにすごい人たち対談からそれぞれ一箇所ずつ「なんかすごいな」と思った言葉をメモしておく。

 

谷川俊太郎

谷川 植物が土のなかに根をはりめぐらせ、養分を吸い上げるイメージです。日本語という土壌に根を下ろしているという感覚が、ぼくには常にあります。日本語はすごく豊かですよね。長い歴史もある。その土壌に根を下ろして、そこから言葉を吸い上げて、ある種のフィルターによって言葉を選ぶ。そして、葉っぱができたり花が咲いたりするように詩作品ができてくる。

詩人、谷川俊太郎はこのように言う。昔は、インスピレーションは「上からやってくる」イメージだったという。が、「集合的無意識」という言葉を知ってから、そういうものは上ではなく下にあると思ったという。言葉の土壌から吸い上げる。そのようになったという。

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宇野亞喜良

宇野 ぼくは職人芸って好きですね。たとえば陶器に薔薇の花の絵付けをするとき、筆の片方に白い絵の具をつけて、もう片方の端にほんの少しだけ赤の絵の具をつけて適当な混ざり具合で花弁を描いていくんですが、筆をくるっと回転させながら描くとエッジの赤が、くねる、とか。ヨーロッパの職人にはこの快感があるんだなぁ、という発見は気持ちがいいです。ある種の職人的なものを自分の身体が再現できたときにすごく快感を覚えますね。

宇野亞喜良といえば、世代によるかもしれないが、どこかで目にしたことのあるはずのイラストレーターだ。あくまでイラストレーター、職人としての矜持がある。左翼からセンチメンタリズムだと批判されようと、「人からいわれたテーマでやっているんだ」ということだ。その宇野亞喜良が語る「職人芸」の描写が印象に残った。あと、工芸学校に入ったら、看板屋の息子がいて、教師よりすごい技術を持っていた、という話もおもしろい。

 

 

横尾忠則

横尾 たいていの人は表現の意識が強すぎるんですよ。表現の意識なんか捨ててしまえばいい。いったい何を表現するんですか。表現するものなど何もないじゃないですか。強い表現意識が逆にインスピレーションのバリアになると思うんですよね。とうより、手にするものがすでにインスピレーションだと思いますね。ぼくはいつも表現者はインスピレーションの大海の中を漂っているように思いますね。

おれは横尾忠則が好きである。ポスターも、絵画も。展覧会に行くくらい、かなり。そして、やはり「集合的無意識」なのである。禅やインドの精神世界に触れた横尾忠則ワールドだ。

横尾ワールドというと、穂村弘の「逢ってから、思うこと」にこんなエピソードが紹介されていた。

或る食事会の席でのこと。突然、横尾さんがゆで卵を立て始めた。その真剣な手つきを見ているうちに、何故か同じことをしたくなって、全員がいっせいに卵を立て始めたということがあった。

すごい。

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横尾忠則は全般的に好きだが、何か一つ持って帰っていいぞと言われたら、ナポレオンのシャンバラ越えを選ぶ。この、向こうの方がきらきらしているあたりがいいじゃないですか。涙が出そうになる。

このくらい、おれは横尾忠則が好きである。今、開催されているという展覧会、ワクチンを打ち終わって、秋になったら行きたいと思っている。

 

 

荒木経惟

穂村 撮影のときは、被写体とどう向き合ってるんですか?

荒木 愛しい気持ちをぶつけてくんだよ。

穂村 愛情ですか?

荒木 愛情って言うと大袈裟すぎるけどさ、愛に近い情だよな。

穂村 そういう情を持てなかったら?

荒木 そしたら写らないよ。女でも、花でも、街でもさ、情がなかったら撮れないよ。情に溺れるなっていうけど、本当は溺れちゃえばいいんだよ。そのとき、自分がさらけ出してくるし、相手も自分をさらけ出すようになる。それとさ、相手にも小さな裏切りがあるもんなんだよ。それがないとダメじゃないかと思ってんだ。

天才アラーキー。父親が写真趣味者であって、荒木経惟の写真集、本も実家にはたくさんあった。ちょっとエッチなやつを覗き見していたっけ。そしておれも、いくらかは写真を撮るようになった。とはいえ、ブログ用のデジカメ、携帯端末写真にすぎないけれど。

で、この言葉である。情までは普通に行けるかもしれないが、そこへ「小さな裏切り」というところまで行く。正直わからない。わからないけど、すごいなと思う。ちなみに、猫には裏切り以上のものがある、という。猫写真も深い。

写真についてはこう言う。

穂村 写真入は撮る人のまなざしが出ますよね。

荒木 出ちゃうんだよねぇ。ダメなやつがいくら撮ってもダメなんだよ。撮る人の人間性を写真がバラしちゃうんだ。

写真、こわいな。

 

 

萩尾望都

穂村 『11人いる!』を大人になって読み返したら、萩尾さんは性差へのまなざしを強くお持ちだったのではないかと思ったんですが、当時そういう意識はありましたか。

萩尾 そのころ、意識的に性差について考えていたわけではないんです。ル=グウィンの『闇の左手』と『風の十二方位』を読んだとき、男女が意識を伴って変換するということがすごく面白くて、そこでいろいろなものがつながって、フロルベリチェリ・フロルのようなキャラクターが出てきたんですね。

荒木経惟が父の書棚なら、萩尾望都との出会いは母の蔵書であった。ものすごく影響を受けた、というとどうかと思うが、ひょっとするとSFとの最初の出会いは萩尾望都だったかもしれない。

この対談では、『11人いる!』の続編構想というか、話の筋が最後まで語られていて、好きな人にはぜひ読んでもらいたい。

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萩尾望都いわく、『スターレッド』と『バルバラ異界』だけは最初から全体像が見えていなかったのだと言う。

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SFにおける両性具有種といえば、萩尾望都のあれを思い出す。あれを初めて読んだときは、その発想けっこうどきりとしたものだった。

その「どきり」は正解だったぞ。

 

佐藤雅彦

すまん、佐藤雅彦の業績はすごいものだと思うが、この対談では穂村弘の言葉がおもしろかった。

穂村 以前、すごい短歌を作る人と熱海駅の構内を歩いていたとき、突然その人が「この駅ほんもの?」ってぼくに訊いたんですよ。そのとき強烈な衝撃を受けたんですが、同時に、このビジョンを社会的に機能させてお金にするまでに無限のハードルがあるだろうって感じ取れてしまって……。

なんというか、対談を読むに、佐藤雅彦はこの歌人とは逆にすごくクリアなようでもあり、一方で同じように飛んでいるな、と感じるところもあった。

 

高野文子

今は文学より自然科学のほうがいい。涼しい風が入ってくるようになりました。自分から離れるのは、すごく気持ちがいい。心の奥の暗い泉ばかり見ていても解決しないことが多いですよね。そう思っていたとき、湯川秀樹が「遠くの広いところへ行ってみてください」って言ってくれたんです。

高野文子は少し読んでいるものの、すごく読んだわけでもないし、対談で語られているように「読者はコマ単位で好きなところを語りますよね」というところまではいけなかった。とはいえ、気になる漫画家ではある。というわけで、上に語られている「自然科学」の『ドミトリーともきんす』が気になったので、近いうちに感想を書くだろう。

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甲本ヒロト

甲本 ブルーハーツのときは、十年続けてちょっと飽きてきてたんですよね。でも、ロックンロールに飽きてたわけじゃないんです。ブルーハーツというバンドの仲間がよくないかといったら、よくないわけがない。そのままでもいい。でも、あるとき「いま解散したら、もったいない」と思ったんですよ。その瞬間に「やめなきゃだめだ」って思った。

穂村 もったいないって思ったから?

甲本 そんな理由でやってるバンドのライブに行きたくないと思ったんです。生活における「もったいない」は美徳だと思う。だけど、人生に「もったいない」という価値はいらないんです。それは人生をクソにする。

おれはブルーハーツ直撃世代ではない。しかし、ブルーハーツは聴いて育った。とはいえ、変な話だが、父から与えられて知ったブルーハーツなのである。そこにロックンロールはあるのだろうか。

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しかし、おれのブログで「ブルーハーツ」と検索すると、甲本ヒロトの歌詞がたくさん出てくる。ロックンロールだろうか。おれにはよくわからない。甲本ヒロトは、自分の歌が聴かれなくなっても、バイトをしてロックンロールを聴ければそれでいいという。音楽ではなくロックンロールになりたかった。それはすごいのだ。

 

 

吉田戦車

戦車 満員電車で人に席を譲るのって、最初勇気がいるじゃないですか。そういう積み重ねのうえに、ギャグがあると思うんですよね。ゴミ出しをきちんと守る人とか、人に迷惑をかけないようにするとか、そういう気持ちでやってきたような気がします。そうすると、喋りっぱなしの高校生カップルのウザさにも、おもしろさが見えてくるようになる。

正直、おれは吉田戦車をまったく知らない。まったくというと言い過ぎかもしれないが、ちょっと世代がずれている。むしろ、対談でも語られている、吉田戦車を読んで「こんなんでいいんだ」と思った次世代漫画家の世代だろう。それにしても、ギャグ漫画家というのは、けっこう真面目な人が多いような気がする。それゆえに病むような気もする。ただ、対談を読む限り、吉田戦車は病むタイプとも違うかな、と思った。

 

 

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……

……てな具合でちょっと長くなったが、自分がよいと思った人とその人がよいと思ったものはつながっているな、という、ある意味当たり前だけれど、ある意味で奇蹟のようなつながりを感じさせてくれる本だった。だって、けっこう打率高くねえか、と思うのだ。どうだろうか。